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KILARe:  作者: 川合 佑樹


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第24話

 フシの山の稜線を越えた瞬間、霧がようやく薄れた――視界が広がった。

 三人は息を切らし、汗にまみれた額を拭いながら足を止めた。

 眼下に広がるのは、第三障壁の黒々としたシルエットだった。

 新日本国と霧の国を隔てる、鉄と石で築かれた要塞の壁が、夕陽の残光に鈍く輝いていた。

 高くそびえる壁は、大地を裂く巨人の牙のようだった。

 頂上から垂れ下がる蔦が不気味な影を落としていた。

「やっと……見えた」

 マシロが息を弾ませ、汗だくの顔を上げて壁を指さした。

「ああ、だがここからが本番だ」

 トモエが周囲を素早く見回しながら応じた。

「油断せずいこう」

 キラリは息を吐き、柄を握る手に力を込めた。

 山道の急坂を駆け抜けた疲労が、脚に重くのしかかっていた。

 だが、それ以上に胸を占めるのは、待ち伏せの可能性だった。

 障壁の麓は人影一つなく、静寂が不自然に広がっていた。

 三人は互いの顔を見合わせ、無言で頷き合った。

 油断は禁物だ。

 トモエが木片の入った革袋を広げた。

 ヒサヒから分けてもらった報酬――壱と参の数字が刻まれた札が、夕陽に照らされて白く浮かび上がった。

 三人はそれを素早く分け合い、一人頭に十点を超える合計を確保した。

「これで……誰かが到着すれば、班全体で合格か。ふう、ようやく一息つけるな」

 マシロは安堵の息を漏らし、肩の力を抜いた。

 彼の瞳に、わずかな笑みが浮かんだ。

「じゃあマシロが襲われたら。俺達は逃げる事にするか!」

 トモエが木片を懐にしまいながら、笑った。

「そうだな」

 キラリも頷き、木片を懐にしまった。

 マシロが焦って木片をしまう。

「おいおい冗談だって! ちゃんと警戒してるから! 置いていかないでくれよな! 助けてくれるよな!? な!?」

「はははははは」

 キラリとトモエの笑いが広がった。

 三人は障壁へと下り始めた。

 山の斜面は緩やかになり、足元に転がる小石が時折カツカツと音を立てた。

 道は意外に穏やかで、罠の気配は感じられなかった。

 だが、その代わりに道端に散見する異様な光景が、三人の警戒を煽った。

 敵対したであろう生徒たちの姿が、次々と倒れていたのだ。

 顔は青白く、額に汗が浮かび、うめき声を漏らす者もいた。

 キラリは一瞬足を止め、近くの生徒を観察した。

 息は浅いが、命に別状はない。

 キラリは素早く蔦を一本引き抜き、生徒の体を木に固定した――動きを封じ、逃亡を防ぐことで、少なくとも自分たちが追われる心配は減る。

「これも……ヒサヒの仕業だな」

 トモエが低い声で呟き、蔦の結び目を一瞥した。

 彼女の瞳に、複雑な影が差した。

 マシロが隣の倒れた生徒を横目で睨みながら、肩をすくめた。

「あいつ、いよいよなんなんだよ……」

 トモエはため息をつき、短刀の柄を軽く叩きながら説明を始めた。

「いずれ戦うかもしれないから、伝えておく。ヒサヒの忍法は風だ。そして、こいつらはその風の振動でやられたんだよ。体内の水分を共振させる――生命の体はそのほとんどが水分でできてるだろ? 微細な振動を体に当て、細胞を揺らし、脳震盪を起こさせるんだ」

 マシロの目が見開き、掌を握りしめた。

「どういうことだよ? 風で……脳震盪? そんなの、聞いたことねえぞ!」

 キラリは蔦の感触を指で確かめながら、頷いた。

「なるほど……あの指を鳴らす動作で、振動を発生させてるってことか」

 トモエは頭を抱え、珍しく顔を赤らめてうめいた。

「いや……あの指を鳴らすのは、関係ないんだよ……」

 キラリとマシロが思わず足を止めて振り返った。

「え?」

 トモエは木の幹に寄りかかり、深いため息を吐いた。

「あれは……かっこつけてるんだ。あいつ、昔から必ずカッコつけるんだよ。そして、あの指鳴らしを『クールな技の合図』だと思って、本気でやってるんだ……。俺はあいつのああいうのを見るたびに、背中が痒くなってな。近づきたくないんだよ……」

 マシロはぽかんとして、腹を抱えて笑い出した。

「ははっ! マジかよ! あんな顔して、ただのポーズか! あいつ、意外と可愛いとこあんじゃねえか!」

 キラリも思わず口元を緩めた。

「そ、そうなのか……」

 トモエは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

「まぁ、今はあいつのことはいい。先を急ごう。勝手に敵を減らしてくれてるんだから、感謝しつつ、利用させてもらおうぜ。第三障壁まで、もう少しだ」

 キラリは頷き、刀を鞘に収めた。

「そうだな。ヒサヒのおかげで、道が開けた。――行こう」

 三人は再び足を進め、山道を駆け下りた。

 夕暮れの陽光が障壁の壁を赤く染めた。

 木片の重みが懐で心地よく揺れた。

 合格の確信が、三人の背中を押した。

 やがて、夕暮れの帳が下りる頃、三人は第三障壁の麓にたどり着いた。

 壁は想像以上に高く、暗く、鉄格子の門が不気味に口を開けていた。

 門前に引かれた簡易的なゴールライン――白いチョークで描かれた直線が、土埃に薄く滲んでいた。

 そこに、係りの侍が無表情で立っていた。

 腰の刀が夕陽を冷たく反射し、視線は鋭く三人を射抜いた。

「木片を提示せよ。到着を確認する」

 係りの声は機械のように淡々と響いた。

 キラリは深く息を吸い、革袋から木片を取り出した。

 トモエとマシロも続いた。

 係りは無言で数字を睨み、僅かに頷いた。

「合格。入場せよ」

「やった……!」

 トモエの小さな歓声が漏れ、キラリは安堵の笑みを浮かべた。

「みんな、よくやったな」

 マシロが拳を握りしめ、三人は互いに視線を交わした。

 三人はゴールラインを越え、ようやく安堵の息を吐いた。

 中間試験の終わりだ。

 だが、その喜びは束の間だった。

 門の向こうから、見慣れた長身の影がゆったりと手を振って近づいてきた。

「師範!」

 キラリが声を上げ、思わず駆け寄った。

 ハンゾウの唇にいつもの軽やかな笑みが浮かんだ。

「無事到着おめでとう。よくやったな、キラリ」

 マシロは拳を握りしめ、飛び跳ねるように叫んだ。

「やったぁ! 終わったぁ! 生き残ったぞぉ!」

 トモエは肩を回し、ニヤリと笑ってハンゾウの肩を叩いた。

「みんなで飯でも食いに行こうぜ! 肉! 肉肉肉! 腹の底からガツンと来るやつ!」

 ハンゾウはくくくと笑い、三人を門の内側へ導いた。

「いやぁ、その前に一つだけ伝えておかないといけないことがあるんだよ」

 キラリの眉がわずかに寄った。

「なんですか、師範?」

 ハンゾウは足を止め、夕陽の残光を背に受けながら言った。

「中間試験は……これで終わりじゃない」

 トモエの笑みが凍りつき、マシロの拳が緩んだ。

「どういうことなんだ? ここがゴールじゃないのかよ?」

 ハンゾウは肩をすくめ、軽く手を振った。

「その答えはこの後分かるさ。だから、それまでは飯でも食って疲れを癒せ」

 マシロは頭を掻き、顔をしかめた。

「なにか……嫌な予感がするなぁ」

 三人は苦笑し合い、第三障壁内の食堂へと向かった。

 石畳の道は意外に賑やかで、薪の煙と飯の香りが漂った。

 食堂は木造の簡素な建物で、壁に家紋の旗がはためき、侍たちの笑い声が漏れ聞こえた。

 ハンゾウがカウンターの前に立った。

「なにか食いたいものはあるかー? 肉でいいか?」

「肉が食いたい! ガッツリ、骨付きのやつ!」

 トモエが即座に手を挙げ叫び、キラリとマシロも賛成の声を上げた。

「じゃあ、焼肉定食にするか」

 ハンゾウが注文をまとめた瞬間――横から聞き覚えのある声が飛んできた。

「ちっ、先を越されたか」

 クラノの声だった。

 クラノがこちらを睨むように見つめていた。

 キラリは穏やかに応じた。

「君たちも辿り着いたんだね。無事でなによりだ」

 クラノは鼻を鳴らし、言った。

「あの木にくくりつけられてたやつら……お前らの仕業か?」

 キラリは首を振り、淡々と答えた。

「木にくくりつけたのは俺たちだけど……倒したのは別の奴だ」

 クラノの眉がわずかに上がり、ふんと笑った。

「そうか……ふんっ、余計なことしやがって」

 その言葉を合図に、後ろから二メートルを超える高身長の青年が、ドスドスと足音を立てて近づいてきた。

 筋骨隆々の体躯に侍装束が張りつめ、腰の刀が重々しく揺れた。

 顔は日焼けで健康的な小麦色に輝き、端正な輪郭に爽やかな笑みが広がった。

 山の神が人型を纏ったような、圧倒的な存在感だった。

 鋭い眉と柔らかな瞳のコントラストが、荒々しい体格に意外な洗練を添え、食堂の空気を一瞬で明るくした。

「おー、ハンゾウ師範! 久しぶりっす!」

 青年の声は食堂全体を震わせた。

 ハンゾウの目が見開き、すぐに笑みが広がった。

「コタロウ! そうか、お前が代わりか!」

 コタロウはハンゾウに肩を組み、背中をバンバンと叩き合った。

 コタロウはハンゾウから体を離すと、キラリに視線を移し、にやりと笑った。

「おお、君がキラリだね。ノカミから聞いているよ」

 そう言いながら、コタロウはキラリの前に巨大な掌を差し出した。

 キラリは一瞬戸惑いつつも、その手に自分の手を重ね、握手を交わした。

 コタロウの握力は優しくも、ほんの少しだけ強く、キラリの骨がきしむような圧迫感を残した。

「……ええ、よろしくお願いします」

「そうか、君がキラリか……」

 キラリは無意識に手を引いた。

「師範、こちらの方は……?」

 コタロウは豪快に胸を叩いた。

 ドン!

 響く音に、食堂の客が一瞬視線を寄せた。

「あぁ、自己紹介が遅れたな! 俺はやすりめコタロウ、クラノ班を新しく担当することになった侍師範だ! よろしくな、坊主ども!」

 ハンゾウはコタロウの肩を叩き、説明を加えた。

「こいつは昔の教え子だ。この図体ながら、胆力のコントロールに優れてる。お前らもいずれ教えてもらうといい」

「ハンゾウ師範に褒められると、照れちゃいますね! 今度手合わせしましょう! いや、今度と言わず今日! このあと! どうですか、師範! 是非是非是非!」

 そう言うと、コタロウはハンゾウに詰め寄り、巨体で師範を壁際に追い込んだ。

 ハンゾウは苦笑し、軽く手を払った。

「おいおいっ、今は監督中だろ! また今度な! ほら、クラノたちも見てるぞっ」

 クラノはため息をつき、言った。

「師範、俺たちは先に飯食ってるんで、お好きにどうぞ」

「あちゃー……」

 コタロウは肩を落とし呟いたが、すぐに明るく振り返った。

「ああ、そんなこと言わずに! みんなで飯を食って語らおうぜ! 焼肉追加で、俺のおごりだ!」

 クラノは舌打ちをし、タケツとテラサを連れて席を立った。

「行こうぜ、みんな」

 クラノ班が去ると、食堂にようやく静けさが戻った。

 マシロは感嘆の息を漏らした。

「なんか……賑やかな人ですね」

 ハンゾウはくくくと笑った。

「あれが無きゃいいんだがな。だが、あれでも『十侍』のうちの一人だ。学ぶことは多いぞ。お前らも、いつか手合わせしてみろ」

「十侍……」

 キラリは呟いた。

 あの新日本国の精鋭――ノカミが脳裏に浮かんだ。

 いつか、自分もそこに立つ日が来るのか。

 トモエは目を輝かせた。

「戦ってみたいな!」

 マシロは笑い出した。

「早く飯食おーぜ! 腹減ったよ」

 食堂の喧騒が、三人の笑い声を包み込んだ。

 夕陽が窓から差し込み、肉の煙が優しく渦巻いた。

 だが、ハンゾウの言葉が、かすかな予感を残していた。

 中間試験の「続き」――新たな試練か。

 三人は箸を進め、束の間の宴を楽しんだ。


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