EP 5
休日の畑荒らしは、問答無用で肥料にする
静寂に包まれていたポポロ村の夜の森。
『ギギャァァァッ!』『ゲラゲラゲラッ!』
醜悪な奇声と共に、暗闇の中から無数の赤黒い瞳が浮かび上がり、俺たちの丹精込めた畑へと殺到してきた。
「おいおい、冗談だろ。ざっと百匹はいるぞ……」
俺は縁側から身を乗り出し、月明かりに照らされた集団の正体を確認した。緑色の小柄な体躯に、粗末な棍棒や錆びた剣を持つ魔物――ゴブリンの群れだ。
奴らはよだれを垂らしながら、まっすぐに俺とスアイが耕したばかりの『ふかふかの黒土』に向かっている。
「ちょっと! なんでこんな大群が急に村へ!? ゴブリンは普段、森の奥から出てこないはずなのに!」
スアイが慌てて鎖斧を構える。元魔将軍の彼女なら百匹のゴブリンなど敵ではないだろうが、問題はそこではない。乱戦になれば、せっかくの畑が奴らの泥足と血で踏み荒らされてしまう。
「あー、こりゃ誰かが意図的に誘導してんな」
ハンモックで寝転がったままのリンが、夜空を見上げて気怠そうに呟いた。
* * *
その推測は、次元を超えた天界のモニター越しに証明されていた。
『くくっ……さぁ、行け! 村を蹂躙しろ!』
炎上神ワイズは、専用のゲーミングノートPCのキーボードを叩き、下劣な笑みを浮かべていた。
彼のエンジェルすまーとふぉんの『モンスター誘導アプリ(課金アイテム)』によって、森の奥のゴブリンたちが不自然にポポロ村へと差し向けられていたのだ。
『まずはこのゴブリンの大群で村の畑を荒らし、住民をパニックに陥れる。そして絶望がピークに達した瞬間に、契約勇者ゼロスを颯爽と登場させて全滅させる! これぞ王道の炎上&救済プロット! ゴッドチューブの視聴率(PV)は俺のものだ!』
モニターの向こうで、ワイズは自らの完璧な演出に酔いしれていた。
『さぁ、泣き叫べ! お前らのそのスローライフ(笑)の畑が、グチャグチャに踏み荒らされる絶望の顔を見せてみろ!』
* * *
「ギギャァァァッ!!」
先頭のゴブリンが、よだれを垂らしながら俺たちの畑に汚い足を踏み入れようとした、その瞬間。
「……てめぇら。明日は俺の、完全休業日(休日)なんだよ」
ドスッ。
俺は縁側から畑の前に飛び降り、地を這うような低い声で凄んだ。
過労死するまで働かされた俺にとって、休日の平和を脅かす存在は、魔王だろうが魔獣だろうが絶対に許さない。ましてや、スアイと共に完璧に仕上げた土壌を荒らすなど、万死に値する。
俺の手に握られているのは、空間から取り出した銀色の【URジョウロ】。
「ハルト! 私が氷魔法で一気に凍らせるわ! 畑に被害が出る前に――」
「いや、スアイは下がっててくれ。奴らの汚い血や臓物で土の成分が変わったら厄介だ。……俺が『害虫駆除』する」
俺はURジョウロの口をゴブリンの大群に向けた。
――『URジョウロ:所有者が散布したいと念じた液体(水・肥料・農薬など)を、最適な濃度と範囲で無限に散布可能』
現代の農業において、作物を食い荒らす害虫へのアプローチは論理的かつ科学的だ。
俺の脳内に、農薬メーカー時代に叩き込まれた『選択性殺虫剤』の理論が展開される。作物の成長には一切の害を与えず、害虫の神経伝達物質のみをブロックして瞬時に行動不能にする化学の力。
「俺が『害虫』だと思えば、このジョウロから出る水は、そいつらにだけ効く致死性のデバフ液(農薬)になるってことだ」
「ギガッ?」
迫り来るゴブリンたちが、俺の構えたただのジョウロを見て嘲笑うように足を止めた。
「笑ってられるのも今のうちだぞ。……散布開始」
俺がジョウロを軽く傾けると。
ブシュウウウウウウウウウウウッ!!!
ジョウロの細い口から、ありえない水圧と範囲で、淡い緑色をした『気化性の液体』が扇状に大噴射された。
それは畑の土を一切濡らすことなく、空中で細かい霧となってゴブリンの大群の頭上へ降り注いだ。
「ギャギャッ!?」
霧を浴びた瞬間、ゴブリンたちの動きが完全に停止した。
『選択性害虫駆除液(対ゴブリン特化仕様)』。俺が設定したその理不尽なデバフ液は、奴らの闘気や魔力を完全に霧散させ、運動神経のみをシャットダウンする。
「ゲ、ゲゲェェェェ……ッ」
百匹近いゴブリンたちが、武器を構えた姿勢のまま、バタバタと白目を剥いて地面に倒れ伏していく。
血を一滴も流さず。畑を1ミリも荒らすことなく。
わずか十秒足らずの散布で、凶悪な魔獣の群れは『ただの動かない肉塊』へと変わったのだ。
「……えっ?」
後ろで構えていたスアイが、鎖斧を取り落として呆然としている。
「な、なにこれ……? 一体どういう魔法を使えば、こんな……」
「魔法じゃないよ。ただの農薬散布だ」
俺はジョウロを軽く振り、残ったミストを払い落としながらニコッと笑った。
「あいつらは畑の害虫だからな。これでしばらく動けないし、呼吸のたびに少しずつ体力が奪われて、やがて土に還る。……ふふっ、この分なら、明日の朝にはいい有機肥料になってるかもな」
「……」
元魔将軍のスアイが、俺の笑顔を見てドン引きして一歩後ずさった。
ハンモックの上のリンも、ポテトチップスを咥えたまま目を丸くしている。
「お、お前……怒らせると一番エグいタイプだな……」
「そうか? 農家としちゃ当たり前の害虫対策だろ。さ、休日前の睡眠を邪魔されたんだ。早く寝ようぜ」
* * *
『…………は?』
天界のモニター前で、炎上神ワイズの口からカプチーノがこぼれ落ちた。
血で血を洗うシリアスな防衛戦になるはずが、麦わら帽子の男がジョウロで霧を撒いただけで、大群が一瞬にして沈黙したのだ。
『な、なんだこのシュールな映像は!? ゴブリンが……ゴブリンがただの害虫みたいにピクピク痙攣してるだけじゃないか! こんなの、ただの農家の日常系動画だ! 俺の炎上プロットが! ゼロスの出番がぁぁぁっ!』
ゴッドチューブのコメント欄には、「なんだこれ草」「ジョウロ最強説」「害虫駆除ASMRかな?」といった草(w)のコメントが飛び交い、シリアスな炎上配信は、完全にコメディ動画として大スベリ(あるいは別ベクトルでバズり)していた。
ワイズが台パンしてキーボードを粉砕する音が、天界に空しく響いた。
* * *
翌朝。
休日を満喫しようと、遅めの朝日に伸びをしていた俺の耳に、ガラガラという重い車輪の音が聞こえてきた。
「ん? なんだあの派手な馬車……」
村の入り口から、金ピカの装飾が施されたド派手な巨大馬車が、こちらに向かって土煙を上げて進んでくる。
馬車には、大陸屈指の大企業『ゴルド商会』の紋章がデカデカと描かれていた。
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