EP 4
深夜の女子会と、ファミレスのドリンクバー
深夜二時。
明日の朝も早いというのに、俺は布団の中で目をバキバキに見開いていた。
農家の朝は早い。定時退社を死守するためには、十分な睡眠で体力を回復させ、日の出と共に効率よく農作業を開始するのが絶対条件だ。
だが、隣の居間から聞こえてくるやかましい笑い声と熱い議論が、俺の睡眠を容赦なく妨害していた。
「……あいつら、まだ起きてるのか」
俺は深いため息をつき、布団から這い出して居間の襖を少しだけ開けた。
そこには、ポポロ村の治安と俺の胃袋を脅かす、三人の厄介な女たちが円陣を組んでいた。
「だからね、ルナキン(ルナミス帝国発祥のファミレス『ルナミスキング』)のドリンクバーで一番コストパフォーマンスが高いのは、間違いなく『ロイヤル・メロン・カルピス』なのよ!」
グレーのスウェット姿のキャルルが、熱弁を振るっている。
「甘いですわ、キャルルさん! 確かにメロンソーダとカルピスの配合比率7対3は王道ですが、そこにエスプレッソの原液を数滴垂らすことで、味が引き締まって高級ホテルのカクテルのような深みが出ますのよ! これぞ人魚姫の秘伝『深海のアクア・ロースト』ですわ!」
小豆色の芋ジャージを着たリーザが、対抗するように腕を組んでドヤ顔を決めた。
「……あなたたち、元お姫様なんでしょ? なんでそんな、ファミレスの安いジュースを混ぜ合わせることに並々ならぬ情熱を注いでるのよ」
呆れたようにため息をついているのは、シルクのルームウェアを優雅に着こなした元魔将軍のスアイだ。彼女の傍らには、俺が作り置きしておいた『ハニーかぼちゃのチップス』の空き皿が積まれている。
どうやら、かつてルナミス帝国でシェアハウス生活を送っていたキャルルとリーザの思い出話に、スアイが巻き込まれているらしい。
「スアイ、ファミレスのドリンクバーを舐めちゃダメよ!」
キャルルが真剣な顔で身を乗り出す。
「金貨一枚にも満たない銅貨数枚で、何十種類もの飲み物が無限に楽しめるのよ!? 砂漠のオアシスより尊いシステムだわ! 私たち、冒険者の依頼がない休日は、朝の十時に入店して、夜の十時まで十二時間ぶっ続けでルナキンに居座ってたんだから!」
「迷惑な客の極みね……」
「迷惑ではありませんわ!」
リーザがバンッ!とちゃぶ台を叩いた。
「わたくしたちは、十二時間もの間、ただジュースを飲んでいたわけではありません! キャルルさんは魔導通信石でファッション誌を読み漁り、わたくしは無料のスープバーのワカメを極限まで掬い取って、持参したタッパーのご飯にかけて『即席ワカメおじや』を錬成するという、高度なサバイバル技術を磨いていたんですのよ!」
「それ、ただの乞食じゃない……」
スアイがドン引きしている。元氷魔将軍の彼女には、この極貧地下アイドルの逞しすぎる生態は理解の範疇を超えているらしい。
「まぁ、スアイにはこのドリンクバーの『戦術的な奥深さ』はわからないでしょうね」
キャルルが挑発するように笑うと、スアイの眉がピクリと動いた。
「……戦術、ですって?」
スアイの瞳の奥に、かつてアバロン魔皇国の軍を率いた『将軍』としての闘争心に火がついた音がした。
「ふん。ドリンクバーを『戦』に例えるなら、あなたたちの戦術は三流よ」
「なんですって!?」
スアイは立ち上がり、ちゃぶ台の上にあった湯呑みを指差した。
「よく聞きなさい。ドリンクバーにおいて最大の罠は『氷』よ。グラスの三割の体積を氷が占めることで、本来飲めるはずの液体量が大幅に減らされている。これは店側の巧妙な兵站削りの罠だわ」
「「はっ……!!」」
キャルルとリーザが、雷に打たれたように目を見開いた。
「だからこそ!」
スアイが右手に冷気を纏わせる。
「氷抜きでグラスの限界ギリギリまで液体を注ぎ、自らの『絶対零度の氷魔法』で急冷する! これこそが、コップ一杯の体積を極限まで支配し、店側から最大の利益を搾取する『魔将軍流・絶対氷結ドリンクバー戦術』よ!!」
「す、すごい……! さすがスアイさん、グラスの容積率にまで目を向けるなんて!」
「盲点でしたわ……! わたくしの深海のアクア・ローストも、氷を抜けばさらに原価率を回収できますのね!」
三人の美女が、深夜のちゃぶ台を囲んでファミレスの原価回収について熱く語り合っている。
世界を滅ぼしかけた魔将軍と、大国の姫君二人が、数百円の元を取るために知恵を絞る姿は、あまりにもシュールすぎた。
「……お前ら、いい加減に寝ろ」
俺はついに耐えきれず、襖を開けて居間に足を踏み入れた。
「あっ! ハルト!」
「ハルト様! 起きていらっしゃったんですのね!」
「ごめんなさいハルト、起こしちゃった? でも聞いて! スアイのドリンクバー戦術が凄いのよ!」
三人が一斉に俺に群がってくる。
「全部聞いてたよ。氷抜きで魔法で冷やすとか、出禁になるレベルの迷惑客だぞ」
俺は頭を掻きむしり、三人を見下ろした。
「そもそもな、お前らはドリンクバーという神聖な空間の『本当の使い方』を分かってない」
俺の低く沈んだ声に、三人が息を呑んだ。
「……本当の使い方?」
リーザがゴクリと喉を鳴らす。
「あぁ。ルナキンでの十二時間滞在? スープバーでワカメおじや? 甘いな。そんなのはただの『遊び』だ。前世で限界社畜だった俺にとって、深夜のファミレスのドリンクバーは、遊び場ではなく『戦場』だったんだ」
俺の脳裏に、終わらない月300時間の残業と、終電を逃した後の景色がフラッシュバックする。
「夜の十一時。会社を追い出されたが、明日の朝イチのプレゼン資料がまだ出来ていない。そんな時、俺たち社畜が行き着くのが24時間営業のファミレスだ。注文するのは、一番安い単品の『ブレンドコーヒー』ただ一杯」
「……え? メロンカルピスは作らないんですの?」
リーザが不思議そうに首を傾げる。
「甘いジュースなんて飲んでる余裕はない。必要なのは、眠気を殺すための純粋なカフェイン(燃料)だ。俺たちはコンセントのある隅の席に陣取り、冷めきって酸っぱくなった黒い泥水をちびちびと舐めながら、朝の五時までひたすらノートパソコンのキーを叩き続けるんだ……!」
俺の目に、うっすらと涙が滲む。
「店員からの『いつまで居座る気だこいつ』という冷たい視線。深夜のファミレス特有の、ヤンキーの笑い声とタバコの煙。その中で、ただひたすらにエクセルのセルを埋め続ける……! それが、ドリンクバーの真の姿だ!!」
居間が、静まり返った。
先ほどまでドリンクバーのコスパで盛り上がっていた三人が、まるで悲劇の英雄を見るような目で俺を見つめている。
「……ハルトぉぉぉぉっ!!」
キャルルが突然、大粒の涙をこぼして俺に抱きついてきた。
「なんて……なんて悲惨な過去なの! メロンソーダの甘さも知らずに、泥水みたいなコーヒーで夜を明かしていたなんて! 許せない……ハルトをそんな目に遭わせた会社、私が安全靴で粉砕してあげるわ!!」
「ハルト様……っ! わたくし、自分が恥ずかしいですわ!」
リーザも俺の足元にスライディング土下座をキメて号泣している。
「わたくしがワカメを掬って喜んでいる裏で、ハルト様はそんな地獄のサバイバルを……! これからは、わたくしがハルト様のために、最高の『深海のアクア・ロースト』を毎晩作って差し上げますわ!」
「……そうね。ハルトのその悲哀に満ちた過去の前では、私の戦術なんてただのおままごとだわ」
スアイも目を潤ませ、優しく俺の頭を撫でてきた。
「これからは、私の手料理で、その荒んだ胃袋と心を永遠に癒やしてあげるからね」
「いや、俺は別に慰めてほしくて言ったわけじゃ……」
三人の美女から強烈な同情(と重すぎる愛情)を向けられ、俺は身動きが取れなくなってしまった。
完全に藪蛇である。大人しく耳栓をして寝ていればよかった。
「ハルト! 私たち、絶対にあなたの定時退社を守り抜くわ!」
「ええ! わたくしの歌で、ハルト様のトラウマを浄化してみせますの!」
「今夜はハルトを真ん中にして、四人で川の字で寝ましょう!」
「やめろ! 暑苦しい! 明日の朝早いから一人で寝かせてくれぇぇぇっ!」
深夜三時のポポロ村。
結局、俺の布団の周りに三人が布団を敷き、完全に包囲された状態で朝を迎えることになった。
「すー……すー……」
「んふふ、ハルトぉ……」
「むにゃむにゃ……スパチャ……」
俺の左右と足元で、平和な寝息を立てる三人の女たち。
「……はぁ。定時で上がれても、プライベートの残業(気苦労)が多すぎるんだよな、この村」
俺は窓から差し込む朝の光を眺めながら、寝不足の頭でぼんやりと考えた。
リーザが「歌で浄化する」と言っていたが、そういえば彼女がみかん箱の上で歌っていたという、その歌声の『力』を、俺はまだ一度も聞いたことがなかった。
「……地下アイドルっていうくらいだから、どうせ大したことないだろうけどな」
俺はあくびを一つして、重い体を起こした。
今日は、彼女のその『地下アイドル活動』とやらを少しだけマシな形にしてやるために、村の広場に少しばかり手を加える予定だ。
俺のホワイト農場に、前代未聞の『手作りライブステージ』が建設されることになるのだが、それは今日の昼下がりのお話である。




