第三十六話 ~三人目【久遠 恭介】(前編)~
「……そこまでだ。第二戦も生徒達の勝利とする」
黄泉は高らかに宣言すると、掛け時計を見て、現在の時刻を確認した。
「十七時……か。次戦に入れないことはないが、長引くと面倒だな。今日はここまでにしておくか」
黄泉の宣言を受けて、生徒達の間に弛緩した空気が流れる。緊迫した対局が続いたので、精神的に疲弊していたのだろう。
「しかし絵美の打ち方は、なかなかに見事だった。まさに孝子を負かすための、最善の方法だったと言えるな」
いきなり褒められた絵美は、まんざらでもないのか、照れくさそうに頭を掻いていた。
「『平田先生にいつも勝てない』ということが、一番のヒントになりました。手牌の形をキチンと読んで待ちを合わせられれば、ロン牌を切ってくれる――そう思ったんです」
絵美の言葉に、黄泉は大げさな様子で頷いた。その姿を見ていた孝子が、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「うむ、その通りだ。このアホは、一直線にアガリへと向かうが、不要牌を真っ正直に切ってくれるからな。その牌で待って打ち取ってやるだけ。私からすれば簡単すぎて、欠伸が出る作業だったな」
「……アホっていうな!」
あまりにひどい物言いに、孝子はブスッとしながら、椅子の上であぐらをかいていた。そんな様子を気にも留めず、黄泉は生徒達へと言い放つ。
「他の者達も覚えておけ。対局の最中、どうしても特定の相手からの直撃が必要な場合が出てくる。そんな時は、捨て牌で安全牌を演出するのではない。相手の手を的確に読み、『不要牌を特定してその牌で待つ』のだ」
黄泉の指摘に、巡と良子はギクッと身体を震わせる。実際巡は、何も考えずにリーチ宣言牌でスジ引っ掛け(「4」を切って「7」で待つ等)や、字牌で待つ方法が有効だと思っていたからだ。
「ちなみに、既に気づいているものはいるかもしれんが、本日の対局のテーマは『心理戦』と『駆け引き』だった。メンツと対局のレベルが上がってくると、どうしても高度なやり取りが発生することはあるからな。大変だとは思うが、ちゃんと対処できるようになっておけ」
生徒達の返答に、満足そうに頷く黄泉。その姿を見た志信が、少し身を屈めながら一歩前に出た。
「ちなみにこの後、僕たちはどうすればよいでしょう? さすがにまだご飯とかは早いと思うのですが……」
志信の問いに、黄泉は少しだけ考えた様子だったが、すぐに答えてくれた。
「そうだな。今から晩飯までの時間は、各自の自由練習にあてるとしよう。机と牌をもう一組用意してあるから、武田か孝子。それぞれ必要と思う相手の前で座れ。後は時間まで自由に対局してくれればいい」
黄泉は言いながら、巡と良子をちょいちょいと手招きした。奥の倉庫に連れて行かれた二人は、テーブルとイスを抱えて元に部屋へと戻ってくる。
「対局形式は、半荘戦にこだわらなくても大丈夫だ。時間になったら知らせてやるから、東風戦(半荘の半分)または、数局打ってメンツを交代してもいい。とにかく各自テーマを持って、考えて打つようにな」
黄泉の指示に、生徒達は対局練習へと入っていった。ちなみに巡と良子は、孝子のいる卓へと入ったのだが、見事にボコボコにされたことは、言うまでもないだろう。
★
施設の食堂で用意された御飯を食べ終え、割り当てられた部屋に戻ってきた巡は、ベランダへと視線を向けた。そこには、同室の相手として指定された、美乃理の姿があった。
「どうしたの? 何か考え事?」
美乃理の深刻そうな表情に、巡は思わず問いかけてしまった。隣にやってきた巡に気づいた美乃理は、ゆっくりと口を開いた。
「今日の対局……巡はどう思った?」
美乃理の問いに巡は、んー、と首を捻ってから答える。
「私にはすごく難しくて、正直何が何だか……。ちなみに美乃理ちゃんは?」
「私は……悔しかった」
美乃理の口から出た意外な言葉。巡がどう答えるか迷っている間に、美乃理が告げた。
「美緒さんも先輩も、自分の長所を生かして結果を出していた。なのに私は……何もできずに立っていただけ」
「それを言ったら……私もだよ」
美乃理の指摘に、巡はため息をつくしかなかった。黄泉の意図するべきことは理解出来るのだが、どうしても知識や技術が問われてくると、巡にはまだ実践出来ないのである。
「姉さんの出す課題は、一見無茶苦茶だけど、理には適ってる。必要なことを言われて実践するより、自分達で考えて出した答えの方が、身につくのも早いと思うから」
「うん、そうだね……」
巡と美乃理はベランダで、しばらくそのまま風に吹かれていた。各々の考えることはあったものの、なんとなく言葉にできなかったからである。
「今日はもう寝よう。それでまた明日、一緒に頑張ろう!」
「……うん」
巡と美乃理は、部屋へと戻ると、電灯を消してから各々のベッドに潜り込んだ。巡にも不安はあったものの、彼女にとって美乃理の存在が、とても心強かったのである。
やがて二人は穏やかな眠りにつき、その日の夜は更けていった。
★
合宿二日目となる明くる日の朝九時。昨日と同様、対局場にやってきた巡達に、黄泉が語りかけた。
「さて、それでは今日も対局練習の続きを行うとしよう。ちなみに今日の相手はこの男だ」
黄泉に呼ばれて部屋にやってきたのは、茶髪で軽薄そうな笑みを浮かべる、若い男性だった。その姿を見た数名の生徒の表情が変わる。
「恭介先輩じゃないっすか! 先輩が自分達の相手になってくれるんすね!!」
真っ先に出ていったのは、目を爛々と輝かせる司だった。駆け寄る司の頭を右手でガシッと受け取めた恭介は、そのまま背後を振り返った。
「確かに次の相手は自分っすけど、今日はこの人も応援に来てくれてるっすよ」
恭介の言葉を受けて、部屋に入ってきたのは、巡の父である傑だった。その姿を見た黄泉が、ものすごく嫌そうな表情を浮かべる。
「なんだ傑。まさかの敵情視察か? そこまで姑息だとは思わなかったぞ」
「ちげえって! 俺も一応東征の顧問なんだから、様子見に来るぐらいは別にいいだろ!?」
ワイワイと言い争う二人を眺めていた生徒達だったが、その中で一人、美乃理が前へと出た。
「……ごめんみんな。出来ればここは……私にやらせてほしい」
美乃理のその姿に、誰もが驚きを隠せなかった。普段物静かな彼女がハッキリと自分の意志を見せることが、非常に珍しかったからである。
美乃理は目に、ハッキリと戦う意思を宿していた。
(以前、私は先生に問われた。『久遠 恭介に勝つ自信はあるか』と。あの時は言葉に詰まったけど、今なら……)
美乃理がこだわっていること――それは以前傑に言われた言葉だった。スタイルが酷似している司に辛勝したこともあり、彼女の中ではずっとこだわっていた部分なのである。
「美乃理ちゃん!」
慌てて駆け寄った巡の声を聞き、美乃理が振り返った。そしてゆっくりとした口調で告げる。
「私は先生……あなたのお父さんに教わった麻雀が、間違いじゃないことを証明したい」
「おお、なんかすげえ気合入ってるっすね!」
気迫の美乃理を前にした恭介は、ヒューと口笛を吹いた後、嬉しそうに笑った。その表情はまるで子供のようである。
「美乃理ちゃんが入るなら、私も入るよ!」
「ちょっと待った! 先輩相手なら自分も譲れないっす!」
ほぼ同時に出てきた巡と司は、互いに顔を見合わせていた。その様子を見ていた佐緒里がため息をつく。
「……わかりました。ではこの勝負のメンバーは、あなた方にお願いすることにしましょう。他の方たちは今までと同様、対局を見て作戦を考えていてください」
佐緒里の提案に特に意義のなかった他の生徒達は、一斉に頷く。先に席についていた恭介の前に、巡、美乃理、司の三名がやってくると同時に席についた。
「ふつつかもの……あれ、若輩者って言うっすか? とにかくよろしくお願いするっす!」
恭介は相変わらず嬉しそうに笑みを浮かべていた。
台から少し離れた場所。壁際に立っていた黄泉と傑は、揃って苦い表情を浮かべていた。
「黄泉……わかっているとは思うがこの勝負……」
「……ああ」
傑の問いかけに、黄泉はそれ以上何も言わなかった。二人はこのメンバーによる対局の意味することを理解していたのである。
(恐らく美乃理にとって……辛い経験になるだろうな……)
傑は抱いた懸念を口にすることが出来ず、黙って見守るのであった。




