EP 4
元魔将軍と元近衛騎士の静かなる牽制
午後三時。定時退社まであと二時間という、農家にとって一番心穏やかなティータイム。
だが、我が家の縁側を包んでいたのは、のどかな秋の風ではなく、絶対零度のブリザードと、肌を刺すような極限の闘気だった。
「……あら。新任の村長さんって聞いてたけど、まさかレオンハート獣人王国の第三姫君、おまけに『近衛騎士隊長候補』様が、こんな辺境でウサギの耳を揺らしているなんてね」
「ふふっ。そういう貴女こそ、アバロン魔皇国で泣く子も黙る『氷魔将軍』様が、タローマンの作業着を着て泥だらけになってるなんて。世の中、何が起こるかわからないわねぇ」
ちゃぶ台を挟んで、二人の美女が笑顔で向かい合っている。
一人は、タローマン製のデニムオーバーオールを着た絶世の美女、スアイ。
もう一人は、グレーのパーカーに特注の安全靴を履いたウサギ耳の姫君、キャルル。
二人の顔は完璧な笑顔を作っているが、スアイの周囲は氷結魔法の余波で霜が降り、キャルルの足元からは地面を割るほどの高密度の闘気が陽炎のように立ち上っていた。
「……あの、お二人さん。うちの縁側を戦場にするのはやめてもらえませんか。床が凍って割れそうなんですけど」
俺は麦わら帽子を胸に当て、極限まで腰を低くして二人に声をかけた。
「あらハルト。おかえりなさい」
「ハルトぉ! 待ってたわよ!」
二人が同時にこちらを向き、パッと花が咲いたような笑顔を見せる。さっきまでの殺気はどこへやら、完全に普通の女の子の顔だ。情緒の振り幅が激しすぎる。
「おいおいハルト、お前モテモテじゃねぇか。元魔将軍と元近衛騎士が、お前を巡ってバチバチ火花散らしてんぜ。傑作だな」
ハンモックの上で、リンがイモッカのソーダ割りを片手にゲラゲラと爆笑している。
「笑い事じゃないぞリン! 俺はただの農家だ! なんで大陸の軍事バランスを揺るがすような二人が、俺の家のちゃぶ台で睨み合ってんだよ!」
事の発端は数十分前。
村の書類仕事を(おそらくマッハの速度で)終わらせたキャルルが、「三時のおやつ!」と宣言して我が家に突撃してきたことだ。
そこへ、畑仕事から戻ってきたスアイが鉢合わせした。スアイは、俺が昨日キャルルから貰った『人参柄のハンカチ』の持ち主が彼女であることに一瞬で気づき、元魔将軍のスイッチが入ってしまったらしい。
「ハルト、お疲れ様。休憩にしましょう。私、今日のおやつのために『太陽芋のスイートポテト』を焼いておいたのよ。ハルトが育てた最高のお芋と、私の温度管理の結晶よ」
スアイが、エプロン姿で誇らしげに皿を差し出す。黄金色に輝くスイートポテトからは、バターと芋の芳醇な香りが漂っている。
「あっ、ずるい! ハルトは私に極上のお菓子を作ってくれるって約束したのよ! ハルト、私のために用意してくれたんでしょ!?」
キャルルが負けじと立ち上がり、ウサギの耳をピンと立てて俺に詰め寄ってくる。その瞳の奥には、昨日見た『ヤンデレ』の片鱗が黒く渦巻いていた。
「嘘ついたら、安全靴で顎を砕くって……言ったわよね?♡」
「ヒィィッ! つ、作ってます! もちろん用意してますよ!」
俺は慌ててキッチンに駆け込み、氷水で冷やしておいた特製スイーツを取り出した。
「ほ、本日のメニューは、ポポロコーヒーのほろ苦いゼリーと、トライバードの卵を使った特濃カスタードプリンの二層仕立てパフェですっ!」
「わぁぁっ……!」
キャルルの表情が一瞬で『恋する乙女』に変わり、彼女はスプーンを受け取ると猛然とパフェを口に運び始めた。
「美味しいっ! ほろ苦いゼリーがプリンの甘さを引き立てて、無限に食べられちゃうわ! ハルト、やっぱりあなた天才よ!」
キャルルは頬を緩ませ、満面の笑みで俺を見上げる。
「……ふぅん。随分と甘やかしてるのね、ハルト」
スアイがジトッとした目で俺を睨んだ。
「いや、これは村長への接待の一環でして……」
「そう。じゃあハルト、私の作ったスイートポテトも食べてくれるわよね? ほら、あーん」
スアイがスプーンでスイートポテトを掬い、俺の口元に突き出してきた。
元魔将軍の『あーん』である。これを拒否すれば、ポポロ村は第二の氷河期を迎えるだろう。
「あ、あーん……」
俺がパクッとスイートポテトを口に入れると、芋の自然な甘みとバターのコクが広がり、思わず「美味い」と声が漏れた。
「ふふっ、良かった。私の『愛情』、ちゃんと伝わったかしら?」
スアイがチラリとキャルルに流し目を送る。
「……っ!!」
パフェを食べていたキャルルが、ピタッと動きを止めた。
彼女のウサギ耳が、レーダーのようにピクピクと動き、俺の胸元――心音へと向けられる。
「ハルト……今、この女のスイートポテトを食べて『美味しい』って思ったわね? 心音がそう言ってるわ」
「えっ? いや、まぁ、美味しいのは事実ですし……」
「浮気よ!!」
ダンッ!!
キャルルのタローマン安全靴が床を蹴り、無垢材の床板がミシミシと悲鳴を上げた。
「私というお抱えの胃袋がいながら、他の女の手料理にうつつを抜かすなんて! ハルトの心音を私だけで独占したいのに!」
「待って待って! 思考が極端すぎる! なんで手料理食っただけで浮気扱いなんだよ! お前とはそもそも付き合ってないだろ!」
「うるさいわね、このポッと出のウサギ! ハルトの胃袋を支えているのは私よ! 昨日のエビの中華丼だって、私が下処理して作ったんだから!」
スアイも立ち上がり、鎖斧を呼び出そうとする。
「上等よ! 氷の魔将軍だか何だか知らないけど、私の『月影流・顎砕き』でその綺麗な顔を粉砕してやるわ!」
「やってみなさい! タローマンの作業着ごと氷像にして、畑の案山子にしてあげる!」
「やめろぉぉぉっ! 俺の定時退社の平和を壊すなァァァッ!」
俺は【URスコップ】と【UR鎌】を両手に構え、二人の間に割って入った。
「お前ら、頼むから俺の家で殺し合いをしないでくれ! そもそも俺は、美味い飯を食って、平和に寝たいだけなんだ! どっちの手料理も美味いし、どっちにお菓子を作るのも嫌じゃない! だから、争うな!」
俺の必死の叫びに、スアイとキャルルはピタリと動きを止めた。
「……どっちも嫌じゃないって、本当?」
キャルルが耳を澄ませる。俺の心音に『嘘』がないか確認しているのだ。
「本当だ。俺は、平和な農家ライフを満喫したいだけなんだよ……」
数秒後、キャルルは「ふぅん」と鼻を鳴らし、闘気を収めた。
「まぁ、ハルトの心音がそう言うなら、今回は許してあげる。……でも、明日はもっと甘いお菓子を作ってよね!」
「……仕方ないわね。ハルトがそういうなら、私も矛を収めるわ。今日の夕飯は、あんたの好きなピラダイの甘辛煮にしてあげる」
スアイも冷気を収め、フイッとそっぽを向いた。
「はははっ! お前ら、完全にハルトに手懐けられてんじゃねぇか!」
ハンモックの上のリンが、腹を抱えて爆笑している。
「うるさいわね、ニート聖獣!」
「だいたい、あんたが一番ハルトに甘やかされてるじゃないの!」
二人の矛先がリンに向かい、今度は聖獣と元魔将軍、元近衛騎士の口喧嘩が始まった。
俺は縁側に座り込み、深く、深くため息をついた。
「……俺はただ、過労死のトラウマから逃れて、ホワイトな職場で静かに暮らしたいだけなのに……」
どうやらこの異世界で、人間関係の『残業案件』から逃れることは不可能らしい。
だが、賑やかな縁側の様子を見ていると、前のブラック企業で孤独にキャベツのデータを打ち込んでいた頃よりは、ずっとマシな人生を送っているような気もした。
「よし。明日はキャルルのために、もっとヤバいお菓子を作るための『施設』を作るか……」
俺は夕暮れの空を見上げながら、第一章で稼いだ『天界マネー』の使い道をこっそりと計画し始めていた。
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