第29話
裏切りの渦は一瞬の隙を突いて、修練場全体を飲み込んだ。
黒子忍者たちの刃が師範たちを包囲し、生徒たちの悲鳴が広がった。
その中心で、二つの激闘が同時多発的に火蓋を切った。
「それじゃあ楽しく殺し合いましょう、師範!」
コタロウの巨躯が加速した。
端正な顔立ちが冷徹な仮面に変わり、腰の刀が抜かれた。
刃の輝きは、彼の裏切りを象徴するかのように、冷たく鋭くハンゾウの喉元を狙った。
一閃。
巨漢の膂力が刀身に重みを加え、空気を震わせた。
「考え直せ、コタロウ!」
ハンゾウは反射的に体を捻った。
長身が猫のように低く沈んだ。
刀の刃がわずか数センチの差で彼の頰を掠めた。
師範の瞳に驚愕と怒りが閃いたが、動きは止まらなかった。
落ちた長刀を足の裏で素早く弾き上げた。
鋼の柄が弧を描き、空を舞うのを左手で正確に捉えた。
次の瞬間、反撃の斬撃がコタロウの脇腹を薙いだ。
ガキン!
「うおっあぶないっ」
コタロウが刀で受け、二つの刃が激しくぶつかり合い、火花が朝陽に照らされて金色の粒子のように散った。
衝撃波が砂を巻き上げ、二人の体をわずかに押し返した。
コタロウの巨体が一歩後退し、ハンゾウの腕に痺れが走った。
師範の息がわずかに乱れた。
「さすがだ、師範……やすやすと取らせてくれないか!」
コタロウの口調は低く響き、しかしその端正な顔に浮かぶ笑みは、かつての教え子らしい爽やかさを失っていた。
代わりに冷徹な計算が瞳に宿った。
巨漢の瞳がハンゾウを値踏みするように細まった。
ハンゾウは刀を構え直し、灰色の瞳を鋭く光らせた。
息を整えながら、吐き捨てるように問うた。
「なぜ、国を裏切った! コタロウ!」
刀身が再び交錯した。
「裏切った!? 俺は裏切ってなどはない!」
コタロウの重い一撃がハンゾウの防御を崩そうと振り下ろされ、師範はそれを滑らせるように受け流した。
刃が擦れ合い、金属の悲鳴が木霊した。
コタロウの巨体が圧倒的な膂力で押し込み、ハンゾウの体を後退させた。
「ではなぜ!?」
しかし、師範の動きは雷のように素早かった。
「彼は危険すぎる! あなたも、良く知っているはずだ! いずれこの国に、いや、世界に仇なす存在となる!」
コタロウの言葉が剣戟の合間に迸った。
巨漢の刀が再び振り上げられ、重みを増した一撃がハンゾウの肩を狙った。
「俺達大人が導けばいい! こんなことをしても意味はないぞ!」
だが、師範はそれを予測したかのように体を沈めて躱した。
反撃の斬撃がコタロウの膝を掠めた。
二人の剣戟は嵐のように続き、砂を次々と巻き上げた。
刃の軌跡が残光のように残り、火花が朝陽に溶け込んだ。
裏切りの理由が明らかになろうとしていた。
その傍らで、別の激闘が繰り広げられていた。
マシロの前に、ハンガが忍び寄った。
「抵抗するな。楽に逝かせてやる」
黒布の下の瞳が無表情に彼を射抜き、短刀の刃が朝光を冷たく反射した。
一閃、マシロの喉元を狙った。
「――マジかよっ!」
マシロは反射的に掌を広げ、胆力を練り上げた。
赤い気光が渦を巻き、炎の壁が爆発的に広がった。
「侍刀技『炎壁波』!」
橙色の炎がハンガの前に立ちはだかった。
熱波が砂地を焦がし、空気を歪め、短刀の刃を一瞬溶かすかのように押し返した。
「距離を取れれば、勝機はある……のか!?」
しかし、ハンガの動きは止まらなかった。
「……面倒だな」
黒布の下の唇がわずかに動いた。
声は低く、しかし確実に響いた。
「――忍法『水瀑布』」
次の瞬間、ハンガの周囲に青みがかった気光が渦巻き、短刀の刃先から水の奔流が噴き出した。
滝が逆流するかのように、透明な水柱が炎の壁を直撃した。
ジュウジュウという蒸発音が響き、熱気が一気に霧散した。
水の粒子が炎を飲み込み、砂地に水溜まりを形成し、蒸気が覆った。
ハンガの黒布がわずかに湿り気を帯びたが、その瞳の輝きは変わらなかった。
「火遊びはそこまでだ」
ハンガの声は無感情に響き、マシロの胸を抉った。
「こっちは本気だってーの……!」
マシロは掌を弓のように構え直した。
残った胆力を凝縮させ、赤い矢を放った。
「侍刀技『火矢振』!」
軌跡が空気を焼き、熱風を纏ってハンガを狙った。
「遅いっ!」
だが、黒布の瞳がそれを正確に見切り、短刀の柄で軽く払った。
マシロの息が乱れた。
先ほどの試合での胆力の枯渇が体を蝕み始めた。
彼女の刃が彼の喉元に届きかける。
彼の心の中で絶望がよぎった。
「誰か……助け……」
その瞬間、影がハンガの背後に忍び寄った。
シュン!
人影がハンガの首筋に腕を回した。
裸締めの体勢が完璧に決まった。
細くしなやかな腕が少女の喉を優しく、しかし容赦なく締め上げた。
ハンガの黒布の下の瞳が見開いた。
「なっ……!」
ハンガの指が首に回された腕を掴もうとした。
しかし、その力は鋼のように固く、わずかな隙も与えなかった。
「完全に極まってるぜ! 外せねーよ!」
ハンガの息が詰まり、視界が急速に暗くなった。
三秒と経たず、ハンガの体がぐったりと崩れ落ち、沈んだ。
黒布がわずかにずれ、青白い肌が露わになった。
その技の主はレヴナだった。
「無事だったか! 旦那様!」
レヴナの声が荒々しく、しかし優しく響いた。
マシロは呆然とレヴナを見つめた。
「えっ……?」
一方、ハンゾウとコタロウの戦いは苛烈を極めていた。
お互いが胆力を温存し、互いの隙を窺った。
剣戟の音が絶え間なく響き、火花が砂を照らした。
「言ってわからないなら、もう容赦はせん!」
ハンゾウの長刀がコタロウの巨体を掠めた。
「あぁ、心地いい! これが青春!」
コタロウの刀が重く振り下ろされ、ハンゾウの防御を崩そうとした。
二人の息遣いが砂地に白く溶け合った。
コタロウの巨体がわずかに沈んだ瞬間だった。
「いきます! 俺の全力受け止めて!」
巨漢の瞳に決意の光が宿り、胆力を刀身に圧縮させた。
気光が青白く凝縮し、刃の重みが一気に増大した。
「――侍刀技『破岩斬』!」
コタロウの刀が振り下ろされた。
単純な技――胆力を圧縮し、振り下ろすタイミングで重量を増す。
ただそれだけ。
だが、巨漢の膂力から放たれる一撃は岩を砕くような重みを帯びた。
衝撃波がハンゾウの体を押し返した。
「相変わらずの馬鹿力め……!」
ハンゾウは即座に受け流しの姿勢を取った。
長刀を斜めに構え、刃を滑らせるように逸らした。
「あーよいしょお!」
だが、コタロウはそれを予測していたかのように刀から片手を離し、左拳をハンゾウの脇腹に叩きつけた。
ドン!
鈍い衝撃音が響き、ハンゾウの体が折れ曲がった。
肋骨が軋みを上げ、内臓に響く痛みが視界を白く染めた。
師範の息が詰まった。
「ぐっ……!」
「ははっ……文字通り、一本頂きましたよ、師範。できれば、あなたは殺したくない。下がってくれませんか」
ハンゾウは脇腹を押さえ、ゆっくりと体を起こした。
灰色の瞳に痛みが差したが、唇に笑みを浮かべた。
それは師範の誇りを体現した笑みだった。
「それは、できないね。生徒の前だ――カッコつけさせてもらうよ」
コタロウの瞳がわずかに揺らぐ。
かつての教え子らしい懐かしい光が一瞬、宿った。
だが、すぐに冷徹な決意が勝った。
「あぁ……いい」
コタロウの刀が再び振り上げられた。
「はぁ……コレだけは使いたくなかったが」
その瞬間、ハンゾウの体が震えた。
胆力を練り上げ、灰色の瞳が雷光のように輝いた。
師範の声が轟いた。
「――侍刀技『雷神纏』!」
ハンゾウの体から青白い電流が迸った。
気光が神経を加速させ、地面に雷撃が伸びた。
「コタロウ……お仕置きだ」
パチパチという放電音が響き、砂地が焦げ、霧の粒子が一瞬で蒸発した。
コタロウの巨体がわずかに後退した。
「雷鬼ハンゾウ……本気ですか!」
その刹那、三十を超える刀閃がコタロウを襲った。
ハンゾウの動きは人外の速さ。
電気信号が人間の限界を超え、意思と同時に行動を終わらせた。
それが『雷神纏』の真骨頂だった。
刃の火花が嵐のように散った。
「うおおおおおおおおお!」
ガキキキキキキッ
コタロウの刀がいくつかを捌いたが、巨体に無数の斬撃が刻まれた。
体中から血が噴き出し、急所に刃が届いた。
「ぐあっ……お見事……!」
コタロウの膝が砂地に沈んだ。
巨漢の刀が支えのように地面に突き刺さった。
ハンゾウもまた、技を解き、膝をついた。
人外の速度の代償が体を蝕んだ。
神経の過負荷が師範の視界をぼやけさせ、息が浅くなった。




