第8話
訓練場は、学園の外れに広がる荒涼たる大地だった。
岩肌が剥き出しの丘陵に風が砂を巻き上げ、遠くの山々が見守っていた。
空気は冷たくも熱く、鋼の炉が息を潜めているかのようだった。
ここは、侍忍学校の「試練の場」――無数の若者が魂を削り鍛え上げられる場所で、地面には古い血痕と刀の傷跡が、無言で過去の敗北を語っていた。
ハンゾウは、巨大な岩の上に腰を下ろし、悠然と三人を見据えた。
灰色の髪が揺れ、長刀の柄が陽光を反射して鋭く輝いた。
師範の瞳は底知れぬ深淵を湛え、唇の端に浮かぶ笑みが少年少女たちを試すように柔らかく弧を描いた。
「それじゃあ、追試だ。面倒だから、お前ら全員でかかってこい」
声は、冗談めかして響いたが、その響きは刃のように鋭かった。
「一撃でも入れられたら、全員合格。これでいいだろ?」
ハンゾウの言葉に、空気が一瞬で凍りついた。
キラリが抜刀した。
「手は抜きません」
ハンゾウはニヤリと応じた。
「……抜いてみろ」
三人は唖然とした。
キラリが息を詰め、刀を握る手に力を込めながら呟いた。
「……みんな……やるぞ」
トモエの瞳がわずかに見開き、短刀を構えた。
「よっしゃ、俺も全力でいくぜ!」
マシロはただ黙って拳を握り、低く吐き捨てた。
「……ふざけんなよ」
試練の重みが、肩にのしかかった。
先に動いたのは、トモエだった。
忍者の瞬発力がハンゾウに迫った。
黒い忍装束が空気を孕み、しなやかな脚が大地を蹴り、残像を残して加速した。
一瞬で距離を詰め、拳が一閃。
「――これでどうだ!」
砂塵が渦を巻いた。
だが、ハンゾウは微動だにせず、手のひらで受け流した。
掌がトモエの拳を優しく包み込み、巧みな指先で関節をずらし、重心を崩した。
トモエの体は、空中で無防備に回転した。
「くっ!」
短い呻きが漏れ、彼女は後方に投げ飛ばされた。
彼女は猫のように体を捻り、両足で土を抉って着地した。
「……速すぎる。……師範、容赦ねえな! なら、次はもっと速くいくぜ!」
トモエは再び構えた。
「ははっまだまだぁ」
ハンゾウは、ただ笑った。
キラリは追撃に転じた。
微動だにしないハンゾウに、ビビりながらも、一寸を横切る形で振り抜いた。
「――今だ!」
刃が空を裂き、鋭い音が響いた。
足捌きは流れる水のように滑らか、仮想の敵を斬る型が、体に染みついた本能として爆発した。
だが、ハンゾウは勢いのまま、少年の鳩尾に掌底を当てる。
衝撃が体を貫き、内臓がねじれるような痛みが走った。
「ぐっ……!」
少年は吹き飛ばされ、土に転がった。
背中が岩にぶつかり、砂塵が顔を覆う。
息が詰まり、視界が揺らぐ中、刀を握る手が、わずかに震えた。
立ち上がり、唇を噛んでハンゾウを睨んだ。
「まだ……終わりじゃない」
マシロは、ただ立ち尽くしていた。
柄を握る手が、白くなるほど強く締め上げられた。
瞳の奥で、なにかが渦巻いた。
拒絶か、恐怖か。
ハンゾウの眼差しが、マシロに注がれた。
師範の目は、優しく、しかし容赦なく彼を射抜いた。
「お前は、来ないのかー? 侍の誇りはどうした?」
ハンゾウの声は軽やかだったが、針のようにマシロの心を抉った。
マシロは、ぶんぶんと首を横に振った。
言葉は出ず、ただ拳を握りしめ、土を踏みしめた。
「……あんな化け物……相手にできねぇよ」
ハンゾウは立ち上がり、告げた。
長刀の柄に手をかけたまま、空気を支配した。
「そうだな。一時間以内に一撃がない場合は、全員学校を去ってもらおうか。学園に、弱い奴は不要だ」
その言葉は、冗談めかしていたが、底知れぬ本気を含み、三人の背筋を凍らせた。
トモエが息を詰め、低く呟いた。
「一時間……? 舐めやがって!」
キラリは拳を握り、声を震わせながら応じた。
「……絶対に、一撃入れる!」
砂塵が舞い、遠くの山々が、無情に佇んだ。
トモエが再び飛びかかった。
残像を残し、脚が弧を描いてハンゾウの脇腹を狙った。
「今度こそ、決めるぜ!」
蹴りが、空気を震わせたが、ハンゾウは脚を掴み、ヌンチャクのように振り回した。
トモエの体が、空中で回転し、遠心力で砂を巻き上げた。
「わっ……!」
ぽーんと正面に投げ飛ばされ、無事着地するトモエ。
しかし、その瞳に実力差の苛立ちが宿った。
「くそ……こっちは本気でやってんのによぉ……!」
トモエの声に、悔しさが滲んだ。
キラリは土を払い、彼女に視線を送った。
二人の間に無言の連帯が生まれた。
マシロはまだ動かなかった。
キラリは、立ち上がり、挙手した。
痛む鳩尾を押さえ、しかし声を張った。
「師範、作戦会議をしてもよろしいでしょうか!」
その提案に、風が一瞬止まったように感じられた。
トモエが息を吐き、キラリを振り返った。
「……それはいい考えだぜキラリ。マシロも来いよ。作戦会議だ、一緒に考えよう」
マシロは拳を緩め、渋々といった様子で頷いた。
「……仕方ねえな」
ハンゾウは目を丸くした。
「好きにしろ。――一時間、たっぷりあるからな」
岩に座り直し、膝に肘を置き、頬杖をついた。
長刀を傍らに置き、悠然と三人を見守った。
鋼の炉が胎動を待つように。
三人は、円陣を組んだ。
乾いた土の上にしゃがみ込み、互いの息遣いが混じり合った。
マシロが吐き捨てた。
声は低く、棘のように鋭かった。
「俺はお前らに協力なんか、しないぞ。侍科の奴と、組むなんて……」
マシロの瞳が、キラリを睨んだ。
トモエが睨み返した。
「今更なに言ってんだよ。俺達が師範にぶっ飛ばされてんのに、お前一人で勝てると思ってんのか?」
空気が、再び張りつめ、砂塵が三人の間に舞った。
キラリは制した。
手を挙げ、穏やかな声で割って入った。
「大丈夫だ。まずは、自己紹介をしよう。まだ時間はある。お互いを知るところから、始めよう」
その瞳は、澄んでいて、昨日の屈辱を越えた決意を宿した。
マシロの肩が、わずかに緩み、トモエが頷いた。
三人は、土の上に座り込み、言葉を交わした。
キラリは、自身の得意な刀捌きを語り、身の上話をした。
「俺は……むねまちキラリ。本家の血を引くけど、今は落ちこぼれだ。……あの夜、隕石が屋敷を焼き尽くしたんだ。生き残ったのは俺だけだった。あれ以来、胆力が発現しないんだ。魂の空白が、胸の奥で疼いてるみたいに。みんなの嘲笑も、毎日胸を抉るよ。……でも、この刀で証明したい。この抜刀術は、父さんが教えてくれたものだ。俺の魂は失われてないって、それだけは絶対に」
声がわずかに震えたが、瞳は揺るがなかった。
トモエが目を輝かせて褒めた。
「お前、胆力使えないのか!? それであの技量って……スゲーな」
彼女の笑みが、軽やかだった。
「俺はこづかトモエ、霧の国から来た忍者。でも……血が苦手で、殴る時に躊躇う。庭であいつらをぶっ飛ばしたけど、キラリの血見て、膝ガクガクだったろ?」
トモエの声に珍しく影が差した。
黒髪を指でいじり、土を軽く掻いた。
その脆さが、キラリの胸を温かくした。
マシロの番。
彼は少し俯き口を開いた。
拳を膝に置き、砂を睨むように視線を落とした。
「俺は、めぬきマシロ……侍科だ。俺は、侍なんてなりたくないんだ。本当は、刀鍛冶になりてえ。でも、俺はキラリ……お前と同じ名家の出だ。だから、お前のことも嫌いだった。……俺の家臣たちは、国境の戦で散った。中央のお前らがのうのうと暮らしてるのにってずっと苛立っていた」
声が震えた。
「でも、そうか……お前が、あの隕石事件の奴だったんだな。それに胆力もないのに……すまなかった。……俺は、学校を卒業して侍になって、十侍に選ばれれば、後はなんでも好きにしろって言われてる。だから、こんなところで躓いてはいられない」
マシロの声が途切れ、拳を握る手が白くなるほど強く締め上げられた。
砂を睨む瞳に、涙がにじみ、声が詰まった。
「……俺、こんなところで終わりたくねえ……つまんねぇ意地張ってた……ごめんよぉ!」
マシロは拳を握りしめて熱く叫んだ。
「……本気出すよ! 俺だって師範に一撃ぶち込んでやる! みんなの夢、一緒に叶えようぜ!」
キラリは二人の肩に手を置き、静かに頷いた。
「……ありがとう。俺たちなら、できる」
マシロはハンゾウを睨みつけた。
師範の笑みが彼の決意を試すように深まった。
ハンゾウは膝に肘を置き、頬杖をつきにこやかに笑った。
「青春だねえ」
長刀の柄を指で叩き、リズムを刻んだ。
その姿が三人の胎動を見守る炉の守護者のようだった。
マシロはキラリに告げた。
「俺の侍刀技は、炎だ。目くらまし位には使える。……上手く使ってやってくれ」
声は、ぶっきらぼうだったが、棘が抜けたように柔らかかった。
キラリはマシロの手を握った。
「ありがとう」
温かな掌が、互いの決意を伝えた。
キラリは二人を交互に見つめ、低く息を吐きながら言った。
「よし……作戦はこうだ……」
トモエがニヤリと笑った。
「おう、任せろ!」
マシロが拳を握りしめて頷いた。
「これで、俺たちの勝ちだ。師範、覚悟しとけよ!」
三人は顔を見合わせた。
頷き合う瞳に、絆の芽が生まれた。
ハンゾウの視線が期待に満ちて三人を包んだ。
鋼の炉は今、胎動を始めた。




