EP 9
死蟻機の斥候と、農家の怒り
森の静寂が、金属が軋むような無機質な異音に食い破られた。
『ギチギチギチッ……ジュルルルッ!』
暗闇から姿を現したのは、軽トラほどの巨体を持つ、黒光りする金属装甲に覆われた『アリ』の怪物だった。
その顎からは、先ほど畑に降り注いだ雨と同じ、強烈な酸の唾液がボタボタと垂れ落ち、地面の草をジュワジュワと溶かして白い煙を上げている。
「……死蟲機、その中でも酸を吐く死蟻機か」
スアイが血の気を引いた顔で呟いた。元魔将軍の彼女でさえ、その名を知っているほどの厄介な存在らしい。
「あれは生物じゃないわ。かつての神蟲魔大戦で生み出された、生ける殺戮兵器。装甲は鋼鉄より硬く、吐き出す酸は魔導戦車の装甲すら溶かすって……なんであんな古代の化け物が、ポポロ村なんかに!?」
『ギギィィィッ!!』
死蟻機が俺たちを認識し、巨大な顎を開いた。その奥深くで、致死量の酸液がブクブクと泡立ち、発射の兆候を見せる。
普通の人間なら絶望して逃げ出す場面だろう。
だが、俺の心の中を支配していたのは、恐怖ではなく『純粋な怒り』だった。
「てめぇら……俺とスアイが、どれだけ苦労してあの畑の土壌のpH値を調整したと思ってんだ」
俺の低い声に、横にいたスアイがビクッと肩を震わせた。
「ただでさえ酸性に傾きやすい異世界の土を、絶妙な団粒構造にするための計算。消石灰の散布量。微生物の定着。そのすべてを、お前らは土足で踏み荒らした上に、酸性の唾液で台無しにしようってのか?」
ブラック企業時代、俺が手塩にかけて育てた実験用のキャベツ畑を、上司が「駐車場にするから」と勝手に重機で踏み荒らした時の記憶がフラッシュバックする。
俺の休日を奪い、畑を荒らす存在は、すべて万死に値する。
「リン。昨日教わった『農業殺法』、実戦で試させてもらうぞ」
俺が前に出ると、ハンモックから降りてきたリンがニヤリと笑って顎をしゃくった。
「おう。容赦すんなよ。エグく行け」
『ギジャァァァッ!!』
死蟻機が顎を大きく開き、高圧のホースから放たれるような勢いで、致死量の強酸ブレスを俺に向かって噴射した。
「ハルトっ!」
スアイの悲鳴が響く。だが俺は慌てることなく、左手に持った【URスコップ】を足元の泥に深々と突き立てた。
「目潰しからの、口封じだ」
バサァッ!!
スコップで掬い上げられた大量の泥が、URの理不尽判定によって弾丸のような速度で射出され、死蟻機の顔面に叩きつけられた。
泥の塊は、複眼を完全に塞ぐと同時に、大きく開かれていた大顎の奥――酸を噴射する器官に直接目詰まりを起こした。
『ギ、ギュルルッ!? ガボッ、ゴボボボボッ!!』
口の中に泥を詰まらせた死蟻機は、吐き出そうとした酸が体内で逆流し、苦悶の機械音を上げて大きくのけぞった。
リンのヤンキー喧嘩殺法、恐るべし。どんな強固な装甲を持っていようが、目と口を泥で物理的に塞がれれば隙だらけになる。
「そして、トドメだ」
俺は右手に握った【UR鎌】を構え、地面を蹴って死蟻機の懐へと潜り込んだ。
鋼鉄より硬いとされる金属の外殻。だが、俺にとってこいつらは、畑を荒らすただの『害虫』であり、俺のホワイトスローライフに生い茂る『雑草』に過ぎない。
――『UR鎌:所有者が「雑草(不要なもの)」と認識したあらゆるものを、根こそぎ刈り取る』
「俺の畑に、害虫は不要だ!」
俺はUR鎌を、死蟻機の極太の首筋に向かって横凪ぎに一閃した。
シュパァァァァンッ!!
硬質な金属音など一切鳴らなかった。まるで春の柔らかい草を刈り取るような、小気味良い音。
死蟻機の鋼鉄の首は、なんの抵抗もなくスパッと切断され、巨大な頭部がドスッと地面に転がり落ちた。
『ギチッ……』
残された胴体がビクビクと痙攣し、やがて完全に機能を停止した。
「……嘘、でしょ」
スアイが目を丸くして立ち尽くしている。
無理もない。かつて世界を滅ぼしかけた古代兵器が、麦わら帽子を被ったただの青年に、泥をぶっかけられた挙句、草刈り鎌で一刀両断されたのだから。
「いい筋してやがる。だがハルト、休む暇はねぇぞ」
リンが指差す森の奥。そこには、赤く発光する無数の複眼が、次々と暗闇に浮かび上がっていた。先行した斥候の死を察知し、後続の死蟻機部隊が押し寄せてきたのだ。ざっと見積もって二十体。
「何体来ようが同じだ。休日の草刈り(サービス残業)を終わらせるぞ」
俺はURスコップとUR鎌を構え、自ら蟲の群れへと突っ込んでいった。
泥を掬って顔面にぶちまけ、視界を奪ったところを鎌で首を落とす。酸を吐かれれば、鎌を一振りして「酸の軌道そのもの」を雑草として刈り取り(切断し)、無効化する。
農作業の延長線上にある流れるような無駄のない動きで、凶悪な古代兵器が次々と『ただの鉄クズ』へと解体されていく。
それはもはや戦闘ではなく、熟練の農家による一方的な『除草作業』だった。
* * *
『なんでだぁぁぁぁぁぁぁっ!!!』
次元を超えた天界の配信ルームで、炎上神ワイズの絶叫が響き渡った。
彼の目の前にあるモニターには、絶望の象徴であるはずの死蟻機部隊が、泥をぶっかけられては草刈り鎌で首を落とされるという、極めてシュールで一方的な解体ショーが映し出されていた。
『なんでだよ! 死蟲機軍団だぞ!? アナステシア世界で最も恐れられる、シリアス展開の代名詞だぞ! なんであんな麦わら帽子の男に、庭の草むしりみたいなテンポで処理されてんだよ!』
ワイズは頭を抱え、エンジェルすまーとふぉんの画面を睨みつけた。
ゴッドチューブのコメント欄は、またしても大いに湧いていた。
『草刈りRTA始まってて草』『泥ぶっかけのエグさよw』『農家最強伝説』『もはやただの害虫駆除業者』
視聴率は跳ね上がっているが、それはワイズの望んだ「悲劇への同情と勇者への熱狂」ではなく、「シュールなコメディ動画」としてのバズりだった。
『ふざけんな……俺のシリアス炎上プロットを、これ以上お笑いにしてたまるか……!』
ワイズの目に、狂気じみた光が宿る。
『斥候部隊が全滅するならそれでいい。本隊だ。天魔窟のゲートを全開にして、死蟲機の「本軍」と、合成死蟲将軍機をポポロ村に直行させてやる!!』
彼はキーボードを血が滲むほど強く叩きつけ、悪逆非道な追加コマンドを入力した。
* * *
「ふぅ……二十二体。これで全部か」
俺はUR鎌についた体液を軽く振り払い、空間収納へとしまった。
周囲には、綺麗に解体された死蟻機の残骸が転がっている。畑への被害はゼロだ。
「ハルト、あんた一体何者なのよ……」
スアイが信じられないという顔で、バラバラになった死蟻機の装甲をつついた。
「ただの農家だって言ってるだろ。……ん?」
俺は、スアイの足元に転がっている死蟻機の『切断面』を見て、ピタリと動きを止めた。
金属光沢の外殻の下。そこには、機械の配線やオイルなどではなく、ぷりぷりとした透き通るような『白い身』がぎっしりと詰まっていたのだ。
俺は思わず顔を近づけ、匂いを嗅いだ。
「おい、これ……」
「ど、どうしたの? やっぱり有毒なガスでも出てるの!?」
スアイが慌てて後ずさるが、俺は信じられない事実を口にした。
「……新鮮な『エビ』の匂いがするぞ」
「は?」
「絶対美味いエビの匂いだこれ。しかも、この身の弾力、最高級のブラックタイガーにそっくりだ」
異世界の狂気。恐るべき古代の殺戮兵器の中身は、極上の海産物(エビ味)だったのだ。
「マジかよ。じゃあこいつら、天ぷらやエビチリにしたら最高じゃねえか」
リンが目を輝かせて駆け寄ってきた。俺とリンは、死蟲機の残骸を前にして完全に「食材を吟味する目」になっていた。
だが、その平和な(?)食材探しの空気を、地鳴りのような重低音が引き裂いた。
ズズズズズズズズッ……!!
「……っ!」
俺たちは一斉に森の奥へ視線を向けた。
先ほどの斥候部隊とは比べ物にならない、森全体が揺れるような凄まじい足音の群れ。木々が次々とへし折られ、土煙が上がり、空が不気味な黒い雲(飛行型の群れ)に覆われ始めていた。
「どうやら、エビの養殖場ごとこっちに向かってきてるらしいぜ」
リンが獰猛な笑みを浮かべた。
俺は深くため息をつき、再び【農具箱】の気配を指先に呼び覚ました。
「休日の予定は完全にキャンセルだな。……よし、村の周囲に『絶対防衛線』を構築するぞ」
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