EP 9
満月の夜。月兎族の「理不尽な強制全回復カチコミ」
ポポロ村の夜空に、見事なまでにまん丸の、煌々とした満月が浮かんでいた。
17時を回って完全なる『定時退社』をキメた俺たちは、縁側にちゃぶ台を出し、スアイが作った月見大根の浅漬けと、リンが不正通販で取り寄せた地球の日本酒で、優雅な月見酒と洒落込んでいた。
「いやぁ、平和だな。夜風が涼しくて、酒が美味い」
俺が湯呑みに注いだ日本酒をちびちびとやっていると、隣に座っていたキャルルの様子が、先ほどから少しおかしいことに気づいた。
彼女の頭から生えている真っ白なウサギの耳が、アンテナのようにピンと直立し、小刻みにブルブルと震えている。
グレーのパーカーの袖を無意識に捲り上げ、その瞳孔は満月の光を反射して、ギンギンに開ききっていた。
「……ハルトォ」
キャルルの口から、地を這うような、やけに湿度の高い声が漏れた。
「ど、どうした村長? 苺食べすぎて腹でも壊したか?」
「違うわ……。満月よ。私、月兎族だから……満月の光を浴びると、体の奥底から無限の『回復力』と『体力』が湧き上がってくるの……!」
キャルルは立ち上がり、フーッ、フーッ、と荒い息を吐きながら、特注のタローマン安全靴のつま先で、縁側の床板をトン、トン、とリズミカルに叩き始めた。
「あぁ……ダメ。私の中に満ち溢れるこの『癒やしのパワー』、誰かに分け与えないと爆発しちゃう! ハルト、スアイ、リン! みんな、今日の農作業で疲れてるでしょぉぉっ!?」
「い、いや、俺たちはきっちり定時で上がったし、疲労なんて全然……」
俺が後ずさった、次の瞬間だった。
『バシュゥゥゥゥッ!!』
キャルルの姿が、まるでかき消えるように俺たちの目の前から消失した。
「……は?」
遅れて、空気を切り裂くような凄まじい衝撃波が縁側を襲い、ちゃぶ台の上の皿がガタガタと踊った。
「お、おいハルト。今の速度、音速超えてたぞ。巡航ミサイル並みの初速だぜ」
ハンモックで寝転がっていたリンが、顔を青ざめさせて身を起こした。
スアイも持っていた杯を取り落とし、村の中心部へと視線を向ける。
「あぁぁぁっ! キャルル村長、やめてぇぇ!」
「痛い! 痛い! けど超元気ぃぃっ! 肩こりが治ったぁぁっ、でも顎が痛いぃぃっ!」
村のあちこちから、住民たちの悲鳴と、謎の歓喜の声が入り混じったカオスな絶叫が上がり始めた。
「な、何が起きてるんだ!?」
俺たちが急いで村の広場に向かうと、そこにはこの世の地獄……いや、極端すぎる天国が広がっていた。
満月の光を浴びてハイテンションモードに突入したキャルルが、マッハ1の速度で村中を駆け巡り、村人たちに『強制全回復』を施していたのだ。
だが、その回復の手段が異常すぎた。
「そこの八百屋のおじさん! 腰が痛そうね! 『月影流・顎砕き』!!」
ドゴォォォンッ!!
キャルルが両手に構えたダブルトンファーで八百屋の親父の体勢を崩し、闘気を纏わせた膝蹴りを顎にクリーンヒットさせる。親父の体が宙を舞うが、その直後、キャルルの手から放たれた『月光薬(満月の力で精製した秘伝の全回復薬)』の光が親父を包み込む。
「ブゴァッ……! はっ!? 腰のヘルニアが完治しとる! 体が羽のように軽いぞぉぉっ!」
「そこの奥さん! 最近寝不足でしょ! 『月影流・鐘打ち』!」
バギィッ!!
特注の安全靴による強烈な回し蹴りが奥さんのボディに炸裂し、同時に月光の回復魔法が浸透する。
「キャアァァッ!……あれ? お肌の調子が10代の頃に戻ってるわぁぁっ!」
暴力を介して相手の肉体を限界まで破壊し、その瞬間に満月のチート回復魔法を叩き込む。
それはまさに、地獄のヤキ入れと天国の癒やしを同時に味わわせる『理不尽な強制全回復カチコミ』だった。
「だ、ダメだあいつ! 善意の塊だからタチが悪すぎる! 完璧なサイコパス整体師だ!」
俺が顔を引きつらせていると、広場の反対側から、のんきに葉巻をくわえた男が歩いてきた。
「おうハルト。パトロール(という名の散歩)終わったで。今日の夜食は残っとらんの――」
極道邪神、デュアダロス。
彼が広場に姿を現した瞬間、暴れ回っていたキャルルのウサギ耳が、ピーン!と邪神の方角をロックオンした。
「ああっ! デュアダロス! あなた、昨日私に怒られて精神的に疲弊してたわよね! メンタルの疲労は肉体から! 私がバッチリ回復させてあげるぅぅっ!」
「は? 何言っとんねん姐さん。俺は邪神やぞ、疲労なんか――」
『シュバァァァァッ!!』
デュアダロスが言い終わる前に、マッハ1で距離を詰めたキャルルが、彼の目の前に出現した。
「『月影流・乱れ鐘打ち』!!」
「なっ!?」
ドガガガガガガガガガッ!!!
安全靴による連続回し蹴りの嵐が、アルマーニのスーツを着たイケメンヤクザをタコ殴りにする。
「ンゴブァァァァッ!? ちょっ、姐さ、タンマ! 痛い! 痛――あれ? 痛くない?」
ボコボコにされながらも、殴られた端からキャルルの『満月完全回復』が発動するため、デュアダロスの体力は常にMAX状態を維持し続ける。
「まだまだぁぁっ! とっておき、いくわよぉぉぉっ!!」
キャルルはデュアダロスの顔面を蹴り上げ、彼を遥か上空へとカチ上げた。
そして自らはクラウチングスタートの姿勢を取り、安全靴に仕込まれた『雷竜石』を限界まで解放する。
バリバリバリバリッ!!!
紫電の雷光と凄まじい闘気が、キャルルの足元に収束していく。
「なんだあのエネルギー量は……! 空間が歪んでやがる!」
リンがサングラスをかけ直して息を呑んだ。
「みんなの疲労、吹き飛べぇぇぇぇっ! 『流星脚』!!」
キャルルが地面を蹴り、空中に打ち上げられたデュアダロスに向かって、マッハの速度で飛び蹴りを放った。
空中を一回転し、トップスピードで放たれる必殺のライダーキック。
その威力、実に33,750ジュール。
ズドゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
隕石の衝突にも等しい凄まじい爆音が、ポポロ村の夜空に響き渡った。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
デュアダロスは全身の骨が粉砕されるような衝撃を受け、地面にクレーターを作りながら叩きつけられた。アルマーニのスーツは完全に塵と化し、彼は白目を剥いて完全に沈黙した。
「……死んだわね、あの邪神」
スアイが手を合わせて南無南無と拝む。
だが、次の瞬間。キャルルがふわりと地面に着地し、クレーターの底のデュアダロスに向かって、濃厚な満月の光(月光薬)をぶっかけた。
「ほら! 疲労回復完了よっ!」
「ハッ!?」
デュアダロスが、まるで温泉から上がったようにツヤツヤの顔で飛び起きた。
「うおぉぉっ! 体が軽い! 生まれてから一度も感じたことないくらい絶好調や!……って、アホかァァァァッ!!」
デュアダロスは自分の無惨な姿(ほぼ全裸)を見て、涙と鼻水を撒き散らしながら絶叫した。
「こんな理不尽なシノギあるかぁぁっ! ボコボコにされて全回復って、精神が拷問の無限ループやんけ! シャバの空気は地獄やぁぁっ!」
「ふふふっ、デュアダロス、元気になって良かったわね! さぁ、次は誰の疲労を取ってあげようかしらぁぁっ!?」
キャルルの血走った瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
「「「ヒィィィィィィッ!!?」」」
俺、リン、スアイの三人は、かつてないほどの死の(健康の)恐怖を感じ、踵を返して自宅へと全力疾走した。
「ハルト! スアイ! リン! 逃げないでぇ! 肩甲骨剥がしてあげるからぁぁっ!」
「来るなァァッ! 俺たちは定時退社して風呂にも入ったから超元気だ! 健康なんだよぉぉっ!」
俺は自宅に駆け込むと、愛用の【URスコップ】を庭先の土に突き立てた。
「俺が『鉄壁』だと思えば、この土は最強の城壁になる!!」
ズドゴォォォォンッ!
我が家の周囲を、厚さ五メートルの巨大な土のドームが覆い尽くし、完全なバリケードを形成する。
ドスッ! バキィッ!!
「開けてぇぇ! ハルトぉ! 一緒に健康になろうよぉぉっ!」
外からは、マッハの速度で土壁を蹴り破ろうとするキャルルの安全靴の音が、ホラー映画のように一晩中鳴り響いていた。
「……どうやら、月に一度の満月の夜は、俺たちにとって『絶対残業(外出)禁止』の特異日になりそうだな」
俺は土壁のドームの中で膝を抱え、ガタガタと震えながら朝を待つしかなかった。
こうして、ポポロ村の住人たち(と極道邪神)は、キャルルの迷惑すぎる善意の暴力によって、かつてないほどの健康体と、深い精神的トラウマを抱えたまま、長い長い満月の夜を越えるのであった。




