EP 11
炎上神の思惑と、定時退社防衛戦、開戦
縁側に置かれた冷たいポポロコーヒーのグラスの中で、氷が微かな振動に耐えかねてカチンと鳴った。
『ギジャアァァァッ!!』『ブブブブブッ!』
空と大地を黒く染め上げる数万の蟲の大群が、殺意を剥き出しにしてポポロ村へと押し寄せてきた。
木々をへし折りながら進撃してくるのは、装甲車並みの巨体を持つ死蟻機や、鋼鉄の装甲を誇る死甲虫機の陸上部隊。上空には、毒針を持つ死蜂機や爆撃を担う死放屁虫機が、不気味な羽音を立てて空を覆い尽くしている。
普通なら、世界の終わりを予感して泣き叫ぶような地獄の光景だ。
『くくくっ……さぁ、世界中が注目しているぞ。ここで村が火の海になり、悲鳴が響き渡った瞬間……契約勇者ゼロスを颯爽と登場させてやる!』
次元を超えた天界の配信ルーム。
炎上神ワイズは、専用のゲーミングノートPCの画面に映る絶望的な光景を見て、興奮に頬を歪めていた。
彼の手元には、ゴッドチューブの配信枠が立ち上がっている。同接数はすでに数百万。神々や他世界の視聴者たちが、これから起こるシリアスな悲劇を待ち望んでいるのだ。
『防衛線だと? 農家と小娘とヤンキーが急造した溝と草の壁で、死蟲機の数万の軍勢が止まるわけないだろうが! 蹂躙しろ! 踏み荒らせ! 俺の視聴率(PV)の肥やしになれ!』
ワイズは高笑いし、マイタンブラーのカプチーノを優雅に啜った。
* * *
一方、ポポロ村の縁側。
俺たちは冷たいポポロコーヒーを片手に、のんびりとその『軍勢』を眺めていた。
「さて、害獣対策の成果を見せてもらおうか」
『ギギィィィッ!!』
先頭を走っていた死甲虫機と死蟻機の群れが、村と森の境界線に到達した。
奴らは俺たちの畑を蹂躙しようと、一気に速度を上げる。だが、その足元には、俺が【URスコップ】でわずか数分で掘り抜いた『幅十メートル、深さ二十メートルの巨大クレバス』が口を開けていた。
止まりきれるわけがない。
「ギガッ!?」
最前列の数百体が、見えない落とし穴に吸い込まれるように真っ逆さまに転落していく。後続の蟲たちも、前列の急停止に対応できず、玉突き事故を起こして次々とクレバスの底へと落ちていく。
ズドドドドドドッ!! と、硬質な金属がぶつかり合う凄まじい音が響き渡った。
「よし、綺麗に落ちたな」
「壁面は私の氷魔法で、鏡みたいにツルツルに凍らせてあるわ。虫の脚がどれだけ鋭くても、絶対に這い上がれないわよ!」
スアイが自慢げに胸を張る。
その通り、クレバスの底に落ちた死蟲機たちは、ツルツルの氷の壁を登れずに滑り落ち、後から落ちてくる仲間の巨大な質量の下敷きになって、次々と自重で圧殺されていった。
「完璧な『害虫ホイホイ』だな。……よし、次は空だ」
陸上部隊の惨状を見た空中部隊の死蜂機や死放屁虫機が、クレバスを飛び越えて直接村へ侵入しようと高度を下げて突っ込んでくる。
だが、クレバスの村側には、俺が【UR鍬】と成長促進剤で爆速栽培した『高さ十メートルの鋼鉄の茨』のバリケードがそびえ立っていた。
『ブブブッ!?』
加速したまま突っ込んできた死蜂機たちは、鋼鉄の棘が密集する有刺鉄線ネット(茨の壁)に激突し、次々と文字通り『串刺し』になっていく。
「上から来るバカ鳥や害虫は、防鳥ネットで物理的にシャットアウトだ」
「ギギギッ!」
茨の壁を学習した一部の飛行部隊が、さらに高度を上げ、上空数百メートルから急降下爆撃を仕掛けようと軌道を変える。
だが、それこそが俺たちの待っていた『誘導』だった。
「リン! 防空システム起動!」
「おうよ。夏の夜の風物詩を見せてやるぜ」
ハンモックに揺られていたリンが、気怠げに指をパチンと鳴らした。
その瞬間。村の上空に不可視の状態で張り巡らされていた、リンの『雷撃網』が青白い閃光を放って顕現した。
バチィィィィィィッ!!!
上空から急降下してきた死蛾機や死蝿機が雷撃網に触れた瞬間、数万ボルトの聖なる雷が奴らの神経回路を焼き切った。
『ジジッ、ジジジジッ……』
まるで夏の夜にコンビニの軒先で見かける『電撃殺虫器』のように、バチバチと音を立てて黒焦げになった虫たちが、ポロポロと無害なゴミとなって地面に落ちていく。
「……なんか、あっけねぇな」
リンが欠伸をしながら、ポテトチップスを口に放り込む。
「農家の知恵を舐めるなよ。害獣と害虫の習性を完全に把握して導線を塞げば、どんな大群でもただの『作業』に落とし込める」
俺は立ち上がり、縁側から【URジョウロ】の口を、蟲たちで溢れかえっているクレバスの底へと向けた。
「クレバスの底で蠢いてる害虫どもに、仕上げの散布だ。……散布開始」
ブシュウウウウウウウウッ!!
ジョウロから、致死量の『選択性害虫駆除ミスト』が大噴射される。
氷の堀の底でもがいていた数千の死蟲機たちは、ミストを浴びた瞬間に運動神経をシャットダウンされ、ピクピクと痙攣したのち、完全に沈黙した。
「よし。これで第一陣は完全駆除完了だ」
「凄い数ね……。これ、全部エビ味なのよね? 夜の宴会が楽しみだわ!」
スアイが嬉しそうに微笑む。数万の古代兵器は、俺たちの手によって『ただの巨大なエビの山(夕食の具材)』へと変貌してしまったのだ。
* * *
『…………は?』
天界の配信ルーム。
炎上神ワイズは、画面の前で完全に硬直していた。
マイタンブラーからこぼれたカプチーノが、彼のズボンを濡らしていることにも気づいていない。
『な、なんだこれは……? 数万の死蟲機だぞ!? なんで、なんで一歩も村に入れないんだ!? 堀に落ちて、草に刺さって、雷で焼かれて……! なんでこいつら、縁側から一歩も動かずに数万の軍勢を処理してんだよ!?』
ワイズは震える手で画面を指差した。
彼が演出したかった『絶望のシリアス炎上配信』は、どこにも存在しなかった。
そこに映っていたのは、麦わら帽子の農家が、コーヒーを飲みながら巨大な電撃殺虫器と害虫ホイホイで虫を処理する『超効率的ライフハック動画』だった。
ゴッドチューブのコメント欄は、爆発的な勢いで流れていた。
『電撃殺虫器つえええええw』
『ゴキブリホイホイのスケールが違いすぎるwww』
『この村のセキュリティ、アバロン魔皇国より硬いだろ』
『お茶飲みながら数万の軍勢駆除してて草』
『エビの山一丁上がりで腹減ってきた』
ワイズの目論見は完全に外れた。悲鳴も絶望も一切ない。ただただシュールで圧倒的な『農家の日常』が、全次元の視聴者に大ウケしてしまっているのだ。
『ふざけるな……ふざけるなァァァァッ!!』
ワイズはついに激昂し、タンブラーを壁に叩きつけた。
『俺の完璧なプロットを、ただの害虫駆除動画にされてたまるか! おのれ白石春人! こうなったら予定を前倒しだ! 絶望の化身、合成死蟲将軍機を今すぐ投入してやる!!』
彼は血走った目でゲーミングノートPCを睨みつけ、天魔窟のゲートを限界まで拡張する禁忌のコマンドを強引に叩き込んだ。
* * *
「順調だな。この分なら、予定通り定時前に全作業が終わりそうだ」
俺が空を見上げて時計代わりの太陽の位置を確認した、その時だった。
ズズン……ッ!!
突如として、大地が大きく跳ねた。
クレバスの底や、遠くの森に倒れていた死蟲機たちの残骸が、まるで意思を持っているかのようにガタガタと震え始めたのだ。
「ん? ハルト、なんか森の奥の様子がおかしいぜ」
リンがポテトチップスを置き、鋭い視線を森へと向けた。スアイも鎖斧を強く握り直す。
森の奥深く。先ほどの数万の群れとは明らかに次元の違う、異常なまでに濃密で禍々しい魔力が膨れ上がっていた。
そして、大地を割り、木々を根こそぎ薙ぎ払いながら、強酸の瘴気を纏った巨大な『影』が、ゆっくりとポポロ村に向かって歩みを進めてきた。
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