第20話
全員がスタート位置についた。
場所は新日本国と霧の国を隔てる険しい山脈、通称フシの山だった。
その麓に広がる森林地帯は、朝霧の湿気が木々の葉を重く濡らしていた。
土の匂いが鼻腔をくすぐった。
足元には苔むした岩と絡みつく根が、山の牙のように不気味に張り巡らされていた。
数百の生徒たちが班ごとに散らばり、互いの視線を交錯させながら緊張の糸を張りつめていた。
「――スタート!」
ふくらワコトの叫びが、雷鳴のように響き渡った。
鋭い瞳が一瞬、全員を射抜いた。
次の瞬間、生徒たちの足音が大地を叩いた。
森の静寂を一気に引き裂き、木々の枝がバキバキ折れる音、息遣いの荒いハーモニー、土埃の乾いた匂いが混じり合い、戦場のような喧騒を生み出した。
一部の生徒たちは、獲物を狙う獣のように他の班へ向かって突進した。
刀の鞘が鳴り、気光の青白い残光が霧を裂いた。
数字の「十」を揃えるための、知略と武勇の賭けが始まった。
キラリ班の三人は、そんな混沌の渦を縫うように、真っ直ぐ霧の国へ向かって走り出した。
先行するのはトモエだった。
その後ろをキラリが続き、最後尾はマシロ。
トモエが息を弾ませながら振り返った。
「二人とも、これくらいの速度で大丈夫か?」
キラリは額の汗を拭い、笑みを浮かべて応じた。
「俺は大丈夫だ。なるべく早くこの森を抜けよう。この状況だとどこから襲われるか分かったものじゃないからな」
マシロが後ろから声を張り上げ、木の根を飛び越えながら周囲を警戒した――掌に微かな赤い気光が灯り、いつでも炎の壁を張れる準備を整えていた。
「俺も大丈夫だ。周囲に誰か追っかけてきてる様子もないな……今のところは。でも、油断できねえな」
三人は互いの息遣いを合わせ、周囲の気配を探りながら森を駆け抜けた。
葉ずれの音が耳をくすぐり、湿った土が靴底にねっとりと絡みついた。
遠くから叫び声や金属の衝突音が聞こえてきた。
他の班の争いの残響だった。
キラリの胸に、静かな興奮が広がった。
この試練は、ただの試験じゃない。
絆を試す、生き残りの戦いだ。
トモエの影が、マシロの炎が、自分の刀が――すべてが、十の数字を刻む鍵になる。
一方、クラノ班は進行方向をわずかに右寄りにずらし、霧の濃い谷間を狙って走っていた。
「クラノ、大分横にズレたぜ。そろそろ敵がいそうだな」
タケツが息を潜めながら、低く呟いた。
巨体が木々の影を揺らし、後ろを守るように構えていた。
「静かにしろ。どこで接敵するか分からん。警戒を怠るな」
クラノの冷静な瞳が周囲を鋭く捉えた。
タケツの巨体がどっしりと後ろを守った。
テラサが気光の糸を指先に絡めた。
「了解……後方からの追手はいませんわ」
テラサの声は細く、しかし確かな自信を帯びていた。
三人は息を潜め、木々を縫うように進んだ。
突然、クラノがハンドサインを出した。
『散開』
タケツとテラサは即座に頷き、左右に分かれて木陰に身を隠した。
クラノは一人、開けた場所へ出た。
霧がゆっくりと晴れた。
目の前に現れたのは、甲冑を身に纏った三人組だった。
重厚な鉄の鎧が朝陽を反射した。
槍と剣の先端が冷たく輝いた。
騎士の国の戦士たちだった。
その威圧感に、森の空気が一瞬、重く淀んだ。
相手の班が即座に構えた。
一番手前の男が名乗りを上げた。
兜の下から覗く青い瞳が、誇り高くクラノを射抜いた。
「我が名はくちがねフロワ、騎士の国より参った戦士なり。そなたの名は!」
クラノの口元に細い笑みの線が浮かんだ――嘲るような、しかし余裕たっぷりの笑みだった。
刀の柄に手をかけたまま、軽く頭を傾げた。
「俺はなかごクラノ。新日本国の侍だ。よろしくな、騎士さんよ」
フロワの目が輝いた。
横に手を広げて胸を張った。
甲冑がカチャリと鳴った。
「おお、貴公が噂のクラノか! 気光の嵐を操るという。あの技、是非一騎打ちを願いたい! 騎士の誇りにかけて、存分に剣を交えようぞ!」
クラノの笑みが深まった。
刀をゆっくりと抜き、刃をフロワに向けた。
「一騎打ちねぇ……三対一のこの状況、どう考えてもお前らが有利だろ? それでも、わざわざ一騎打ちを仕掛けてくるのか」
フロワは胸を叩いた。
甲冑が鈍く響いた。
傍らの二人が槍を構えた。
しかし動かず。
「この二人は手出しはせぬ。騎士の誇りに掛けて誓おう! 貴公の技量を、存分に味わいたいのだ!」
クラノの瞳が、わずかに細まった。
「ちなみにさ、その中で一番強いのは誰だ、フロワ? お前は俺の刀で、試してみる価値がある相手か?」
「試してみるといい! このフロワが、騎士の名に恥じぬ一撃を見せてやろう!」
「言うねぇ……じゃあ、お手並み拝見だ」
そう呟くと同時に、刀を横に血払いのように振った。
刃が空気を裂く鋭い音が響いた。
その瞬間、両サイドから影が躍り出た。
タケツの巨体が雷鳴のように突進した。
後ろの二人の騎士を弾き飛ばした。
ドガァン!
巨漢の拳が甲冑をへこませた。
槍が土に突き刺さった。
「なにっ……」
「ぐっ……強いっ」
二人は悲鳴を上げ、木々に激突して気絶した。
ほぼ同時、テラサの気光の糸が蜘蛛の巣のように広がり、フロワの体を締め上げた。
青白い光の糸が甲冑の隙間を縫った。
関節を封じ、男の動きを一瞬で止めた。
「騎士さん。動かないでね?」
フロワの顔が青ざめた。
「奇襲とは……誇りはないのか」
兜の下で歯を食いしばった。
クラノは距離を詰めた。
刀の先端を鎧の腋の隙間から突き刺した。
冷たい鋼が肉に食い込んだ。
「動くな。深く刺すことになる」
「貴様ら! 汚いぞ! 約束を破るなど、卑怯者の所業だ!」
「約束? 一騎打ちするなんざ一言も言ってねぇぜ? そもそも侍ってのはな、生き残った者が名を馳せるんだよ。お前らが侍を舐めすぎた。それだけだ」
タケツが気絶した二人の体を探りながら、太い声で言った。
「おい、クラノ。この二人は木片を持ってねえぞ! ただの囮だ!」
「タケツ、どっちでもいい。足を一本折っておけ。それでもう追ってこれねぇ」
フロワの目が見開いた。
兜の隙間から汗が滴った。
叫びが必死に響いた。
「やめろ! リタイアする! 木片もやる! だから二人には手を出すな! 騎士の名にかけて、誓う!」
クラノの笑みが、再び弧を描いた。
刀をわずかに緩めた。
しかしテラサの糸を締め上げるよう目配せした。
「その言葉を信用する理由がねぇな」
フロワの肩が震えた。
兜の下で唇を噛んだ。
静かな決意が、声に宿った。
「……折るなら、俺の足を折れ。仲間を傷つけるな。頼む。……自分の手でやってもいい」
クラノは兜の隙間から見えるフロワの目を、じっと見つめた。
そこに宿る純粋な誇りが、一瞬、胸をざわつかせた。
だが、すぐに冷徹な計算が勝った。
脇の隙間から刀を引き抜き、血を払う仕草で言った。
「木片を出せ。テラサ、受け取っておけ」
フロワがベルトのポーチに手を伸ばした。
震える指で木片を取り出した。
テラサの方に体を向け、差し出そうとしたその瞬間――クラノの刀が閃いた。
左膝窩を正確に突き刺した。
骨の軋む音が森に響いた。
グチャ!
血しぶきが散った。
フロワの悲鳴が木霊した。
「ぐあああっ!」
クラノは淡々と刀を拭い、納刀した。
「これで手打ちだ。――いくぞ、二人とも」
タケツが肩をすくめた。
テラサが扇子で口元を隠してくすくす笑った。
三人は消えていった。
後ろで、フロワのうめき声が、霧に溶け込んだ。




