第三十七話 ~三人目【久遠 恭介】(中編)~
合宿二日目の十八時。生徒達の疲労はピークに達していた。現在の対局は五回目の半荘戦に突入しており、対戦相手は未だ「恭介」のままだった。
【現在の点数】
美乃理:23,800 巡:18,300 恭介:37,000 司:20,900
『南三局』 親:『司』 ドラ:『6』
【司の手牌】
二二六七八⑥⑦34578南6
「……リーチっす!」
この半荘も既に終盤戦に入っていた。十巡目、司が不要牌の「南」を切ってリーチを宣言したが、対面の恭介は、涼しい顔をしている。
「おっと。勝負手みたいっすね……ポン!」
【恭介の手牌】
一二三四五六七八九⑧東 南南南
「⑧」を切ればホンイツになるにも関わらず、恭介は全く迷わずに「東」を切った。
そして次の十一巡目、引いてきた牌をパチンと叩きつけて宣言する。
「ツモ。南、一通で千と五百っす!」
【恭介の最終手】
一二三四五六七八九⑧⑧ 南南南
恭介が最後にツモったアガリ牌は、本来は司のツモ牌であった「⑧」であった。恭介はポンを宣言することで、司のアガリ牌を食い取ると、自らのツモ牌としたのである。
待ち牌を「東」ではなく「⑧」にしたのも、「⑧」に危険な匂いを感じ取っていたからに他ならない。
(また……私達の待ちを見透かしたようなアガリ……)
その様子を見ていた美乃理の心は折れかけていた。恭介との対局が開始された一回戦目から、美乃理は様々な待ちを試し、恭介からの直撃を試みた。
しかしそのいずれも通用しないばかりか、恭介は他者のツモあがりすら敏感に感じ取り、ポンやチーで食い取ってしまう。まるで彼の中に、何か高性能なレーダーでも搭載されているかのようだった。
「さて、オーラスっすね! まだ勝負が終わったわけじゃないし、みんな頑張るっすよ!」
恭介は元気に発言し、笑顔を浮かべていたが、美乃理達はとてもそんな気分にはなれなかった。「何をやっても通用しない」絶望感と、疲労がのしかかり、息も絶え絶えな状態だったのだ。
【現在の点数】
美乃理:23,300 巡:17,800 恭介:39,000 司:18,900
『南四局』 親:『美乃理』 ドラ:『北』 リーチ棒:一本
美乃理は最後の力を振り絞って手牌を進めていった。しかし十一巡目、美乃理がテンパイに辿りついたところで、恭介が点棒入れに手を伸ばす。
「リーチっす!」
【恭介の手牌】
⑤⑤⑤⑥⑦⑧2348889
恭介のリーチの声に、美乃理はビクッと身体を震わせる。そして次のツモを引いてきた彼女の手が、ピタリと止まってしまった。
【美乃理の手牌】
一二三⑦⑧⑨⑨⑨222774
アガリにかけるのであれば、危険牌ではあるものの「4」を切るしかない。しかし、散々恭介の待ちに吸い寄せられるように振り込んできた美乃理に、もはや危険牌を切ることが出来なくなっていた。
ただ怯えるように、恭介のリーチ宣言牌である「⑨」を切ってしまう。
そして三順後の十四巡目に、恭介は引いてきた「9」と一緒に手牌を前へと倒した。
「ツモ。リーヅモのみで七百、千三百っす」
【恭介の最終手】
⑤⑤⑤⑥⑦⑧23488899
恭介の宣言に、美乃理はガックリと両肩を落とした。その姿を見た黄泉が、ため息交じりに口を開いた。
「……そこまでだ。本日の対局はここまでとする」
美乃理、巡、司の三名は、椅子から立ち上がることが出来なくなっていた。完全なる敗北を前に、口を聞くことすら出来なかったのである。
「返事する元気すらない……か。ならばこのまま聞け。今日はこの後の晩飯を終えたら休んでもらって構わん。明日も今日と同じく、朝の九時から本日の続きを行う。全員、今日の対局を振り返り、どうすべきか考えてこい。以上、解散!」
黄泉の号令に、その場にいた誰もが口を聞けなくなっていた。生徒達は、半荘ごとにメンバーを入れ替え、あの手この手で恭介に挑戦していた。しかし全く打開策が見つからず、全員完膚なきまで叩きのめされてしまったのだった。
打つ手がなくなった学生達は、結局初期のメンバーに戻して挑み直すも、結果は見ての通りの完敗だった。
「うーん……黄泉さん、やっぱりちょっとやりすぎだったんじゃないっすかねぇ」
肩を落として部屋を出ていく学生達の背を見てやりきれなくなったのか、恭介が呟いた。しかし黄泉はやれやれと言った様子だ。
「……この程度で行き詰ってしまうようなら、どのみち先はない。厳しいかもしれんが、打開策は自分達で見つけるしかないのだからな」
黄泉は厳しい表情で、部屋からトボトボと出ていく生徒達の後ろ姿を眺め、ため息をついた。そんな姿を、後ろに立っていた傑は無言でただ見つめていた。
★
その後の食堂にて。生徒達は、目の前に並ぶ食事に手をつけることが出来ずに固まっていた。
「何なんだよアイツは!? 冗談じゃないぜ!!」
この発言は美緒のものだった。恭介との半荘勝負三戦目に参加した彼女は、文字通り何もさせてもらえなかった。一か八かのイカサマを試みようとするも、『やめておいた方がいいっすよ』の一言で、あっさり動きを封じられてしまったのだ。
「正直俺達、一~二戦目に勝って調子に乗ってたのかもな……」
絵美のこの言葉に、その場の空気が更に重くなる。絵美の隣に座っていた佐緒里が、正面にいた司に尋ねてみる。
「司さん。あの方はあなたの先輩なのでしょう。何か攻略の糸口のようなものは、ないのでしょうか?」
佐緒里の質問に、司は俯きながら答えた。
「……正直、自分もあそこまで凄いと思ってなかったっす。自分一年っすから、入学前に恭介先輩の全国大会の姿をテレビで見たんすよ。すごくカッコよくて憧れてたんすけど、実際に打ったのは今日が初めてだったっすから……」
司は恭介の卒業と入れ替わりで、目黒高校に入学した。無名高をほぼ一人の力で全国優勝に導いた先輩が誇らしく、見様見真似で再現したのが彼女のスタイルだが、本家との違いに彼女もまた、強く打ちのめされていた。
恭介のスタイルは、『第六感』とでも言うか、麻雀における全ての選択肢を、感性に委ねることにあった。特に危険察知能力は凄まじく、生徒達が何か仕掛けようとしても、事前に察知されてしまう。
実際恭介は、黄泉や孝明と打つ際も、ほとんど振り込んだことがなかった。
打開策の見えない苦しさに、生徒達は暫くそのまま黙り込んでいた。
★
一時間後、ようやく食事を終えた生徒達は、ぞろぞろと食堂を出て自室に向かったようだった。一人残っていた美乃理の姿に気づいた巡が、そっと声かける。
「美乃理ちゃん……部屋に戻ろ?」
美乃理は巡の方を向かず、小さく首を横に振って答えた。その様子を見た巡は仕方ないと思ったのか、伸ばそうとした手を引っ込める。
「私、先に戻ってるから。落ち着いたら戻ってきてね」
巡は仕方なく、先に食堂を出ていくことにした。結果、食堂には美乃理一人だけが残される形となった。
(何も通用……しなかった)
美乃理は気づくと、涙を流していた。決して調子に乗っていたわけではないが、自分の麻雀はどんな強者と戦っても、それなりに戦える自負を持っていた。彼女は傑から教わった麻雀を信じ、誇りにすら感じていたのである。
しかし、それが全く通用しなかったという事実に、彼女はひどく打ちのめされていた。
「見事に……やられちまったな」
不意にかけられた声に、美乃理は顔を上げて振り返った。そこには、彼女の師である――傑の姿があった。
「……すみません、先生。私……」
あまりの悔しさに美乃理は何も言うことが出来なかった。そんな彼女の気持ちを察したのか、傑はそのまま告げた。
「謝ることはない。恭介とお前が打てば、こうなることはわかっていたからな」
傑の言葉に、美乃理は唇を噛み締める。恭介と実際に打つことで、美乃理はようやく、傑の言葉の意味を理解することが出来たのである。
美乃理と恭介は実力差もそうだが、圧倒的に「相性」が悪かった。美乃理は「理」によって状況と手牌を予想するが、そもそもその相手に「理」が当てはまらないのである。
完全に理解不能な打ち筋に、美乃理の頭脳はオーバーヒートを起こし、最後は戦うことすら出来なくさせられていたのだ。
「先生やっぱり私……」
麻雀をやめようかとすら思った美乃理だったが、傑は大げさな様子でため息をついた。てっきり叱られると思ったのだが、意外にも傑の表情は笑顔だった。
「落ち込む必要なんてねえって! お前はこれでようやく、スタートラインに立てたんだからよ」
「どういうこと……ですか?」
傑はツカツカと美乃理の元に歩み寄ると、両手の指で頬を摘まんで、広げるように引っ張った。突然の痛みに、思わず美乃理は手で振り払ってしまう。
「い……いきなり、なにするんですか!?」
「笑えよ美乃理。お前はようやく『自分の壁』を知ることが出来たんだ。大事なのは、こっから『どうするか』なのさ」
傑は振り返ると、美乃理に向かって手招きした。ついてくるように促された美乃理は慌てて立ち上がると、歩いていく傑の後を追いかけることにした。
「ついてこい美乃理。今から俺がお前に『とっておき』を伝授してやるよ」
★
傑に連れられ、美乃理は対局場にやってきていた。中央には麻雀卓が昼間のまま置かれており、傑はドカッと卓の前の椅子に腰かける。
「まずはおさらいだ。麻雀の強さを要素として分けると『技術』『感性』『運』の三つに分かれる。そして俺はお前に『技術』面を徹底的に教えてきた。そもそもそれは、何故だと思う?」
傑の問いに、美乃理は首を横に振って答える。今まではそれが一番大事だからと思っていたのだが、恭介との対局の後では、むしろ感性の方が大事ではないかと思っていたからである。
「ネタばらししちまうと、黄泉が恭介との対局で教えたかったのは、『相性』と『諦め』だ。麻雀にはタイプによって相性が存在し、その関係はちょうどジャンケンに似ている。技術は感性を理解出来ず、感性は運を止められない。運は技術で抑えこむことが出来る。そう考えると、どのように立ち向かうべきかわかるだろう?」
「そ、それはそうかもしれませんが、私達はそれも試してみました」
事実、生徒達は衿や里香、良子をメンバーにして、挑んでみた。しかし結果は見事なまでの惨敗だったのである。
「そりゃ恭介も素人じゃねえからな。持前の感性にちょっとばかり技術を足してやれば、お前達くらい完封出来るさ」
傑のあまりにアッサリとした言い分に、俯くしかなかった。そして傑は話を続ける。
「今の状況でお前達が勝つには、諦めずに回数を重ねるしかない。何度もやってりゃ一回くらい勝てることもあるからな。実力で対抗することを諦め、運のみに期待して対局を続ける。当然時間はかかるが、そのために黄泉は『一週間』『一度勝てばいい』『何度負けてもいい』の三つをルールとして組み込んだのさ」
つまり、黄泉の課題は『三戦目』からが本番だったのである。中途半端なプライドは捨てて、諦めることも時には大事だと彼は語った。以前はこの言葉に納得が行かなかったであろう美乃理も、今は素直に聞くしかなかった。
「けどよ、そんなのつまらないと思わねえか?」
「……は?」
突然の言葉に美乃理は思わず聞き返したのだが、傑はものすごく悪そうな表情を浮かべていた。
「今までのお前達は、黄泉の思惑通りに進行させられている。勿論重要なことだが、思うが儘に動かされるなんて、俺だったら我慢ならないね」
確かに傑の言う通りではあるが、実力が足りないのだから、仕方ないとも思う。それに打つ手がない以上、それしかないのではないだろうか?
「そこでさっきの質問に戻るぜ。俺はお前に『技術』を徹底的に教えてきた。本物の『感性』と戦えば実力が及ばないとわかってたにも関わらず、だ。当然そこには――『理由』がある」
傑は美乃理を手招きすると、卓の前で座るように促した。傑は両手で牌を素早くかき混ぜた後、美乃理に向かって告げた。
「俺は黄泉に感謝している。恭介、巡、司ちゃん。色々な打ち手と戦うことで、お前は正しく自分の壁を理解することが出来た。そうなって初めて、俺はお前の最後の『スイッチ』を押してやることが出来るのさ」
「スイッチ……ですか?」
傑の発言の意味がわからない美乃理は聞き返した。傑は右手で牌の山を掴むと、美乃理の方に向かって滑らせた。
「俺が今までお前に叩きこんだ『技術』を全て使って、山を積んでみろ。出来るだけ早く……だ」
「それは積み込め……ということでしょうか?」
今まで美乃理は、イカサマの類を教わったことがなかった。確かにやろうと思えば出来るだろうが、練習したこともない付け焼刃の技が、恭介に通用するとも思わない。
「そんなことは言わねえよ。普通に山を積むだけだ。ただし、一つだけ条件を与えておく」
傑は小さく手招きすると、美乃理の耳元で『あること』を囁いた。すると、明らかに美乃理の表情が変わる。
「自信を持て美乃理。お前が今まで積み重ねてきたことは決して無駄じゃない。鋭く尖った個性は、苦手をものともせず突き破ることが出来るんだ」
傑は席を立つと、出口に向かって歩いていった。途中で足を止めると、振り返らずにそのまま告げた。
「なんせお前は、この世界に『二人』しかいない、この傑様の弟子なんだ。お前が本気を出せば、少なくともこの『条件下』においては、恭介なんか目じゃねえさ!」
傑が部屋を出ていった後、美乃理は一人、茫然と自身の右手を眺めていたのだった。
★
合宿三日目となる翌朝。いつも通り生徒達は対局場に集められていた。黄泉がいつもの挨拶を終え、少し離れた場所で生徒達は集まる。
「……さて、今日はどうしますか?」
遥の質問に答えるものは誰もいなかった。部屋に戻った各々が、対抗策を考えてはみたものの、効果的な方法は思いつかなかったようである。
「……私は、『運』で対抗するしかないと思います。残念ですが、私達の実力はあの方には及びません。例え偶然でも、勝てる可能性がある、衿さん、里香さん、良子さんの三名で挑むべきかと……」
この発言は佐緒里によるものだったが、誰も文句を言えなかったようだ。しかし、そこで顔を上げた美乃理が、ハッキリとした口調で告げる。
「私に……もう一度やらせてほしい」
美乃理の言葉に、全員の視線が集中した。佐緒里はふぅとため息をつくと、諭すように告げる。
「美乃理。悔しいのはわかりますが、ムキになるだけでは勝ちは見えません。ここは一度冷静になって……」
「大丈夫。私はムキになっていない。ちゃんと自信があって……言っています」
美乃理の言葉に、誰もが耳を疑う気持ちだった。佐緒里はどうすべきか迷っていたのだが、美乃理は巡のいる方に振り向くと告げた。
「巡に良子さん。一緒に対局に参加してほしい。頼めるだろうか?」
「……え? うん、それは構わないけど……」
突然指摘を受けた巡は、隣にいた良子に確認を取ると、一緒に頷いた。その姿を見た美乃理が、振り返ると卓の方へと視線を向けた。
「作戦は特にない。二人には普通に打ってて欲しい。私は自分の力で、あの男に……勝つ」
戦う意思は先日と同様だったが、今の美乃理の目にはハッキリとした自信があった。言っても聞きそうにないその姿に、佐緒里はため息をついた。
「……わかりました。それでは初戦は美乃理に任せます。ですが先日と状況が変わらない場合、作戦は変更しますので、そのつもりで」
「……大丈夫。任せて……ください」
美乃理は胸を張ると、恭介の待つ卓へと颯爽と歩いていった。その姿を見た恭介が、いつも通り笑う。
「……お? 何か作戦でも思いついたっすか? けど自分は、そう簡単には負けないっすよ!!」
恭介の言葉に反応することなく、美乃理は自分の席についた。続いて巡と良子が同時に腰を下ろす。
美乃理は大きく息を吐きだした後、恭介の方に真っすぐな視線を向けた。
(私は今度こそ……自分と先生に教わった麻雀を信じる!)
こうして美乃理は、再び自分の壁に向かって挑戦を挑むのであった。




