EP 3
施しは受けないアイドルと、極上農家飯(餌付け)
17時05分。
本日の定時退社を無事にキメた俺は、ポポロ村の我が家のキッチンで、中華鍋を豪快に振るっていた。
ジュワァァァァッ!! と、ごま油とニンニク、そして生姜の香りが爆発的に広がり、食欲という名の本能をダイレクトに殴りつけてくる。
「よし、肉椎茸の出汁がしっかり出てるな。ここに豆板醤を加えて……」
今日の一品は、リンの不正通販(天界の密輸ルート)で仕入れた地球の調味料と、俺の畑で採れた異世界野菜を融合させた究極の農家飯――『肉椎茸と号泣丸茄子の特濃麻婆炒め』だ。
号泣丸茄子というのは、火を通すと「あぁん、焼かれるぅぅっ!」と謎の悦びの涙(極上の旨味成分)を流すという、またしても変態的な性質を持った狂気野菜である。その涙が肉椎茸の濃厚なエキスと絡み合い、とろけるような麻婆の餡を形成していく。
「仕上げに、ネギを散らして完成だ!」
大皿にこんもりと盛られた麻婆炒めからは、湯気と共に凶悪なまでの美味のオーラが立ち上っていた。炊きたての『米麦草』の白飯と一緒に食えば、無限に箸が進む魔のコンボである。
「スアイ、リン! 飯ができたぞー!」
縁側に向かって声をかけようとした、その時だった。
『……じゅるり』
キッチンの勝手口のすりガラスの向こう側に、べったりと張り付く一つの影があった。
「うおっ!? びっくりした!」
俺が扉を開けると、そこには小豆色の芋ジャージを着た人魚姫――リーザが、窓ガラスに鼻を押し付け、滝のようなよだれを垂らして突っ立っていた。彼女の右手には、いつものようにパサパサの『パンの耳』が握りしめられている。
「……お前、そんなところで何してるんだ。まるでマッチ売りの少女の最終形態みたいになってるぞ」
「ち、違いますわ! わたくしはただ、発声練習のための散歩をしていただけですの! 決して、その信じられないほどいい匂いにつられて、無意識に足が動いてしまったわけではありませんわ!」
リーザは必死に強がるが、そのお腹からは「ぐきゅるるるるるるるるるるっ!!」という、深海の海王類が咆哮を上げているかのような轟音が鳴り響いていた。
パンの耳と茹で卵、それに雑草サラダしか食べていない16歳の少女には、このニンニクとごま油の暴力的な匂いは毒すぎるだろう。
「……まぁいい。ちょうどたくさん作ったところだ。お前も一緒に食うか?」
俺が麻婆炒めの皿を示して提案すると、リーザはハッと我に返り、芋ジャージの襟を正してビシッと腕を組んだ。
「お断りですわ!」
「は?」
「アイドルたるもの、ファンからの『応援』以外の施しは受けないんですの! 無料でご飯をもらうなんて、それはただの『同情』! わたくしの気高い人魚のプライドが許しませんわ!」
リーザは胸を張り、キリッとした顔で言い放った。
「キャルルさんのサンドイッチの時は、あまりの不意打ちに負けてしまいましたけれど……わたくしはプロの地下アイドル。ファン達の時間を奪い、その見返りとして夢と魔法を提供する存在! 対価のない食事など、パンの耳以下ですの!」
彼女の瞳には、地下アイドルとしての謎の矜持がメラメラと燃え上がっていた。
「だから、その美味しそうな謎のお料理は、わたくしの前で一人で食べてくださいませ! わたくしは、このパンの耳を麻婆の『匂い』でおかずにしますわ!」
「……どんだけ悲惨な食事スタイルなんだよ」
俺は頭を痛めた。
パチンコ屋の床で銀玉を拾う図太さがあるくせに、変なところだけ『アイドルとしてのプライド』が邪魔をしているらしい。
だが、農家として、目の前で腹を空かせているガキ(しかも自分の作った野菜の匂いを嗅いでいる奴)を放置するわけにはいかない。
前世で月300時間の残業をこなし、数々の理不尽な取引先を相手にしてきた俺の『社畜の知恵』が、この面倒なアイドルのプライドを突破する完璧なロジックを弾き出した。
「……そうか。じゃあ、仕方ないな」
俺はわざとらしく、深ぁぁぁぁいため息をついた。
「実はな、リーザ。俺は今、すごく困ってるんだ」
「こ、困っている、とは……?」
麻婆炒めから目を離せないまま、リーザがウサギのように耳を傾ける。
「この『号泣丸茄子』なんだが、収穫の時に少し傷がついてしまってな。いわゆる『規格外のB級品』なんだ。俺たちだけじゃとても食べきれない量を作っちまったんだが……このまま残せば、悲しい『食品ロス(廃棄)』になってしまう」
俺は深刻な顔で、麻婆炒めの皿を見つめた。
「廃棄するには、村の処理場にお金を払わなきゃならない。農家としては大赤字だ。……あぁ、誰か『食品廃棄の代行業者』として、これを処分(食べて)してくれる優秀な人材はいないものか。もちろん、これは『仕事』だから、対価としてこの飯を処理してもらうって形になるんだが……」
俺がチラリとリーザを見ると、彼女の瞳孔が限界までカッと見開かれていた。
「……し、仕事。ビジネス……! つまり、それは『施し』ではなく、ハルト様からの『業務委託』ということですのね!?」
「あぁ、そうだ。厳正なる外注だ。どうだ、お前、この廃棄処理の仕事を引き受けてくれないか?」
「やりますぅぅぅぅぅぅっ!!!」
リーザは光の速さで勝手口からキッチンへと滑り込み、俺の手から麻婆炒めの皿と、白飯の入った丼を奪い取った。
「SDGs! フードロス削減! わたくし、エコアイドルとしてこの重要なミッション、謹んでお受けいたしますわぁぁぁっ!」
言い訳を与えられた瞬間の、この圧倒的な手のひら返し。
リーザはダイニングテーブルに座るなり、「いただきますの!」と手を合わせ、スプーンでたっぷりの麻婆炒めをすくい、白飯の上に乗せて一気に口へと掻き込んだ。
「はふっ、はふっ、んんんんんんんんっっ!?」
一口食べた瞬間、リーザの背中がビクンッと大きく跳ねた。
「な、なんですの、これぇぇぇっ!?」
彼女は信じられないものを見るような目で、スプーンを見つめた。
「お口に入れた瞬間、ピリッとした辛味が来たと思ったら、お茄子から信じられないくらい甘くて濃厚な旨味(涙)がジュワァァァッて溢れ出してきましたわ! しかも、このお肉(椎茸)の弾力! 噛めば噛むほど深いコクが押し寄せてきて、それをふっくらとしたお米が優しく包み込んで……!」
リーザの目から、本物の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「こんなの、お城の専属シェフが作る最高級の海鮮料理より、何百倍も美味しいですわ……! わたくし、今までパンの耳なんかで生きてきて、人生の半分を損してましたのぉぉぉっ!!」
「おうおう、食いっぷりがいいなぁ、新入り」
いつの間にかキッチンに入ってきていたリンが、冷蔵庫からイモッカのソーダ割りを取り出しながら笑った。
「ゆっくり食えよ。ハルトの飯は、一度食ったらもう他のもんじゃ満足できなくなる『呪い(祝福)』がかかってるからな」
「はふっ、はぐっ、んぐっ……おかわりですのぉぉっ!!」
リーザはあっという間に丼を空にし、俺に空の茶碗を突き出してきた。
「はいはい。いっぱいあるから、胃が破裂しない程度に食えよ」
結局、リーザは白飯を三杯おかわりし、大皿にあった麻婆炒めを一人で七割方平らげてしまった。
「ふぅぅ……んふぅぅ……」
食後のリーザは、お腹をポンポコリンに膨らませ、椅子に深くもたれかかりながら、天国にでも登りそうな恍惚の表情を浮かべていた。
「どうだ、廃棄処理業務の具合は」
俺が苦笑しながらお茶を差し出すと、リーザは突然ガタッと椅子から立ち上がり、俺の目の前で再び、あの完璧なフォームの『スライディング土下座』をキメた。
「ハルト様……いや、プロデューサー様!!」
「だからプロデューサーじゃねぇって」
「わたくし、決めましたわ! これから、わたくしのアイドル活動の全権は、ハルトPに委ねます! あなたの作るこの『極上のお野菜』こそが、わたくしの歌の源! わたくしを、ポポロ村の専属アイドルとして雇ってくださいませ!」
リーザは俺のズボンの裾をギュッと掴み、上目遣いで懇願してきた。
「わたくし、歌います! 踊ります! ファンの時間を奪い尽くして、代わりに最高の幸せをあげますわ! だから……だから、毎食このご飯を食べさせてくださいぃぃぃっ!」
「……結局、胃袋を完全に掌握されちゃったわね、あの子」
後から入ってきたスアイが、呆れたようにため息をついた。
「まぁ、ハルトの手料理の前に陥落しない女なんて、この世界にはいないってことね。……でも、私のポジションは譲らないからね?」
スアイがチラリとリーザを睨み、冷気と謎の牽制を放つ。
「ふふんっ! わたくしはトップアイドル! プロデューサーの一番の推しは、このわたくしに決まってますわ!」
リーザが芋ジャージ姿で立ち上がり、満腹のお腹を揺らしながらドヤ顔で言い返した。
俺はキッチンカウンターに肘をつき、深く、深くため息をついた。
「……俺はただ、定時退社して、美味い飯を食って寝たいだけなんだよ。なんで俺の周りには、こうも面倒な居候(女たち)が増えていくんだ……」
「諦めろハルト。お前のその『社畜の知恵』と『極上の飯』が、厄介な奴らを引き寄せるフェロモンになってんだよ」
リンが肩をポンと叩いて笑う。
こうして、極貧地下アイドル人魚姫・リーザは、俺の巧妙な『外注』と『極上農家飯』によって完全に餌付けされ、ポポロ村の(そして俺の)厄介な居候リストに正式に名を連ねることとなった。
だが、彼女がただの『大食いの居候』で終わらないことを、俺たちはまだ知らなかった。
彼女の歌声が、この村にどれほどの『奇跡』と『カオス』をもたらすのか。
そして、その歌声が、深海から迫る偵察部隊の耳に届いてしまうということも……。
「とりあえず、明日の朝は、胃に優しいお粥にしてやるか……」
俺は空になった麻婆炒めの皿を洗いながら、新たな家族(?)の食生活について頭を悩ませるのだった。
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