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KILARe:  作者: 川合 佑樹


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32/36

第32話

 第三障壁の通路は、息を潜めた巨獣の喉元のように、重く淀んだ静寂に包まれていた。

 崩れ落ちた天井のひび割れから、パラパラと細かな瓦礫が落ちてきた。

 埃っぽい空気に混じって微かな土の匂いが広がった。

 薄い光が隙間から差し込み、埃の粒子を舞わせていた。

 だが、その美しさは戦いの残骸をただ強調するだけだった。

 ヒサヒは壁に背を預け、両手をだらんと下げて息を荒げていた。

 金髪が汗と埃で乱れ、頰の傷口から滴る血が着物の襟を赤く染めていった。

 掌は震え、指先が微かに痙攣した。

 技の反動が胆力を食い荒らし、血管を焼きつくすような痛みが腕全体を蝕んでいた。

「あぁもうイライラする……。くそっ……まだ、上手く制御ができねぇ……やりすぎちまった。彼が死ぬ前に、治療しないとな……」

 ヒサヒはゆっくりと立ち上がり、なんとか動く右手で懐を探った。

 革袋から小さな丸薬を取り出した。

 一歩、近づく――キラリの倒れた姿へ。

 少年の体は胴にぽっかりと開いた穴から鮮血を吐き出し、地面に赤い花を咲かせていた。

 息は浅く、顔は蒼白で、命の灯が今にも消え入りそうな儚さだった。

 マシロとレヴナはその傍らで気絶し、倒れていた。

 ヒサヒの瞳にわずかな嘲りが浮かんだ。

「ふっ……本気を出すまでも無かったな。柄にもなく熱くなってしまった」

 だが、その一歩を踏み出した刹那、ヒサヒの右手に異様な違和感が走った。

 指先に絡みつくような、しかしそれ以上に重く確かな感触。

 なにかが右手首を掴んだ。

 鋼の枷のような、しかし柔らかく生命の温もりを帯びたなにか。

「なんだ……?」

 ヒサヒは慌てて手元を見下ろした。

 そこにぼんやりとした青白い輪郭が浮かび上がっていた。

 青白い輝きが渦を巻き、形を成した。

 それは手だった。

 無数の指が絡みつく、光の幻の手。

 ヒサヒの指を優しくしかし容赦なく解きほぐし、丸薬を奪い取った。

 薬の欠片が光の掌に包まれ、キラリの体へと滑るように飛んでいった。

「は? なんだ今のは……忍術か? 侍刀技か?」

 キラリの胴の穴に丸薬が埋め込まれた。

 魂の欠片が宿るように。

 次の瞬間、無数の輝く手がキラリの体から溢れ出した。

 大小さまざまな形のそれらは柔らかく、しかし鋼のように固く、少年の傷口を覆い押さえ修復を始めた。

 血の流れが止まり、裂けた肉がゆっくりと寄り合い、骨の軋みが微かな音を立てて癒えていった。

 粒子の輝きがキラリの肌に染み込み、青白い輝きが体全体を包んだ。

 それはただの治療ではない――隕石の残魂が宿主を守るための永遠の守護だった。

 ヒサヒの瞳が見開いた。

「覚醒……したのか……!」

 ヒサヒの心に初めての恐怖が芽生えた。

 光の手は意志を持った生き物のように蠢き、キラリの体を優しく抱え上げた。

 少年の息が徐々に深くなり、蒼白だった頰にわずかな血色が戻った。


 キラリは夢を見ていた。

 それは遠い記憶の残響。

 銀河の果てしない闇を漂う魂の孤独。

 そして最近の約束。

 仲間たちの笑顔、絆、守るべきものの温かさ。

 夢は現実の延長のようにぼんやりと広がり、しかし冷めた歴史の一ページのように胸を締めつけた。

 夢の中でキラリは果てしない虚空に佇んでいた。

 星屑がゆっくりと回転する銀河の渦巻きが周囲を照らした。

 そこに一人の男が現れた。

 黒髪をきっちりと束ね、文人肌の優雅な着物に身を包んだ姿の吉良上野介。

 男の顔は怒りに満ちたような、呆れたような、それでいて父のような優しい目をしていた。

 雪原の血塗れの記憶が男の瞳に宿り、今は静かな諦念がそれを包んでいた。

「また死にかけ……、死んでいるじゃないか」

 吉良の声は低く響き、虚空に溶け込むように優しかった。

 だが、その言葉の端に拭いきれぬ悔恨の棘が刺さった。

 キラリは夢の中で体を起こし、男を見つめた。

「ごめんなさい……また、みんなを巻き込んで……それにキラさんも……」

 吉良はゆっくりと近づき、キラリの肩に手を置いた。

 その感触は冷たくしかし温かく、永遠の旅路を思わせた。

「謝るな。お前の体は、私の宿り場だ。死ねば、私もまた虚空に還るだけ……。ここで終わってもそういうものだったと私は受け入れる。だが、まだ戦うというのなら少なからず助力しよう」

 キラリは夢の中でさえ仲間たちの顔が浮かんだ。

「戦えます。絶対に、生きて帰ります」

「そうか……無茶はするなよ、キラリ。今一度力を貸そう」

 虚空がゆっくりと溶けていった。

 吉良の姿が星屑に変わり、キラリの胸に溶け込んだ。


 キラリは目を覚ました。

 無数の光の手が巨大な一つの掌となり、キラリの体を優しくしかし力強く起こした。

 肩の傷口がゆっくりと塞がり、胴の穴が肉芽を形成して閉じていった。

 痛みは残ったが、それはもはや死の予感ではなく生きるための鼓動だった。

 キラリの瞳がゆっくりと開いた。

 そこに宿るのは少年の純粋さと吉良の悔恨が融合した、果てしない深淵だった。

 ヒサヒの顔が青ざめた。

「これが……隕石の力か……化け物め!」

 金髪の彼の声に初めての動揺が混じった。

 背筋に冷たいものを感じた。

 これはただの力ではない。

 魂の守護、秩序を崩す八人目の残響だった。

「やられる前に、やってやる!」

 ヒサヒは咄嗟に懐から棒手裏剣を取り出し、キラリの喉元へ投げつけた。

 鋼の冷たい閃光が空気を切り裂き、死の矢のように飛んだ。

 だが、光の手がそれを掴んだ。

 無数の指が絡みつき、手裏剣を優しく包み込み粉々に砕いた。

 金属の欠片が散らばる音が静寂を破った。

「効かないよ……もう、なにも。彼が助けてくれるから」

 キラリはゆっくりと立ち上がった。

 体から溢れる光の手が無数に蠢き、周囲を覆った。

 声は低くしかし通路全体に響いた。

「だからごめん……手加減できない」

 ヒサヒが短刀を抜こうと手を伸ばした。

 だが、光の腕が彼の右腕を押さえつけた。

 鋼のように固くしかし柔らかく、彼の動きを封じた。

「さよなら」

 次の瞬間、キラリの体が押し出されるように前進し、力の奔流が体現された蹴りがヒサヒの顔面に叩き込まれた。

 ゴキン!

 鈍い衝撃音が響き、金髪の彼の体が壁に激突した。

「かっ……」

 石材がひび割れ、粉塵が舞い上がり、ヒサヒの体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 たった一撃だった。

 ヒサヒの意識が闇に沈んだ。

 頰の傷口から血が滴り落ちた。

 天才のプライドが粉々に砕け散った瞬間。

 キラリは勝利した。

 だが、無情にも追撃を仕掛けた。

 光の手を束ねた質量の塊。

 それは巨大な拳となり、ヒサヒの体を葬るには十二分に過ぎる攻撃を振りかぶった。

 空気が震え、地面が軋んだ。

 一撃で少年の命を絶つだろう。

 刹那、キン、という澄んだ音が通路に響いた。

 キラリの体が硬直した。

 光の手が揺らぎ、奔流が一瞬で収まった。

 少年の瞳がぼんやりと曇り、意識が闇に落ちた。

 吉良の声が胸の奥でかすかに囁いた。

「よくやった……休め」

 通路に再び静寂が訪れた。

 瓦礫の落ちる音だけが、ゆっくりと響いていた。


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