第3話
なかご家の日々は、静かな水面のように穏やかに流れていった。
キラリはノカミの指導の下で技を磨き続けた。
ノカミは、庭の中央に立ち、自らの刀を構えてその動きを見守った。
冷静な眼差しが少年の動作を捉える。
「足を落とせ。重心を低く――刀は大地と語らうものだ」
ノカミの声は低く響き、キラリの心に染み入った。
少年は汗を拭いもせずに素振りを繰り返した。
刀が空を切り、風を裂く音が庭に反響した。
ノカミは満足げに頷いた。
「良し。休め」
そんな指導の時間は、キラリにとって唯一の安らぎだった。
だが、戦いの場で試される時――なかご家の若者たちとの模擬戦――そこで、キラリの胆力の欠如は致命的な棘となって突き刺さった。
相手の侍が胆力を発現させると、刀身に青白い気光が宿り、斬撃が加速した。
一撃が空気を震わせ、地面に浅い溝を刻んだ。
キラリは純粋な抜刀術で応戦した。
速く、正確に、隙を突いて。
しかし、胆力のない刀はただの鉄の延長線に過ぎなかった。
相手の気光が少年の体を掠め、衝撃が骨まで響いた。
息が乱れ、膝が折れそうになった。
「まだだ……!」
キラリは歯を食いしばったが、結果はいつも同じだった。
敗北の苦味が喉に残った。
そんな少年の存在を、クラノは次第に疎ましく感じるようになっていた。
本家出身のキラリ――むねまちの血を引く遺児――が家中で贔屓される姿が、クラノの胸を抉った。
夕餉の席で、それは特に顕著だった。
広間の卓に湯気の立つ味噌汁と炊き立てのご飯が並んだ。
ノカミが箸を置きながらキラリに語りかけた。
「今日の素振り、進歩したな」
その声は優しく、弟を労わる兄のように温かかった。
少年は照れくさげに頭を掻き、応じた。
「ありがとうございます」
周囲の使用人たちも微笑みを浮かべ、キラリの皿に肴を追加した。
「本家の坊ちゃま、もっと食べておくれ」
クラノはそんな光景を卓の端から睨みつけた。
兄の視線はいつもキラリに向かい、自分の稽古の成果など影のように薄かった。
夜の寝床で、クラノは布団にくるまり、拳を握りしめた。
「なんで……あいつばっかり……」
嫉妬は棘のようにクラノの心に食い込み、眠りを蝕んだ。
クラノの瞳には、無邪気さの裏に暗い影が宿り始めていた。
兄の天才ぶりに比べて、自分はいつも一歩遅れだった――だが、キラリの出現はそれさえも奪う存在だった。
「あいつは胆力のない、ただの本家の残りカスじゃないか……」
ついに、クラノは牙を剥いた――それは庭での稽古中だった。
午後の陽光が竹林を金色に染めた。
ノカミの指導が終わり、若者たちが自由稽古に移る頃。
キラリは刀を手に息を整え、クラノに視線を向けた。
「クラノ、一緒にやろうか?」
無邪気な笑顔で誘う少年に、クラノは一瞬唇を歪めた。
「ああ、いいぜ。本家の技、見せてもらおうか」
二人は庭の中央に立ち、互いに刀を構えた。
周囲の者たちは遠巻きに眺め、笑い声を交わした。
だが、クラノの目は冷たく輝いていた。
稽古が始まった。
キラリの刀は流れるように速く、弧を描いてクラノの肩を狙った。
クラノは軽く躱し、反撃に転じた。
刀が交錯し、衝撃音が広がった。
互角の攻防――キラリの技量は確かに優れていた。
だが、クラノの息が荒くなり、額に汗が浮かぶ頃、彼の内に秘めたものが爆発した。
「――侍刀技『剛気斬』!」
クラノの叫びが庭に木霊した。
次の瞬間、刀に青白い気光が宿った。
光は渦を巻き、刀の先端を包んだ。
クラノの目が獣のように鋭く変わった。
一閃――青白い輝きの斬撃がキラリを直撃した。
衝撃は雷鳴のように轟いた。
キラリは吹き飛ばされ、地面を転がった。
背中が土に擦れ、息が詰まった。
刀が手から滑り落ち、遠くに飛んだ。
体中が痺れ、視界が揺らぐ。
「ぐっ……! まだまだぁ!」
キラリは這うように起き上がり、歯を食いしばった。
胆力の有無は侍の戦いで天と地の差を生んだ。
それはただの力の差ではなく、魂の輝きの差だった。
クラノの気光は空気を震わせ、周囲を熱く焦がした。
一方、キラリは純粋な抜刀術で耐えようと構えた。
足を踏み込み、隙を突いて斬り込んだ。
だが、クラノの動きはすでに別次元だった。
その輝きが防いで、反撃の斬撃が腹にめり込んだ。
「はん、弱ぇなあ!」
クラノの嘲笑が響いた。
「本家の坊ちゃんも、所詮は空っぽの鞘だな。胆力なしじゃ、ただの飾り物だぜ」
その言葉は鋭い痛みのように心を抉った。
周囲の者たちは息を飲み、互いに顔を見合わせた。
クラノの気光はなおも脈動し、庭の空気を支配した。
キラリは膝をつき、唇を噛んだ。
血の味が口に広がった。
稽古はクラノの勝利で終わった。
クラノは刀を投げ捨て、背を向けた。
瞳に満足げな光が宿ったが、その奥に苛立ちの残り火がちらついた。
「兄貴みたいに、俺は強くなってやる……お前なんか、いなくてもいいんだ」
ノカミは多忙を極め、そんな一件に気づかなかった。
新日本国の「十侍」として、国境の偵察や同盟の交渉に追われ、屋敷に戻るのは夜更けだった。
クラノの苛立ちは募るばかりだった。
広間で兄の背中を睨み、独り言を呟いた。
「あいつさえ、いなけりゃ……もっと」
嫉妬は毒のようにクラノの心を蝕み、家族の絆に影を落とした。
キラリの寝床の障子から月光が差し込み、畳に銀の帯を描いた。
心の痛みは少年の眠りを浅くした。
嫉妬の渦は、なかご家を飲み込もうとしていた。




