第31話
試験会場砂地の中央で、ヒサヒの瞳に冷徹な輝きが宿った。
彼はゆっくりと両手を胸の前で重ね、指先を微かに捻じりながら構えた。
「さて……狩るか」
霧の粒子がその周囲でわずかに渦を巻き、空気そのものが彼の意志に屈服するように震え始めた。
「――忍法『共振透』!」
その呟きは低く、雷鳴のように鋭かった。
ヒサヒの掌から、無形の波動が爆発的に広がった。
それは音速を超えた振動の奔流だった。
空気が歪み、砂粒が一斉に舞い上がり、轟音が響いた。
「あの構えは……!」
キラリの喉から、思わず叫びが漏れた。
直感が体を動かした。
キラリは全力で横に飛びのいた。
ドガァン!
キラリが立っていた場所の後ろ、石壁に巨大な穴が一瞬で開いた。
衝撃波が壁全体を震わせ、ひび割れが蜘蛛の巣のように広がり、粉塵が雪崩のように崩れ落ちた。
空気がビリビリと痺れるように疼き、キラリの耳鳴りが止まらなかった。
一瞬遅れていたら、体が粉々に砕けていただろう。
「あいつ……殺す気だ!」
キラリが振り返ると、そこにハンゾウの長身が立っていた。
長刀を構え、ヒサヒを睨みつけるその姿は、雷雲を纏った鬼神のようだった。
「キラリ、逃げろ! 俺が相手する!」
ハンゾウの声は雷鳴のように轟き、空気を切り裂いた。
だが、その言葉が終わるや否や、コタロウの巨躯がハンゾウの足元に迫った。
「いいえ……あなたは逃がしません」
コタロウの声は穏やかだったが、底知れぬ冷徹さを帯びていた。
巨漢の両腕がハンゾウの足に絡みつき、鉄の枷のように容赦なく絞り上げた。
骨が軋む音が響き、ハンゾウの表情がわずかに歪んだ。
「ぐっ……コタロウ、お前……!」
ハンゾウの呻きが漏れた。
キラリは迷わなかった。
「師範! 逃げ延びます!」
師範の視線がわずかに頷くのを感じ取り、少年は歯を食いしばって会場から逃げ出した。
だが、ヒサヒの連撃は容赦なかった。
「逃がさないよ」
金髪の彼の指が再び鳴り、振動の波動が壁を穿った。
ドガン! ドガン!
連続する爆音がキラリの背後を追った。
石壁が次々と崩れ、粉塵が少年の視界を覆った。
振動の余波がキラリの体を震わせ、肺に砂の味が広がった。
ヒサヒは周囲を素早く確認し、キラリを追った。
キラリは走り、息を切らしながら刀を抜いた。
「くっ……追ってきてるな」
後ろから、ヒサヒの気配が迫った。
「これは……少し痛いよ」
金髪の彼は腰の袋から棒手裏剣を素早く取り出し、手のひらに握り込んだ。
ヒサヒの唇の輪郭がわずかに湾曲し、優越を湛えた。
「――忍法『圧空撃』!」
バスッ!
爆発音が空気を震わせた。
ヒサヒの手から、圧縮された空気の奔流が噴き出し、棒手裏剣を弾丸のように押し出した。
シュン!
手裏剣はただの投擲物ではない。
空気の圧力で加速され、風を纏った矢のように鋭かった。
「ぐあっ!」
棒手裏剣がキラリの右肩を貫いた。
鋼の冷たい感触が肉を裂き、骨に食い込む痛みが爆発した。
少年の体がバランスを崩してつんのめる形で地面に転がった。
激しい痛みが視界を赤く染めた。
「なんだ……なにが起きた」
キラリの指が無意識に傷口を押さえ、血が指の間から滴り落ちた。
ヒサヒがゆっくりとキラリに近づいた。
「痛てて……この技は自分も痛いから嫌なんだよなぁ」
彼の瞳に獲物を仕留めた狩人の満足が浮かんだ。
彼は懐から小さな丸薬を取り出し、口に含んで噛み砕き、薬の苦味が舌に広がるのを堪え、唾液に混じって手のひらに吹きかけた。
傷を癒し、胆力を回復させるもの。
ヒサヒの掌が微かに青白く光り、薬の成分が肌に馴染んだ。
「生きて捉えろ、とのことだが……暴れられても困る。四肢くらいは削らせてもらうぞ」
ヒサヒの声は軽やかだったが、底知れぬ冷徹さを帯びていた。
指先が再び捻じれ、振動の気配が空気を震わせた。
キラリの左腕に焦点を合わせ、掌がゆっくりと向けられた。
次の一撃で、腕が砕けるだろう。
「やめろっ……ヒサヒっ!」
キラリの叫びが喉を裂くように迸った。
ヒサヒの掌がわずかに震えた。
一瞬の隙。
「やらせるか!」
瞬間、赤い閃光が飛んできた。
シュン!
炎の矢がヒサヒの頰を抉り、熱風が金髪を焦がし、血の滴りが落ちた。
衝撃が彼の体を吹き飛ばし、後方へ転がった。
着地と同時に体を起こしたが、頰の傷から血が滴り、視界がわずかに赤く染まった。
「なっ……!」
マシロの声が喧騒を切り裂いた。
「キラリ! 大丈夫か!」
彼の掌から残り火の気光が揺らめき、息が荒かった。
キラリは肩の痛みを堪え、体を起こした。
視界が揺らぐ中、声は強く響いた。
「マシロ! 俺は大丈夫だ! 逃げろ!」
マシロは首を振った。
掌に新たな気光を灯し、ヒサヒを睨んだ。
「お前を置いていけるか!」
その横から、意外な声が響いた。
「そうだそうだ!」
レヴナが駆け寄っていた。
キラリは思わず目を丸くした。
「えっ……なんで君が……?」
レヴナは拳を握りしめ、豪快に笑った。
「旦那様のご学友なら、あたしの友達だ! 助けてやるよ!」
キラリは混乱の渦に飲み込まれそうになった。
「えっ……旦那様って……?」
マシロがキラリの肩を叩き、急かした。
「なんか、俺が勝ったから懐かれたんだ! 細かいことは後だ、今はここから脱出するぞ!」
その瞬間。
ゴウッ!
衝撃波が三人を襲い、空気が歪み、砂粒が一斉に舞い上がり、霧の粒子が爆発的に渦を巻いた。
波動は獣の咆哮のように体を押し潰し、キラリたちを抉った。
「ぐっ……!」
しかし、上手く胆力が練られなかったのか威力が弱まっていた。
衝撃は三人を軽くその場に釘付けにする程度で、吹き飛ばすほどではなかった。
「まだ……動けるのか」
キラリは歯を食いしばり、体を支えた。
三人は互いの視線で頷き合った。
ヒサヒはゆっくりと立ち上がった。
「ダメージを食らったのは、久しぶりだよ……そうか、彼女たちは失敗したか。他愛もない。あの眼鏡女、相変わらず計算高いふりして、結局何もできない役立たずじゃねーか。『データに基づいて最適解を』だって? 笑わせるぜ。あのレンズが曇っちまったら、どんな顔して里の長に媚びへつらうんだろうな……きっと、知ったかぶりのプライドが崩れて、いつものように一人で本に埋もれて悔しがるんだろうよ」
キラリは肩の痛みを堪え、刀を構え直した。
「レヴナ、君はヒサヒと相性が悪い。今のうちに下がっていろ」
「あたしだって、戦える!」
マシロが制した。
「レヴナ、下がっていてくれ」
「うん、分かった!」
少女は一歩後ろに下がり、瓦礫の欠片を手に取った。
それは即席の投擲武器。
「ハンガも大概だ。俺の活躍を『リスク高すぎ』だのと。ふざけんなよ、黒布の下で何考えてるか分かんねえくせに、俺の自由な戦い方を『無謀』だって嘲笑うだけじゃねえか。そのくせ弱ぇなんてよぉ! これだから、女忍びは使えねえんだよ! いつも俺の影で息を潜めて、成果だけ横取りしようとしてくるんだからなぁ!」
ヒサヒは怒りに任せ、地面を強く踏みつけた。
キラリはマシロにハンドサインを閃かせた。
『俺が先に出る』
少年は深く息を吸い、胆力を練り上げた。
青白い気光が体を厚い幕のように包んだ。
それは振動を吸収する盾。
「これで終わらせる!」
キラリはヒサヒに突っ込んだ。
「あぁ……もうウザいよお前」
すると、ヒサヒが両手を胸の前で重ね、こぶし大の隙間に掌を広げて唱えた。
「雑魚が舐めてんじゃねえぞ! ――忍法『重気爆』」
トトトトトト……ドドドドドド!
音が次第に膨張した。
空気が圧縮され、爆発の予感が場を震わせた。
彼の瞳に獰猛な輝きが宿った。
圧縮された空気の爆弾。
「精々、凌いで見せろ……穿て!」
ヒサヒが両足を踏ん張り、キラリに向かって両手を捻じり、突き出した。
掌から光の奔流が発射された。
音速を超えた衝撃波が空気を裂いた。
波動は雷鳴のように轟き、キラリの胆力の幕を直撃した。
ズガァン!
衝撃が幕を穿ち、キラリの胴を貫通した。
肉が裂け、骨が軋む痛みが爆発し、少年の体に穴が開いた。
キラリは衝撃の余波で後ろに吹き飛び、天井に叩きつけられた。
息が詰まり、体が動かなかった。
激しい痛みが全身を蝕んだ。
その後ろのマシロとレヴナも、衝撃波によって吹き飛ばされた。
空気が重く淀み、裏切りの残響が広がった。
だが、まだ終わらない。
キラリの瞳にわずかな光が灯った。




