第25話
試験が始まって三日目の朝。
第三障壁の修練場は、重く淀んだ空気に包まれていた。
円形の砂地が数十人の生徒たちを飲み込むように広がり、周囲を高い石垣が囲んでいた。
生徒たちは班ごとに散らばり、疲労の色を隠しきれぬ顔で互いの視線を交わしていた。
「くそっまだ疲労が抜けきらねぇ……生き残ってるだけマシだけどよ」
「一体なにをやらされるんだ?」
低く抑えた声が、砂地に広がるざわめきを呼び、緊張の糸がさらに張りつめた。
「みんな、疲れてるな……」
キラリが小さく呟くと、トモエが肩を叩いた。
「当然だろ。三日も森を駆け回ってりゃ、誰だってそうだ。俺達は運が良かった方だと思うぜ」
マシロが横から口を挟み、むすっとした顔で砂地を睨んだ。
「……早く終わらせて、帰りてえ」
中央に、重い足音が響いた。
ふくらワコトが、ゆっくりと生徒たちの前に立った。
彼女の存在感は、場全体を支配した。
空気が張りつめ、鳥のさえずりさえ止んだ。
ざわめきがぴたりと止まり、誰かが息を飲む音が聞こえた。
「うわっ……またあの人だ」
マシロの囁きが、キラリの耳に届いた。
ワコトの声が、低くも会場全体に轟くように響いた。
「まずは、ここにたどり着いたことを褒めてやろう。生き残ったお前たちは、確かに侍や忍の素質を少しは持ってる。だがな――ここからが本番だ」
生徒たちのざわめきが、波のように広がった。
キラリの心臓が、わずかに速まった。
ワコトの唇が、嘲るように弧を描き、言葉を続けた。
「お前らに求められる素質は、とどのつまり戦闘力だ。力なき者に明日はない。この学園は、七つの国が競う戦場そのもの。弱者は、ただの餌だ。本来、中間試験は班対抗の団体戦となるのだが……どこぞの班が獣道を作ったみたいでな。一六班と、想定の倍以上の班が残る形となった」
視線が、自然とヒサヒ班の方向へ集まった。
金髪の彼が、チバナとハンガに囲まれ、余裕の笑みを浮かべていた。
あの「風の振動」で道を切り開いた。
生徒たちの間で、すでに噂が渦巻いていた。
ワコトはそれを無視し、冷徹に言葉を畳んだ。
「よって、班ごとに担当師範がクジを引き都度代表者でのトーナメントを行う。以上だ。質問は受け付けない。心してかかるように」
重い静寂が落ちた。
生徒たちの顔に、青ざめと闘志が交錯した。
そして、すぐに第一試合が始まった。
組み合わせは、ヒサヒ班対民の国の生徒。
砂地に、白いチョークで引かれた円が描かれ、戦いの舞台を区切った。
ヒサヒ班からは、ヒサヒが代表で出てきた。
余裕の笑みを浮かべて砂地に立ち、傍らでチバナが眼鏡を押し上げ、ハンガが無表情に布の下の瞳を光らせた。
二人は、ただの観客のように――しかし、その視線は獲物を値踏みする獣のそれだった。
対する民の国の生徒は、顔を白い布で覆い、忍装束の裾が砂に擦れる音を立てて進み出た。
布の隙間から覗く瞳は、冷たく、しかしわずかな緊張が宿っていた。
他の班は、巻き込まれないようギャラリーから見下ろした。
石垣の縁に寄りかかり、息を潜めて砂地を凝視した。
キラリは手すりを握りしめ、低く呟いた。
額に、冷や汗が浮かんだ。
「あの装束……森で罠を張って邪魔してきた、民の国の者か」
トモエの瞳が、わずかに曇った。
「そうだな。あいつら、かなり手ごわかった。しかしいきなりヒサヒとは……」
マシロが、吐き捨てるように言った。
「あれを見せられてるからな。正直、勝てる未来が見えないぜ」
修練場の中央に、ワコトが二人の真ん中に立った。
「第一試合を始める。殺しは無しだ。戦闘不能とみなした場合、強制的に負けとする。それでは、お互い白線の位置まで下がれ。名乗りを上げたら、戦闘の合図を出す」
二人は、無言で白線まで下がった。
砂が靴底に食い込み、かすかな音が静寂を破った。
ヒサヒは、軽く肩を回し、金髪を指で梳いた。
民の国が、先に名乗りを上げた。
声は低く、しかし砂地全体に響いた。
「るまきカンシ。参る」
ヒサヒが、ゆっくりと続いた。
唇に、遊び心の笑みを浮かべ、視線をカンシに絡みつけるように。
「やげんヒサヒ。先手は譲ろう」
ワコトの声が、雷鳴のように落ちた。
「それでは、第一試合――初め!」
初手は、カンシの攻撃で始まった。
「小手調べだ」
忍装束の袖を軽く捲り、服の中から無数の棒手裏剣を取り出した。
細長い鉄の棒が、指先で弾かれるように飛んだ。
シュルシュル!
空気を裂く音が響いた。
手裏剣は直線ではなく、弧を描き、ヒサヒの死角を狙った。
ヒサヒはその動きを、目で追い――まるで予知したかのように、軽やかに体を捻った。
砂を軽く蹴り、横に滑った。
手裏剣が空を切り、背後の石垣に突き刺さる乾いた音が響いた。
「小手調べだなんて舐められたもんだ」
ヒサヒの金髪が、わずかに揺れるだけだった。
そして、ヒサヒが唱えた。
声は低く、しかし砂地に響き渡った。
「――忍法『奏気爆』」
右手をカンシに向け、指を鳴らした。
パチン!
その音は、ただの音ではなかった。
無音の衝撃波が、カンシの体を襲った。
内側から爆発するような、振動の奔流。
カンシの忍装束がバタバタと鳴り、体が後ろに吹き飛ばされそうになった。
布の下の顔が歪み、喉からくぐもった呻きが漏れた。
「ぐっ……これが、例の技か……!」
ヒサヒの笑みが、砂煙の向こうで薄く広がった。
「さて、カンシ君。――小手調べ、心地よいだろう?」
カンシは砂を蹴って後退し、体勢を整えた。
眼差しに、わずかな苛立ちが宿った。
この技の噂は、耳にしていた。
だが、実際に浴びると、骨まで響く振動の残響が、動きを鈍らせる。
カンシは唇を噛み、布の下で息を吐きながら睨み返した。
「ふざけた技だ……」
ヒサヒの声が、軽やかに返ってきた。
「次は本気で遊ぼうか」
カンシは即座に手を地面に押しつけ、胆力を練り上げた。
「――忍法『土壁陣』!」
カンシの周りを土壁が隆起した。
茶色の壁が、円を描くように立ち上がり、厚さ一メートルを超える要塞を形成した。
カンシの声が、壁の内側から低く響いた。
「タネが割れれば、対策はたやすい! この間に準備をっ……!」
刹那。
「はいだめー。それは悪手だよ」
ヒサヒの軽やかな声が、嘲るように響いた。
カンシの前の土壁に、巨大な穴が開いた。
ドガァン!
爆音が響き、土塊が雨のように飛び散った。
穴の向こうから、ヒサヒの姿が現れた。
両の手を重ね、捻じり、カンシに向けた。
金髪が風に乱れ、視線に獰猛な光が宿った。
振動の残滓が、空気をビリビリと震わせた。
「――忍法『共振透』!」
空気が裂けるような音が響き、無形の波動がカンシの後ろの土壁をも貫通した。
カンシの喉から、くぐもった悲鳴が漏れた。
「ぐあっ……体が、裂ける……!」
カンシの心臓が、破裂するように悲鳴を上げた。
振動が体内の水分を共振させ、内臓を激しく揺さぶった。
「くそ……まだ……!」
カンシの体がガクンと折れ、砂地に崩れ落ちた。
土壁が崩壊し、土煙が覆った。
ワコトの声が、即座に響いた。
「第一試合――終了! ヒサヒ班の勝ち!」
会場は、ざわついた。
ギャラリーからどよめきが波のように広がり、生徒たちの視線が、砂地に釘付けになった。
土煙がゆっくりと晴れ、ヒサヒの姿が浮かび上がった。
息一つ乱れず、金髪を軽く払い、余裕の笑みを浮かべた。
「ふぅ……肩慣らしにはなったかな」
チバナが眼鏡を押し上げ、ハンガが無言で頷いた。
キラリは、手すりを握る手に力を込め、低く呟いた。
額に、冷や汗が浮かんだ。
「今の技は……いったい、なんだ……」
トモエの声が、わずかに震えた。
「あれは、振動を重ね合わせ、衝撃を貫通させる技だ。直撃すれば、俺でも動きを止められかねない威力を持つ……」
マシロが、肩を落とし、吐き捨てるように言った。
「近づいたら奏気爆、離れたら共振透……って、どうやって勝つんだよ、あんなの!」
トモエは、二人を振り返り、力強く言った。
「大丈夫だ。あれには対策がある。――キラリ、マシロ。俺を信じてくれ」
キラリは、トモエの肩に手を置き、ゆっくりと頷いた。
「ひとまず、守りに徹しても無駄だということが分かった。それだけでも、収穫だ。次は、俺たちの番だ。――準備をしよう」
鐘が、低く鳴り響いた。
トーナメントの牙が、生徒たちを飲み込もうとしていた。




