EP 2
新村長はタローマン安全靴を履いたヤンデレ姫
ポポロ村の中心部にある、少し年季の入った木造の集会所。
ここが、駆け落ちして姿を消した前村長に代わり、新村長が執務を行う場所だ。
「とりあえず、村の顔役として挨拶には行っておかないとな」
俺は麦わら帽子を軽く手で押さえながら、集会所の前でため息をついた。
俺はあくまで、この村で細々と(チート農具で地形を変えながらだが)野菜を育てているだけの一般農家だ。戦闘力なんて皆無だし、平和な定時退社ライフを守るためには、村のトップと良好な関係を築いておくことは必須条件である。
「どんな堅物のジジイか、はたまた神経質な役人か……。面倒な残業案件(村の行事の手伝いとか)を押し付けられないように、適度に愛想笑いをして逃げ帰ろう」
前世の営業マン時代に培った『波風を立てない無難なスマイル』を顔に貼り付け、俺は集会所の重い木の扉をノックした。
「失礼します。村外れで農家をやっている、白石春人です。新村長にご挨拶をと思いまして――」
ガチャリと扉を開けて中に入った俺は、そこで完全に言葉を失い、貼り付けていた営業スマイルを硬直させた。
「あぁっ、もう! この玄武ちゃん、愛が重すぎるのよ! でもそこがイイッ! バリボリバリボリッ!」
村長室の立派な執務机。
その上に、行儀悪く両足をドカッと投げ出している人物がいた。
頭にはピクピクと動く真っ白なウサギの耳。服装は動きやすい現代風のグレーのパーカーに、デニムのショートパンツ。
そして机に乗せられたその足には、見覚えがありすぎる重厚な靴――俺も農作業で愛用している『タローマン(ホームセンター)』製の特注安全靴(つま先に鋼鉄のプレートが入っている本格派)が履かれていた。
さらに彼女は、片手で分厚い醤油煎餅を豪快に齧りながら、もう片方の手で薄い本(同人誌)を真剣な顔で読み耽っている。
その本の表紙には、デカデカとこう書かれていた。
『聖獣機神ガオガオンの社内恋愛事情は辛いよ。〜玄武のリスカと朱雀の誘惑編〜』
「…………え?」
「あっ」
俺の間の抜けた声に気づいたウサギ耳の彼女は、煎餅を咥えたままバチッと俺と目を合わせた。
気まずい沈黙が流れる。
数秒後、彼女は「んぐっ」と煎餅を飲み込み、慌てて足を机から下ろして本を隠した。
「こ、コホンッ! よく来ましたね、村の農家さん。私が今日からこのポポロ村の村長に就任した、キャルル・ムーンハートです。以後、お見知りおきを」
いや、無理があるだろ。
ツッコミどころが多すぎて、どこから手をつけていいかわからない。
女神ルチアナが小遣い稼ぎに天界から横流ししているというあの泥沼同人誌を、なんでこの村のトップが真昼間から職場で読んでいるのか。そしてなぜ、村長なのにその辺の女子大生みたいなラフな格好で、靴だけガテン系の安全靴なのか。
「あ、あの……キャルル村長、ですよね? ギルドの地域応援隊から派遣されてきた、凄腕の元冒険者だと伺っていましたが……」
俺が恐る恐る尋ねると、キャルルは「ええ、そうよ!」と胸を張った。
「冒険者ギルドでのランクもそこそこだけど、私の元の肩書きはもっと凄いわよ。聞いて驚きなさい!」
彼女はビシッと俺を指差し、ドヤ顔で言い放った。
「私、元・レオンハート獣人王国の第三姫君にして、近衛騎士隊長候補だったのよ!」
「…………は?」
俺の思考が数秒フリーズした。
レオンハート獣人王国。第一章でスアイから聞いたことがある。凄まじい戦闘力を持つ獣人たちが統治する、大陸屈指の軍事国家だ。
その国の『姫君』であり、さらには王の盾たる『近衛騎士隊長候補』!?
「うわああああッ! 絶対に関わっちゃダメな超大物じゃないか!」
俺は心の中で絶叫し、思わず三歩後ずさった。
ただでさえ元魔皇国の氷魔将軍や、幻の聖獣、極道邪神が周りにうろついているというのに、ここにきて超武闘派国家の元お姫様まで!?
俺の静かなホワイト農場が、どんどん各国VIPの駆け込み寺みたいになっていく!
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな大国の姫君が、なんでこんな辺境の村で村長なんて……しかも、そんなラフな格好で……」
俺が震え声で尋ねると、キャルルはふぅとため息をつき、パーカーのポケットから人参の刺繍が施された手作りのハンカチを取り出して口元を拭った。
「王族なんて窮屈なだけよ。毎日毎日、ドレスを着てお淑やかにして、籠の鳥みたいに生きるなんてまっぴらごめんだったの。だから自由を求めて、ルナミス帝国に亡命したってわけ」
彼女はケラケラと笑いながら、ポケットから飴玉を取り出して口に放り込んだ。
「ルナミスでの生活、最高よ! 友達とシェアハウスのマンション(4LDK・家賃金貨3枚)に住んで、朝は『ルナキン(ファミレス)』で目玉焼きとトーストのドリンクバー付き朝定食を食べるの! で、昼間は適当に冒険者の依頼をこなして、夜はスーパー銭湯のサウナで整ってから苺パフェを食べるのよ! 王宮のフルコースより、ルナキンのポテトフライの方が100倍美味しいわ!」
完全に現代っ子の生活を満喫している。
俺が前世で渇望し、そして今世で実践している「自分のペースで生きるスローライフ」を、彼女もまたルナミス帝国のインフラを利用してエンジョイしていたのだ。
「なるほど……それで、その足元の安全靴は……?」
「あぁ、これ? 私、武器はダブルトンファーなんだけど、一番得意なのは『蹴り技』なのよね。だから、タローマンでこの特注の鉄板入り安全靴を買ったの。これに闘気を乗せて蹴ると、分厚い魔獣の装甲も綺麗に砕けるから超便利なのよ!」
キャルルは事も無げに恐ろしいことを言い放った。
この可愛い顔とラフなパーカー姿で、足元からはマッハの速度で鋼鉄を砕く蹴りが飛んでくるらしい。絶対に敵に回してはいけないタイプだ。
「ま、まぁ……色々と苦労されたんですね。俺はただの農家ですから、難しい政治の話はわかりませんが……村の平和のために、これからよろしくお願いします」
俺はこれ以上深入りしないように、そそくさと頭を下げて帰り支度を始めた。
だが、その時だった。
キャルルの長く白いウサギの耳が、ピクッと動いた。
「……ふーん」
彼女は突然、俺の胸元――心臓のあたりにスッと顔を近づけてきた。
「うおっ!? な、なんですか!?」
「静かにして。……うん、やっぱりね」
キャルルは俺の心音に耳を澄ませるように目を閉じ、やがてニッコリと笑った。
「私ね、月兎族の種族特性で『聴覚』がすごく鋭いの。相手の心音を聞けば、その人が嘘をついてるか、悪意を持っているか、一発でわかるのよ」
彼女の言葉に、俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「で、でも……俺、嘘なんてついてませんよ?」
「ええ、わかってるわ。あなたの心音、すごく穏やかで真っ直ぐだったもの」
キャルルは俺から顔を離し、パーカーのポケットからゴソゴソと何かを取り出した。
「あなたの心から聞こえてきたのは、『面倒事は嫌だ』『絶対に定時で帰りたい』『美味い野菜を育てて平和に暮らしたい』っていう、すっごく純粋な感情だけ。……私、そういう正直な人、嫌いじゃないわ」
彼女はそう言って、俺の手に「ポンッ」と何かを乗せた。
それは、オレンジ色の可愛らしいキャンディだった。
「就任祝いの挨拶に来てくれたお礼。これ、美味しいからあげるわ」
「あ、ありがとうございます……」
俺がキャンディを握りしめていると、キャルルはふと、鼻をひくひくと動かした。
「……ねぇ。あなたから、すごく甘くていい匂いがするんだけど。……もしかして、お菓子作りとか得意だったりする?」
「え? ああ、農作物を使った自家製のスイーツなら、たまにスアイやリンに作ってやってますけど。最近だと、ハニーかぼちゃを使ったプリンとか……」
「プ、プリン!?」
キャルルのウサギ耳が、ピンッ!と垂直に立ち上がった。
「かぼちゃのプリン!? しかもハニーかぼちゃ!? な、ななな、なんて魅惑的な響きなの……っ!」
彼女は俺の両手をガシッと掴み、目をキラキラと輝かせて身を乗り出してきた。
「ねぇハルト! 私、甘いものが世界で一番好きなの! そのプリン、私にも食べさせてくれない!?」
「えっ? いや、まぁ、材料が余ってれば作れますけど……」
「本当!? やったぁぁっ! 約束よ! もし嘘ついたら……心音でわかるんだからね?」
キャルルは満面の笑みを浮かべたまま、その瞳の奥にほんのわずかな『昏い光(ヤンデレの片鱗)』を宿して俺をジッと見つめた。
「嘘つきは……この安全靴で、顎を砕いちゃうから♡」
「ヒィッ!?」
俺は全力で首を縦に振った。
「つ、作りまァす! 明日の三時のおやつに、最高のプリンを用意しておきますぅぅっ!」
「ふふっ、楽しみにしてるわね、ハルト♪」
上機嫌に手を振る新村長キャルルを背に、俺は逃げるように集会所を後にした。
村の広場に戻り、深くため息をつく。
「……またとんでもないのが村に来ちまった。しかも、嘘を見抜く心音聴覚に、鋼鉄を砕く安全靴キックだぞ……」
俺の静かなホワイト農場ライフに、また一つ、取扱注意の爆弾が投下された瞬間だった。
だが、この時の俺はまだ知らなかった。
この月兎族の姫君の『真の恐ろしさ』が、お菓子への執着やヤンデレ気質などではなく、月に一度の『満月の夜』に発揮されるということを。
俺は迫り来る残業の予感に震えながら、とりあえず明日のプリンのために『ハニーかぼちゃ』の収穫へと急ぐのだった。
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