EP 3
月兎族の胃袋は、甘い野菜スイーツで陥落する
ポポロ村の我が家のキッチンには、甘く香ばしい匂いが充満していた。
「よし、カラメルソースの焦がし具合はこんなもんだな」
鍋の中でグツグツと煮詰まっているのは、太陽芋から抽出した糖分を焦がした特製のカラメルだ。
そして、まな板の上に鎮座しているのは、昨日収穫したばかりの『ハニーかぼちゃ』。
こいつは畑で育つ際、周囲の農作業をしている人間に向かって「ねぇねぇハニー♡ 僕を愛して♡」と求愛行動をとるという、極めて気持ちの悪い特性を持つ狂気野菜だ。
だが、周囲にいるのが土まみれの農家のおばちゃんばかりである現実に直面し、「世の中、そんなに甘くないんだな……」と絶望。その悲哀とストレスによって、自身の果肉を限界まで甘く変異させるという、悲しきマッチョ思想の野菜でもある。
「愛には恵まれなかったお前だが、お前のその絶望の甘さは、俺が最高のプリンにして昇華してやるからな」
俺はハニーかぼちゃを裏ごしし、家畜化された三徳魔獣『トライバード』の濃厚な卵と、ロックバイソンのミルクを絶妙な配分で混ぜ合わせた。
それを蒸し器に入れ、温度を慎重に管理しながら火を通していく。
農業の基本はデータと愛情だ。それは料理や菓子作りにおいても全く同じである。
『ドスッ、ドスッ、ドスッ!』
「こんにちはー! 村の視察に来たわよー!」
庭先から、どう考えても視察とは思えない浮かれた声と、重い足音が聞こえてきた。
窓から顔を出すと、グレーのパーカーにデニムのショートパンツ、そして足元にはタローマン製の特注安全靴を履いたウサギ耳の姫君――新村長のキャルルが、満面の笑みで手を振っていた。
ハンモックで昼寝をしていたリンが、「うるせぇな、靴の音で地震が来たかと思ったぜ……」と寝返りを打っている。
「お待ちしてましたよ、キャルル村長。ちょうど出来上がったところです」
「本当っ!? やったぁ!」
俺が縁側に案内すると、キャルルはぴょんっと跳ねるようにして上がり込み、ちゃぶ台の前に正座した。ウサギの耳が期待でピクピクと高速で動いている。
「どうぞ。ハニーかぼちゃの特製プリンです」
俺は氷水でしっかりと冷やしておいたプリンを型から外し、白い皿の上にプルンと乗せてキャルルの前に差し出した。
鮮やかな山吹色のプリンの頂上から、ほろ苦い琥珀色のカラメルソースが滝のように流れ落ちている。
「わぁぁ……っ! すっごく綺麗な色! それに、この甘くて少しほろ苦い匂い……たまらないわ!」
キャルルの瞳が、まるで宝石を見つけた子供のようにキラキラと輝いた。
彼女は銀色のスプーンを手に取ると、「いただきます!」と元気よく挨拶し、プリンの角をすくってパクリと口に含んだ。
その瞬間。
ピタッ、とキャルルの動きが止まった。
頭のウサギ耳が、ピンと垂直に立ち上がったまま硬直している。
「あ、あの……お口に合いましたか?」
俺が恐る恐る尋ねると、キャルルの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「えっ!? ちょ、なんで泣いてるんですか!?」
俺は慌てた。まさか、元姫君の口には合わない安っぽい味だったのか!? 安全靴で顎を砕かれる!?
「……ちがう、の……」
キャルルは震える声で呟き、両手で頬を押さえた。
「美味しすぎるのよ……っ! かぼちゃの濃厚な甘みとコクが、口の中でとろけていく……! それなのに全然くどくなくて、卵とミルクの優しさが全体を包み込んでる……! そこに、カラメルソースの絶妙な苦味がアクセントになって、甘さをさらに引き立てて……こんなの、王宮の専属パティシエが作ったお菓子より、ずっと、ずっと美味しいわ!!」
キャルルは涙を流しながら、猛烈な勢いでプリンを口に運び始めた。
「あぁん、幸せ……! 私、ルナミスに亡命してきて本当に良かった! こんな極上のスイーツが食べられるなんて!」
あっという間に皿を舐めるようにして平らげた彼女は、「ふぅ……」と熱い吐息を漏らし、うっとりとした表情で俺を見つめた。
「ハルト……あなた、天才ね」
「い、いや、俺はただの農家ですから。素材の野菜が良かっただけですよ」
俺が謙遜して営業スマイルを浮かべると、キャルルはスッと立ち上がり、俺の胸ぐら……ではなく、胸の前に顔を近づけてきた。
「ちょ、村長!?」
「静かにして。……心音、聞かせて」
彼女は目を閉じ、俺の胸にウサギ耳をピタリと押し当てた。
ドクン、ドクン、という俺の少し早まった心拍音が、彼女の特殊な聴覚に伝わっているはずだ。
数秒後、キャルルはパチッと目を開き、頬を真っ赤に染めて俺を見上げた。
「……やっぱりね」
「え?」
「あなたの心音、すごく優しくて、温かかった。このプリンを作っている時、あなたが『美味しいものを食べて喜んでほしい』って、心から思ってたことが伝わってくるわ……嘘偽りのない、本物の愛情よ」
「いや、まぁ、作ったメシを美味しく食ってほしいとは農家として常々思ってますけど……愛情っていうか……」
キャルルは俺の言葉を遮るように、自分のパーカーのポケットに手を入れた。
そして、大事そうに折り畳まれた『ハンカチ』を取り出し、俺の両手を強引に取って、その上に乗せたのだ。
「えっと……これは?」
俺が戸惑いながらハンカチを見ると、真っ白な布地の隅に、不器用だが可愛らしい『人参』の刺繍が丁寧に施されていた。
「私のお手製のハンカチよ」
キャルルは顔を真っ赤にしながら、しかしその瞳の奥には、揺るぎない、そして少しだけ『重たい』光を宿して俺をジッと見つめていた。
「これ、私の分身だと思って、毎日肌身離さず持ち歩いてね? 汗を拭く時も、手を拭く時も、いつも私を感じてほしいの」
「お、おう……ありがとうございます。手作りなんて、嬉しいです」
「ふふっ。……でもね、ハルト」
キャルルはニッコリと笑ったまま、俺の耳元に顔を寄せ、極めて甘く、そして背筋が凍るような低い声で囁いた。
「もし、そのハンカチに……私以外の『他の女の匂い』がついているのがわかったら……」
ドスッ!!!!
キャルルの足元の安全靴が、縁側の横の巨大な庭石を軽く蹴り抜いた。
隕石が落ちたような轟音と共に、重さ数百キロはあろうかという庭石が、細かい砂利となって粉々に砕け散った。
「その時は……私、あなたが嘘をついたってことにして、顎から首にかけて粉砕しちゃうかもしれないから……気を付けてね?♡」
「ヒィィィィィィッ!!?」
俺は声にならない悲鳴を上げ、ハンモックで寝ていたリンも「うおっ!?」と飛び起きて身構えた。
「じゃあね、ハルト! 明日は村の書類仕事が終わったら、またおやつ食べに来るから! メニュー考えといてねー!」
キャルルは鼻歌を歌いながら、ご機嫌な足取りでドスドスと安全靴を鳴らし、村の集会所へと帰っていった。
俺は残された人参柄のハンカチを握りしめ、ガクガクと震える膝から崩れ落ちた。
「お、重い……! 愛情表現が物理的にも精神的にも重すぎる!! なんで俺の周りには、定時退社を脅かすような規格外のトラブルメーカーばかり集まってくるんだ!」
「おいおいハルト。お前、とんでもねぇ爆弾を抱え込んだな」
リンがハンモックから降りてきて、砕け散った庭石の残骸を見ながら呆れたように言った。
「あの蹴り、闘気の練り方が尋常じゃねぇぞ。間違いなく一級品の武術だ。お前、浮気したらマジで首の骨折られるぜ」
「誰が浮気なんてするか! そもそも俺はあいつと付き合ってない!」
俺が必死に弁解していると、畑の方から足音が近づいてきた。
「ただいまー。ハルト、土壌の魔力測定終わったわよ……って、何この石の残骸。誰か襲ってきたの?」
タローマンのオーバーオールを着たスアイが、不思議そうに庭を見回しながら戻ってきた。
そして、俺が両手で大事そうに握りしめている『人参柄のハンカチ』に視線を止めた。
「……ねぇハルト。それ、誰のハンカチ?」
スアイの声が、氷魔法を使っていないのに、絶対零度まで冷え込んだ気がした。
「い、いや! これは! 新しい村長が挨拶の粗品としてくれたもので……!」
俺が必死に弁解の言葉を探していると、スアイはジトッとした目で俺を睨みつけた。
「ふぅん。粗品ねぇ……。手縫いの刺繍なんて、随分と手の込んだ粗品じゃない。……ちょっと、貸してごらんなさい」
スアイが俺の手からハンカチを奪い取り、匂いをクンクンと嗅いだ。
「……甘ったるいお菓子の匂い。それに、さっきまで誰か女がここにいた気配がするわね」
スアイの背後に、ゴゴゴゴゴ……という擬音が見えるような気がした。
「……ハルト。今日の夕飯、私が作るわ。あんたの好きな『肉椎茸』、たっぷりと使ってあげるから」
スアイはニコリと笑ったが、その笑顔は完全に目が笑っていなかった。
「あ、あざっす……」
ヤンデレ気質のお姫様と、料理上手な元魔将軍。
俺のホワイト農場に、魔王軍や邪神とは全く別の、恐ろしい女たちの『静かなる抗争(餌付け合戦)』の幕が切って落とされた瞬間だった。
俺は天を仰ぎ、定時退社しても心が休まらないスローライフの現実に、ただただ涙を流すしかなかった。
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