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KILARe:  作者: 川合 佑樹


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33/36

第33話

 数日後――病院の白い天井が、ぼんやりとキラリの視界に広がった。

 まぶたをゆっくりと開くと、消毒薬の清潔な匂いが鼻をくすぐった。

 柔らかなシーツの感触が体を優しく包み込んだ。

 痛みは……なかった。

 肩の傷も、胴の穴も、夢だったかのように消えていた。

 だが、代わりに体全体に奇妙な浮遊感が残った。

 魂が肉体に完全に馴染んでいないかのように、軽くも不気味に宙を漂う感覚。

「また……ここか……」

 キラリはゆっくりと体を起こそうとした。

 視界の端に二つの影が飛び込んできた。

「キラリ! 目を覚ましたのか! 大丈夫か!?」

 マシロの声が、弾けるように響いた。

 彼のむすっとした顔が、ベッドの縁に寄りかかっていた。

 大きな瞳に、心配と安堵が混じり合っていた。

「よかった! 今医者を呼んでくるからな!」

 トモエの声が、続いて弾んだ。

 忍装束の袖を翻し、病室の扉を素早く開けて駆け出していった。

 その足音が、廊下に軽やかに木霊した。

「体に痛い所はないか!? 大丈夫か!?」

「あぁ……動けるよ」

 キラリは、マシロの手を借りて上体を起こした。

 彼の掌は温かく、力強かった。

 視界がようやくクリアになり、ベッドの正面に座る人物が目に入った。

 ハンゾウだった。

 師範は、いつもの長刀を膝に置き、キラリを見つめていた。

 その瞳の奥に、底知れぬ疲労と安堵が宿った。

 嵐を乗り越えた後の静かな海のように。

「よく生きて戻ったな、キラリ」

 ハンゾウの声は、低く響き、部屋の空気を優しく振るわせた。

 キラリは、喉の乾きをぐっと飲み込み、かすれた声で問うた。

「俺は……いったい、どうなったんですか?」

 ハンゾウは、わずかに目を細め、視線を窓の外に移した。

「今聞きたいか? 少し休んでからでもいいぞ」

 キラリは首を振り、ベッドのシーツを握りしめた。

「……お願いします。知りたいんです」

 ハンゾウはため息の後、ゆっくりと語り始めた。

「お前は、ヒサヒとの戦闘で胴に大穴が開いたような大怪我を負った。表面上は治っていたが、内側はボロボロだったと医者が言っている。臓器がずたずたで、普通なら即死レベルの傷だったそうだ。そして、ヒサヒをお前が倒した後……お前がヒサヒを殺傷しようとしていたところを、十侍であるなかごノカミが割って入ったとのことだ」

「ノカミ……兄さんが?」

「あぁ。俺もノカミに助けられ、お前らの救出に至った。その後、ノカミは部下にクラノの救出を指示していたが……ミツヒは霧の国に逃げ切られた。そう上は判断している」

「そんな……クラノが……。なんでノカミ兄さんはクラノを助けに?」

「キラリ。お前は今一度、自身の置かれている立場を考えた方がいい。ノカミはこの国を守るために、最も重要な仕事を遂行したに過ぎない。お前――キラリ――を守ることが、あいつの仕事だったんだ。だから、恨んでやるな」

 キラリは目を伏せ、シーツの皺を指でなぞった。

 八人目の王として、国に監視され、守られる存在。

 それが、自分の立場――だが、クラノの命がその犠牲になったのだとしたら……。

「でも……きっと生きてる。そうですよね、師範」

 マシロの声が、横から響いた。

 ハンゾウは、ゆっくりと頷いた。

「あぁ。残酷な話だが、クラノは分家とはいえこの国の名家だ。人質としての価値も高い。またキラリ、お前の兄弟のようなものだ。つまり、クラノを引き合いに出してお前になにかを要求してくる可能性もある。覚悟はしておけ」

 キラリは頷いた。

「はい……師範」

「情報は以上だ。そして……すまなかった。ミツヒが三重密偵をしていると判断できなかった俺たち大人の落ち度だ。二度とこのようなことがないよう、これからお前には護衛が付くことになるだろう。だが、これまで同様学校生活はしてよいとのことだ。動きにくいだろうが、理解してくれると助かる」

 師範の謝罪――それは、ただの言葉ではなく、教え子を守れなかった男の、深い悔恨だった。

 病室の扉が開く音が響いた。

 トモエが、息を弾ませて戻ってきた。

 彼女の後ろに、医者の白衣が揺れた。

 そして、意外な三人組が続いていた。

「キラリ、先生を連れてきたぞ!」

 トモエの声が、明るく響いた。

 医者は、キラリの体を素早く触診し、脈を測り、傷口を確かめた。

「問題ないですね。内臓の損傷も完全に修復されている。――ただ、無理は禁物ですよ」

 医者はハンゾウに一礼し、部屋を出ていった。

 残った三人は、タケツ、テラサ、そしてレヴナだった。

 レヴナは、後ろの二人を肩越しに親指を差した。

「なんか病院の外にいたから連れて来てやったぞ。ウロウロしてて、怪しかったんだよな」

 トモエは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

「レヴナが『旦那様のご学友なんだろ? じゃああたしの友達だ!』って騒いでさ」

「そうだ! 旦那様のご学友なら、あたしの友達だ! 助けてやるよ!」

「ということらしいぜ」

 タケツとテラサは、うつむいたまま、一言も発さなかった。

 部屋の空気が、重く淀んだ。

 二人の肩が、わずかに震えているのが見えた。

 キラリは、ベッドから足を降ろし、ゆっくりと立ち上がった。

 肩の傷の痕が、かすかに疼いたが、気にせず、二人の前に進み出た。

 そして、深く頭を下げた。

「クラノを助けられなくて……すまなかった」

 キラリの視界に、二人の足が映った。

 そして、数滴の水が、ポタポタと落ちてきた。

 キラリが顔を上げると、タケツとテラサは涙を流し、口を固くつぐんでいた。

 キラリは、二人の名前を優しく呼んだ。

「タケツ……テラサ……」

 タケツの巨体が、声を絞り出した。

 声は低く、胸の奥から迸るような叫びだった。

「俺達は……意識を失い、戦うことすらできなかった。本当に……情けねぇ。情けねぇよ、俺は……すまねぇキラリ。お前のことを馬鹿にしてたのは、謝っても許されることじゃねぇって、分かってる。お前はヒサヒと立派に戦ったと聞いた。俺には、なにもできねぇんだ。でも助けてぇ……クラノを俺は助けてぇよキラリ」

 彼の拳が、握りしめられて白くなった。

 テラサは、涙声で続けた。

「お、お願いします……。いつになっても構いません。私も強くなります……クラノ様を救出するお供に、連れて行ってください」

 二人は、深々と頭を下げた。

 その姿は、クラノの取り巻きとして嘲笑していた頃の面影はなく、ただ純粋な仲間を失った悲しみに染まっていた。

 キラリは、二人の肩に手を置き力強く言った。

「俺は君たちのことを誇りに思う。こうしてここに来るのも、怖かったんだと思う。そして、俺の大切な友であるクラノを、ここまで慕ってくれてありがとう。みんなで強くなろう。そして、取り返そう。必ず」

 タケツとテラサが、うおおおおと獣のような咆哮を上げ、キラリに飛びついた。

 巨漢の体が少年を押しつぶすように抱きしめ、テラサの細い腕が優しく巻きついた。

 涙が混じり合い、部屋に温かな湿気が広がった。

 マシロは、むすっとした顔でそれを見ながら、涙を拭った。

「くそっ……お前ら、泣かすなよ……俺まで……!」

 トモエは、姉御肌の笑みを浮かべ、キラリの背中に飛びついた。

「よしよし! みんなでクラノを助けに行こうぜ! 俺も全力で守ってやるよ!」

 ハンゾウが上を向いた、涙がこぼれぬように。

「青春だねぇ」

 こうして、この騒動は幕を閉じた。

 後の「風影事件」と呼ばれる、霧の国による大胆な侵略の序曲として、忘れられない出来事だった。

 次の試練は、まだ始まったばかりだった。


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