EP 8
絶望の「お祈りレタス」大量発生事件
昨日完成したばかりの、全長五十メートルに及ぶ『絶対環境制御型・チートビニールハウス』。その温室のすぐ横にある露地栽培のエリアへと、俺は朝の澄んだ空気を吸い込みながら歩を進めていた。
「さて、昨日蒔いた太陽芋の様子でも見るか……ん?」
畑の境界線に一歩足を踏み入れた瞬間、俺は自分の目を疑った。
露地栽培エリアの一角が、たった一晩のうちに、不自然なほど瑞々しく鮮やかな緑色の葉で埋め尽くされていたのだ。見た目は、地球のサニーレタスやロメインレタスに実によく似ている。朝露を浴びてシャキシャキと輝くその葉は、サラダにしたら最高に美味そうだ。
「なんだこれ? こんな野菜、植えた覚えはないぞ……」
俺が不思議に思って近づくと、俺の指先に【農具箱】のインフォメーションが、かつてないほどの警報音と共に流れ込んできた。
――『危険変異品種:折れたス(お祈りレタス)。包丁で千切ろうとしたり、口に入れようとした瞬間、食べた者の精神回路へ直接、現代地球の社会における【あの魂を粉砕する絶望の不採用通知(お祈りメール)】の音声をテレパシーとして響かせる最悪の精神汚染野菜』
「お、お祈りレタスだと……っ!?」
俺はあまりの恐怖に、思わずその野菜から三歩後ずさった。
前世で、就職活動中に何十社、何百社と落とされ、ポストを開けるたびに胃壁がよじれるような痛みを味わったあの記憶が、最悪の形でフラッシュバックする。
「異世界の魔法変異、いくらなんでも容赦なさすぎるだろ! なんでこんな現代社会の闇を煮詰めたような野菜が、俺のホワイト農場に自生してんだよ!」
「おうハルト、朝っぱらから何大声出してんだよ。だるいなぁ」
縁側の方から、シルバーアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら、銀髪のヤンキー聖獣ことリンがあくびを交えて歩いてきた。その手には、キャルルからもらったばかりの人参味の飴玉が握られている。
「あ、リン。ちょうどいいところに。そこのレタス、絶対に触るなよ。そいつは――」
「あ? なんだ、美味そうなレタスじゃねぇか。ちょうどお腹減ってたんだわ」
「待て、話を聞け!」
俺の制止も虚しく、リンは「プチッ」と、ダイナミックにレタスの葉を一枚、素手で千切って口に放り込んでしまった。
シャキッ、と小気味良い咀嚼音が響いた、その直後だった。
リンの全身から闘気がサーッと引いていき、彼のイケメンな顔が、見たこともないほどドス黒い「絶望」の表情へと染まっていった。
『脳内再生音声:……慎重に選考を重ねました結果、誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくこととなりました。なお、リン様の今後のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます』
「…………あ」
リンは手に持っていたポテトチップスの袋を落とし、そのまま畑の隅へとトボトボと歩いていくと、膝を抱えて体育座りを始めた。その背中からは、ドス黒い「虚無」のオーラが立ち上っている。
「おい、リン!? 大丈夫か!?」
「……俺、何のために生きてんだろ。聖獣とかやってるけど、結局どこにも必要とされてない不採用個体なんだわ……。もう一生、このハンモックから出たくねぇ……」
「リンが、あの最強の聖獣が一瞬で鬱になった!?」
俺が戦慄していると、村長室からラフな現代風の格好をした新村長、キャルルが特注のタローマン安全靴をコツコツと鳴らしながらやってきた。ポケットから飴玉を取り出しようとしていた彼女は、リンの惨状を見て小首を傾げた。
「あら、ハルト、リンがどうかしたの?……まぁ、瑞々しくて美味しそうなレタスね! 一口もらっちゃおうかしら♡」
「キャルル、食べるな! それは――」
遅かった。キャルルは無邪気にレタスの葉を千切り、パクリと口に含んだ。
咀嚼した瞬間、彼女の真っ白なウサギ耳が、恐怖を感知したようにピンと直立し、顔全体がみるみるうちに土色へと変わっていった。
『脳内再生音声:……大変甲乙つけがたい優秀な成績ではございましたが、採用枠の兼ね合いから、誠に遺憾ながら……』
期待を持たせて落とす最悪の【最終面接お祈り種(激レア)】だ。
「……うそ。私、近衛騎士隊長の最終面接で、あんなに頑張ったのに……『兼ね合い』って何よぉぉぉっ!!」
キャルルはその場に崩れ落ち、人参柄の手作りハンカチを顔に当てて大号泣し始めた。
「私の愛も、私の流星脚も、王国の採用枠には入らなかったのねぇぇぇっ! もう嫌! 引きこもって一生同人誌だけ読んでたいぃぃぃっ!」
「キャルルまで完全崩壊した!?」
さらに最悪なことに、朝食の準備をしていたスアイや、パトロール中だった極道邪神デュアダロスまでもが、異変に気づいて集まってきた。
「なにごとやワレェ! この俺のシマで泣き叫んどる奴は――お、このレタス、サラダに良さそうやんけ」
「ちょっと、勝手につまみ食いしちゃダメよ、デュアダロス。……でも、本当にシャキシャキして美味しそうね」
「二人とも、食うなァァァァッ!!」
俺の決死の叫びも届かず、スアイは【中途採用お祈り種】を、デュアダロスは【コンペ敗退種】を、それぞれ同時に口に含んでしまった。
『脳内再生音声:……〇〇様のこれまでの輝かしいご経歴は大変魅力的ではございますが、現在弊社が求めているポジションの要件と、技術的なミスマッチが極めて僅かにございました。データは弊社にて責任を持って破棄いたします』
『脳内再生音声:……社内審査委員会にて厳正に審査いたしました結果、今回は他社様の提案が、弊社の求めるコストパフォーマンスにより合致したため、そちらを採用することとなりました』
「……ミスマッチ。私の、ビキニアーマー拒否が、魔王軍の要件とミスマッチだったのね……私のこれまでの将軍としてのキャリア、データごと責任を持って破棄されたわ……」
スアイが瞳から光を消し、畑の土の上にへたり込んで虚空を見つめる。
「……他社の、提案……。俺の、俺の渾身の邪神カチコミプランが、コストパフォーマンスで他社に負けたんや……。最後まで議論が紛糾したって、そんな絶妙なフォローいらんわボケェ……!!」
デュアダロスはアルマーニのスーツの胸元を掻きむしり、嗚咽を漏らしながら土下座の姿勢で固まった。
周囲を見渡せば、噂を聞きつけてつまみ食いした村人たちまでもが、次々と「健勝をお祈り」され、畑の周りで一斉に体育座りをして虚無に陥っている。
「お祈りクラスターが発生してるぞ! 村の機能が完全に停止した!」
だが。
この絶望的な『不採用の嵐』の中で、前世で限界社畜だった俺、白石春人だけは、完全に正気を保っていた。
何十社、何百社とお祈りメールを受け取り、残業代ゼロで月300時間労働を強いられてきた俺の精神には、現代社会の理不尽によって培われた『極厚の精神のタコ』が形成されているのだ。
「フン……。慎重に選考を重ねただと? 採用枠の兼ね合いだと言ったな?」
俺は腕を組み、青々と群生するお祈りレタスたちを冷酷な目で見下ろした。
「聞き飽きたわ、そんなテンプレ文章! 俺が前世でどれだけその言葉に胃壁を抉られてきたと思ってるんだ! 月300時間のデスマーチを生き抜いた元社畜(俺)にとって、これしきの精神攻撃、ただの時候の挨拶に過ぎないんだよ!」
俺の精神耐性は、異世界の危険野菜ごときでは揺るがない。
「よし。いつまでも終わった選考に囚われてるんじゃない。不採用の資料はさっさとシュレッダーにかけるのが、デキるビジネスマンの鉄則だ!」
俺は【農具箱】の知識をフル回転させ、この異常事態の解決策を模索した。
農業において、こういう『執着』や『往生際の悪さ』を持つ精神汚染系の変異野菜を駆除するライフハックは、一つしかない。
「……そうだ。『ずっ友ロコシ』の時と同じだ。こういうドロドロとした精神的依存を断ち切るには、冷徹な【塩対応】が一番効果的なんだ!」
俺は【農具箱】から、大量の『特製岩塩』の袋を呼び出した。
そして、愛用の【URジョウロ】の蓋を開け、中に塩をドバドバと流し込み、魔力水と攪拌させた。
――『URジョウロ:所有者が散布したいと念じた液体を、最適な濃度と範囲で無限に散布可能』
俺が念じたのは、すべての甘えと未練を徹底的に洗い流す、冷酷無比な『超高濃度・塩対応スプレー(塩水)』だ。
「おい、お前ら! いつまで体育座りしてんだ! 終わったコンペのことは忘れろ! 次の案件(明日のおやつ)へ行くぞ! ……害虫(絶望)駆除、散布開始!!」
ブシュウウウウウウウウウウウッ!!!
URジョウロの細い口から、ありえない水圧のミストとなって、真っ白な塩水が畑全体、そして体育座りで虚無に陥っているリンやキャルルたちの頭上へと、広範囲に大噴射された。
ザーッ、と爽やかな塩水の霧が広場を包み込む。
塩水を浴びた瞬間、青々とイキっていたお祈りレタスたちが、「シュルシュルシュル……」と音を立てて急速に脱水症状を起こし、しおれていった。脳内に響いていた不快なテンポのテレパシー音声が、ボリュームを下げるようにフェードアウトしていく。
そして、塩水を顔面に直撃された一同が、冷水を浴びせられたようにハッと我に返った。
「……あれ?」
最初に立ち上がったのは、デュアダロスだった。彼は泥まみれの顔を拭いながら、自分の手を不思議そうに見つめた。
「俺……何をそんなに落ち込んでたんや? 邪神のこの俺が、就職活動して落とされたって……何の話や? そもそも俺、働いたことないやんけ!」
極道邪神が、完璧に正気を取り戻した。
「ふぅ……急に頭が冷えたぜ。なんか、すっげぇ冷たい態度(塩対応)を取られた気分だわ」
リンもハンモックの横で立ち上がり、寝癖を直しながら元の気怠げな表情に戻る。
「ハルトぉ……私、なんだか急に、どうでもよくなっちゃった! 採用枠なんて関係ないわ! 私にはハルトの作るお菓子があるもの!」
キャルルも人参のハンカチで涙を拭き、ウサギ耳を嬉しそうにパタパタと揺らした。
スアイも「キャリアなんて、自分で切り拓けばいいのよね」と、いつもの頼れる元魔将軍の笑顔に戻っている。村人たちも、何事もなかったかのように体育座りをやめて、朝のラジオ体操を始めだした。
「よし。お祈りレタスの完全駆除、完了だ」
俺はURジョウロを置き、首のタオルで額の汗を拭った。
足元のレタス畑を見ると、塩水を程よく浴びたおかげで、絶望の音声機能が完全に消滅し、しんなりとした『天然の塩ドレッシング和えレタス』へと変化していた。一枚千切って食べてみると、シャキシャキとした食感は健在で、絶妙な塩気が効いていてすこぶる美味い。
「うん、これなら今夜のサラダに最高だな。キャルル、パフェの口直しにこの塩レタス、ぴったりだぞ」
「わぁっ、本当!? 食べる食べる!」
さっきまで号泣していたキャルルが、嬉しそうにレタスを頬張る。
「本当ね、シャキシャキして美味しいわ、ハルト」
スアイも笑顔でレタスを収穫し始め、村にはいつものゲラゲラとした平和なコメディの空気が戻ってきた。
* * *
『な、何なんだあいつの精神構造はァァァァァァッ!!!』
次元の壁の向こう側、天界の配信ルーム。
炎上神ワイズは、予備のスマートフォンを握りしめ、血を吐くような絶望の叫び声を上げていた。
モニターの中では、現代社会の最強のトラウマを具現化した『お祈りレタス』の精神汚染が、ただの塩水スプレーで完全に解決され、挙げ句の果てに「塩ドレッシングサラダ」として美味そうに完食されている。
『お祈りメールだぞ!? 読めば誰もが心を病んで体育座りする、最強のデバフ野菜だぞ!? なんであいつには1ミリも効いてないんだよ! 労働基準法の前世、どんだけ過酷なブラック企業だったんだよぉぉぉっ!!』
ゴッドチューブのコメント欄は、爆発的な勢いで笑いのコメントが流れていた。
『限界社畜、お祈りメールへの耐性が高すぎるwww』
『時候の挨拶扱いは草』
『塩対応スプレーつえええええ!』
『【朗報】お祈りレタス、ただの美味いサラダになる』
『ワイズの精神が先にお祈りされててワロタ』
天界マネーの投げ銭通知が、ハルトの口座へ『ピッ♪ピッ♪』と軽快な音を立てて吸い込まれていく。ワイズはついに精神の限界を迎え、泡を吹いてその場に卒倒した。
* * *
「ふぅ、一件落着だな。さぁ、定時までにビニールハウスの苺の間引きを終わらせるぞ!」
俺が元気よく声をかけると、スアイとキャルル、そしてパシリのデュアダロスが「おー!」と活気ある声を上げた。
前世のトラウマを最高のサラダに変えて消費してしまう、ポポロ村のホワイト農場。
だが、この平和な日常の裏で、パトロール(散歩)を再開したデュアダロスが、森の境界線で不穏な『ドブネズミの気配』を察知する瞬間が、刻一刻と近づいているのだった。
俺たちのホワイトスローライフは、今日も今日とて、定時退社に向けて全力で爆走を続けていた。




