EP 10
翌朝の土下座と、忍び寄る暗部の影
チュン、チュン……。
ポポロ村に、爽やかな朝の小鳥のさえずりが響き渡った。
だが、俺は昨晩から一睡もできていなかった。家の周囲を覆った厚さ五メートルの土のドームの中で、壁の外から聞こえてくる「一緒に健康になろうよぉぉっ!」というキャルルのホラー映画さながらの絶叫に、ガタガタと震え続けていたからだ。
「……静かになったな。もう朝か」
俺は恐る恐る立ち上がり、手に持っていた【URスコップ】を目の前の分厚い土壁に突き立てた。
「俺が『ただの平地』だと思えば、この土壁は元の地面に還る!」
ズズズズズ……ッ!
UR農具の理不尽判定により、一夜にして我が家を守り抜いた巨大な土のドームが、音もなくサラサラと崩れ落ち、元のふかふかな黒土の地面と同化した。
眩しい朝日が差し込み、俺と、俺の後ろで身を寄せ合って震えていたスアイとリンが、ホッと安堵の息を吐いた。
「助かった……。俺、聖獣として何百年も生きてきたけど、昨日の夜が一番命の危機(健康の危機)を感じたぜ……」
リンがゲッソリとした顔で呟く。
「あれは魔法の暴力よ……。暴力で肉体を破壊して、強制的に全回復させるなんて、魔王軍の拷問でもあそこまでエグいことはしないわ……」
元魔将軍のスアイですら、恐怖に顔を引きつらせている。
俺たちが恐る恐る村の広場の方へ出てみると、そこには凄まじい光景が広がっていた。
地面にはキャルルの『流星脚』や『月影流・顎砕き』によって抉られた無数のクレーターが口を開け、木々はなぎ倒され、まるで大規模な爆撃を受けた後のような惨状だった。
だが、それ以上に異様だったのは、村人たちの様子だ。
「おはようございます、ハルトさん! いやぁ、いい朝ですねぇ!」
「ハルト兄ちゃん、おはよう! オレ、昨日から体が羽みたいに軽いんだ!」
「村長さんのマッサージ、最初は死ぬかと思ったけど、終わってみたら何十年来の腰痛がスッキリ治っちまいましてね! これ、お礼に持ってきたとれたての野菜です!」
村人たちは、一人残らずツヤツヤの顔色で、ピンと背筋を伸ばし、異常なまでのハイテンションで朝のラジオ体操をしていたのだ。
キャルルの『理不尽な強制全回復カチコミ』は、彼らに強烈な恐怖と引き換えに、究極の健康体をもたらしていた。
「な、なんてサイコパスな整体師なんだ……」
俺が呆然としていると、広場の奥から猛烈な土煙を上げて『何か』がこちらへ突進してきた。
「ハルトォォォォォォォッ!!」
ズザァァァァァァァァァァァッ!!!
マッハの速度で突っ込んできたその影は、俺たちの数メートル手前で地面に膝をつけ、凄まじい勢いでスライディング土下座をキメた。
摩擦で土煙が上がり、特注のタローマン安全靴がキュルルルッ!と音を立ててブレーキをかける。
「ごめんなさぁぁぁぁぁいっ!! 私、またやっちゃったぁぁぁっ!!」
土下座の姿勢のまま大号泣しているのは、すっかり正気を取り戻したウサギ耳の姫君――新村長のキャルルだった。
昨晩のヤンデレやサイコパスの片鱗はどこへやら、今はただの自己嫌悪に陥った小動物のようにブルブルと震えている。
「あ、あの……キャルル村長?」
「うぅぅっ……満月の光を浴びたら、理性が飛んじゃって、みんなを健康にしたいっていう謎の衝動が抑えきれなくて……! ハルトにも怖い思いさせちゃったよね! 嫌いにならないでぇぇっ!」
キャルルは涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、俺の足にすがりついてきた。
「わかった、わかったから顔を上げろ。村の連中は、むしろ感謝して貢ぎ物まで持ってくるくらい元気になってるから」
俺が苦笑いしながら彼女の頭を撫でてやると、キャルルは「ほんと……?」と上目遣いで俺を見上げた。
「……俺は許してへんぞワレェェェ!!」
そこへ、ボロボロに引き裂かれたアルマーニのスーツ(残骸)を身に纏い、ほぼ全裸に近い状態の極道邪神・デュアダロスが涙目で歩いてきた。
顔色や肉体はキャルルの回復魔法のおかげでピカピカの絶好調なのだが、その精神とプライドはズタズタに引き裂かれていた。
「俺の、俺の特注のスーツが塵になったんやぞ! おまけに村の衆の前で空中コンボ決められて、極道としてのメンツが丸潰れや!」
「ご、ごめんねデュアダロス! 新しいスーツ、私がお詫びに縫ってあげるから! 頑丈なやつにするから許して!」
「……ホンマか? アルマーニより丈夫なやつ頼むで、姐さん……」
極道邪神は、キャルルへの恐怖から完全に「姐さん」と呼んで服従するようになってしまった。
俺は咳払いをして、皆の注目を集めた。
「よし。これで一つ、俺たちのホワイト農場に新しいルール(コンプライアンス)ができたな」
俺はビシッと指を突き立てて宣言した。
「『満月の夜は、定時退社後の外出を絶対禁止とする』! 残業も夜這いも健康カチコミも厳禁! これを破った奴は、翌日のおやつ抜きだ!」
「賛成!」「異議なし!」「俺も大人しく寝るわ……」
スアイ、リン、そしてデュアダロスが即座に同意し、キャルルも「はいぃ……気をつけます」と小さく頷いた。
「よし、一件落着だ。それじゃあ、朝飯にしよう」
俺たちが縁側に戻ると、スアイがすでに手際よく朝食を用意してくれていた。
メニューは、厚切りの米麦草パンのトースト、トライバードの目玉焼き、そして昨日騒動を巻き起こした『お祈りレタス』の塩ドレッシングサラダだ。
「わぁっ! これ、私がルナミスにいた時によく食べてた『ルナキンの朝定食』みたい!」
キャルルがパッと顔を輝かせ、トーストに昨日作った赤面ベリーのジャムをたっぷりと塗ってパクリと頬張った。
「ん〜っ! 美味しい! ハルトとスアイのご飯、毎日食べられるなんて最高だわ!」
「たくさんお食べ。昨日走り回ってお腹空いてるでしょ」
スアイがまるでお母さんのように微笑みながら、キャルルにポポロコーヒーを注いでやる。
「なんだかんだで、賑やかでいい朝じゃねぇか」
リンがトーストをかじりながら笑い、俺もコーヒーを啜りながら大きく頷いた。
「ああ。色々と規格外の奴らが集まってきたが……このホワイトな日常を守るのが、俺の仕事だからな」
朝の優しい光の中、俺たちの食卓は笑い声に包まれていた。
極道邪神がパシリとして働き、ウサギ耳の姫君が美味い飯に胃袋を掴まれ、元魔将軍と聖獣がそれを囲む。
俺が前世で決して手に入れることのできなかった「当たり前の幸せ」が、ここには確かに存在していた。
* * *
だが、光が強ければ強いほど、そこに落ちる影もまた濃くなる。
ポポロ村の境界線、深く薄暗い森の入り口。
「……チッ。シャバの空気っちゅうのは、どいつもこいつも物騒やのぅ」
朝食の輪から離れ、村の周囲のゴミ拾いとパトロール(という名の下働き)を再開していたデュアダロスは、アルマーニの残骸のポケットから太い葉巻を取り出し、火をつけた。
紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
彼のギラついた邪神の瞳が、森の深い暗がりをジッと睨みつけていた。
『カサッ……』
風もないのに、森の奥の茂みが微かに揺れる。
獣の匂い。血の匂い。そして、冷たく訓練された『殺気』。
「……臭えな。王国の『暗部』のドブネズミどもが、ウサギの姐さんを嗅ぎ回ってやがる」
デュアダロスは葉巻を噛み潰し、ドス黒いオーラを微かに漂わせた。
「姐さんが家出してきたんは知っとるが……俺のシマ(村)に土足で踏み入る度胸があるんやったら、極道の恐ろしさ、教えたらなあかんな」
レオンハート獣人王国。
かつてキャルルを『籠の鳥』として、そして『無休の兵器』として縛り付けていたブラック国家の追手が、ついにポポロ村の境界線まで迫っていたのだ。
平和なホワイト農場を脅かす、次なる『残業案件』の影。
俺たちの定時退社ライフは、まだまだ平穏には終わらせてもらえそうになかった。




