EP 7
聖獣直伝・定時で終わらせるための「農業殺法」
澄み切った青空の下、俺は日課の農作業を始めようと畑の前に立っていた。
「おいハルト、ちょっとそこ立ってろ」
気怠げな声に振り返った瞬間、リンの放った強烈な回し蹴りが俺の鼻先数ミリをかすめ、背後の太い丸太を一撃で粉砕した。
「……は?」
飛び散る木っ端を顔に浴びながら、俺は冷や汗を流して固まった。
「お前、いきなり何するんだよ! 労災下りないんだぞ!」
「馬鹿野郎、今のが実戦ならお前は死んでたぞ」
リンはジャラジャラとシルバーアクセサリーを鳴らしながら、首をコキッと鳴らした。その目は、普段のハンモックでポテトチップスを貪るニートのそれではなく、歴戦の闘争を潜り抜けてきた獣の目をしていた。
「お前のそのスコップと鍬が、地形を狂わせる規格外のチート兵器だってのはわかった。だがな、お前自身はただの人間だ。手数の多い相手や、超高速で動く相手に懐に潜り込まれたら、いくらスコップを振り回しても間に合わねぇぞ」
リンの指摘は的確だった。俺の【農具箱】のチートは、あくまで『農具を介した判定の拡張』だ。俺自身の身体能力や反射神経は、ちょっとタフな営業マンレベルでしかない。
「だから俺が、どんな相手でも定時(速攻)で終わらせるための実践的な『喧嘩』を叩き込んでやる」
「喧嘩、ねぇ……。聖獣様が教えるんだ、さぞかし高尚な武術なんだろうな」
「あ? 騎士団みたいな綺麗なフォームなんざいらねぇよ。いいか、相手が強そうなら、まずスコップで足元の泥を掬って、相手の目玉に思いっきりぶっかけろ」
「……え?」
「で、相手が『目があぁっ!』て怯んだ隙に、スコップの刃の角を金的か喉仏に全力で叩き込め。相手が倒れたら容赦なく踏みつけろ。それが基本だ」
「エグいエグいエグい! お前本当に聖獣かよ! ただの裏路地のヤンキーファイトじゃねえか!」
俺のツッコミに、近くで洗濯物を干していたスアイも「相変わらず品がないわね……」と呆れた顔をしている。だが、リンは真剣だった。
「泥臭くても勝てばいいんだよ。お前の農具は理不尽な概念兵器だ。綺麗に使う必要はねぇ。……だが、防御に回った時の『手数』をどうするかが課題だな。スコップは防御には向かねぇ」
手数の問題。それを解決するものが、俺の【農具箱】にはある。
俺は空間から、使い込まれた一本の『鎌』を取り出した。
「手数と防御なら、これがある」
「あ? なんだそりゃ。ただの草刈り鎌じゃねえか。刃も短ぇし、武器にしちゃリーチが足りねぇぞ」
――『UR鎌:所有者が「雑草(不要なもの)」と認識したあらゆるものを、根こそぎ刈り取る』
脳内にインフォメーションが浮かぶ。
「農業において、鎌は作物の成長を阻害する『雑草』を刈り取るためのものだ。……リン、お前の手加減した魔法を俺に撃ってみてくれ」
「ほぉ。怪我しても知らねぇぞ?」
リンがニヤリと笑い、指先にバチバチと紫色の放電を纏わせた。
第六の聖獣が放つ『聖なる雷』。いくら手加減しているとはいえ、直撃すればただでは済まない。
「いくぜ、ハルト!」
リンの指先から、バスケットボール大の雷球が音を立てて俺に向かって飛んできた。
俺は深呼吸をし、極限のブラック企業で培った『クレーム処理のメンタル』を呼び起こした。
理不尽な要求、終わらない業務、俺の定時退社を脅かすあらゆる障害。それらはすべて、俺の人生(畑)に生い茂る、ただの邪魔な『雑草』だ!
「俺の休日を脅かすものは、根こそぎ刈り取る!!」
俺は迫り来る雷球を『雑草』と認識し、UR鎌を横凪ぎに一閃した。
シュンッ……!
金属が空を切る軽い音が響いた直後。
実体を持たないはずの高密度の雷球が、まるで大根でも切られたかのようにスパッと真っ二つに分断され、そのまま空中に霧散して消滅した。
「……はぁ!?」
リンが素っ頓狂な声を上げ、目をひん剥いた。
スアイも持っていた洗濯カゴを落とし、唖然としている。
「い、今、雷の魔法を物理的に斬ったわよ……!? 魔法の構造そのものを切断するなんて、魔王様でも難しい芸当なのに!」
「俺が『俺の畑(人生)に不要な雑草』だと思えば、相手の放った魔法だろうが闘気だろうが、殺意そのものだろうが、この鎌の刃が根こそぎ刈り取る判定になるってことだ」
俺が鎌をクルッと回して見せると、リンは額に手を当てて天を仰いだ。
「スコップで地形を変えて、鎌で魔法ごと刈り取る……。もうお前、俺の護衛とかいらねぇだろ。マジで理不尽の極みだな」
「お前のヤンキー喧嘩殺法と合わせれば、まさに定時退社のための最強スタイルだ。サンキュー、リン」
「ふん。まぁ、俺がメシ食うための寄生先(ホワイト職場)だからな。鍛えてやって損はねぇ」
ひとしきり体を動かし、俺たちは縁側で休憩を取ることにした。
「はい、お疲れ様。冷やしたポポロコーヒーと、月見大根のサラダよ」
スアイがお盆に乗せて持ってきたのは、氷魔法でキンキンに冷やされた極上のコーヒーと、丸く美しい月見大根を薄切りにしてマヨ・ハーブで和えたシャキシャキのサラダだ。
「美味い! 労働の後の冷たいコーヒーは最高だな」
「ふふっ、ハルトの作った土のおかげで、大根がすごく瑞々しく育ったのよ。どんどん食べてね」
スアイが嬉しそうに俺の隣に座り、リンは「俺の分もっとよこせ」と皿を突き出している。
この世界に来てまだ数日だが、俺はこの村と、この仲間たちとの生活が心底気に入っていた。
過労死した俺への、神様(あのポンコツ女神はともかく)からのご褒美のようなスローライフ。
だが、その平和な空気を切り裂くように、ポツリ、と俺の頬に冷たい水滴が落ちた。
「ん? 雨か……?」
空を見上げると、いつの間にか太陽は分厚い灰色の雲に覆われ、パラパラと雨が降り始めていた。
「嫌な天気ね。急いで洗濯物を取り込まないと……」
スアイが立ち上がりかけた、その時だった。
「……待て。スアイ、洗濯物はそのままでいい。家の中に入れ!」
「えっ? どうして……」
「この雨、おかしいぞ」
俺は頬に落ちた雨粒を指で拭い、匂いを嗅いだ。
雨特有の土の匂いではない。鼻を突くような、ツンとした化学的な異臭。
足元の黒土に雨粒が落ちた瞬間、ジューッという微かな音と共に、土が白く変色し、細かな泡を立てたのだ。
「土のpH値が、異常な速度で酸性に傾いてる……。おい、これただの雨じゃないぞ。強酸性の雨だ!」
「強酸の雨ですって!? そんな魔法、私は知らないわ!」
スアイが顔を青ざめさせる。ハンモックでくつろいでいたリンも、舌打ちをして身を起こした。
風に乗って漂ってきたのは、自然の雨の匂いではない。無機質で腐ったような鉄と酸の匂い。
『カサカサ……カサカサカサカサ……!』
深く暗い森の奥から、無数の這いずるような不気味な足音が、俺たちの畑に向かって急激に近づいてきていた。
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