第16話
キラリの体は病院の白いベッドに横たわっていた。
まぶたの裏側で、夢が広がった――それは遠い記憶だった。
自身が病床に伏せている孤独の記憶だった。
薄暗い部屋の空気が重く、肺に絡みつくような息苦しさが体を蝕んだ。
屋敷の中、雪のヴェールが窓を覆う夜。
上野介は知らぬものに襲われ、命を失った。
刃の冷たい感触が胸を貫き、血の温かさが雪に溶けていく。
息が浅くなり、視界がぼやけ、体が天に昇り、魂が体から解き放たれた。
果てしない宇宙の虚空を漂い、銀河の渦巻きがゆっくりと回転した。
星屑のように散らばる血の粒子が、夜空を駆け上がり、無数の星々を映す鏡のようにきらめいた。
そして、再び降り注ぐ――灼熱の尾を引きずる隕石として、青い星球へ向かう旅路。
数兆年の孤独が、瞬きのように過ぎ去った――暗い空間が目の前に現れた。
それは、宇宙の深淵を映すような無限の闇で、星の欠片が微かに瞬き、かすかな光の粒子が漂う中、一人の青年が立っていた。
黒髪をきっちりと束ね、文人肌の優雅な着物に身を包み、瞳の奥に拭いきれぬ悔恨の影を宿した。
キラリは、夢の中で体を起こし、喉が乾いて声がかすれるように、声をかけた。
「あなたは……誰ですか」
空間の空気が、重くもしかし懐かしく感じられた。
すると青年は、両ひざを突き、両手をつき、頭を深々と下げた。
着物の裾が広がり、青年の肩がわずかに震えた。
「久方ぶりの現世への受肉……舞い上がってしまい、うかつだった。お前の体を好きに使ったこと、深くお詫び申し上げる」
声は、低く、しかし雪原のように澄んで、悔恨の棘を帯びた。
キラリはその言葉の意味を、なぜか簡単に理解した。
吉良上野介――忠臣蔵の悲劇の中心にいた男の魂が、この体に宿り、胆力を抑えていた。
復讐の残火が、キラリの成長を阻みながら、しかし守ってきた。
少年はそれを受け入れ、頷いた。
夢の空間で、手を差し伸べ、青年に触れようとした。
「……あなたのおかげで、俺はここまで来られたんです。許すもなにも、感謝しかありません。……あなたがこの胸の奥の力なのですね」
「そうだ……私の怨念か、神の軌跡か。私はお前の中にいる。そしてお前が私を解き放った――目覚めの瞬間、お前たちの絆が、私を呼び覚ました。しかしお前の力を抑えていたのは私だ。苦労を、孤独を、増やした。許されぬ罪だ」
「いえ、おかげで助かりました。あの荒野で、セツジを斬れたのは、あなたの導きです。また会ってくれますか? この力、どう使えばいいか……教えてください」
「いつでも呼びかけてくれ。待つのには慣れている」
少年は夢の中で意識を失った。
闇が体を包み、温かな光が胸の奥に灯った。
目を覚ますと、身体は病院にいた。
白い天井が視界に広がり、清潔なシーツの感触が肌に優しく触れた。
消毒の匂いが鼻をくすぐり、かすかな薬草の香りが混じる中、どこか甘い香りが漂っていた。
足元に違和感を感じ目を向けると、そこにはトモエとマシロが眠っていた。
ベッドの端に寄り添うように座り、トモエの黒髪が乱れ、頰に疲労が差した。
マシロの肩の包帯が白く輝き、息遣いが上下した。
二人は、キラリの足元で体を預け合い、互いの肩に頭を乗せて眠っていた。
そしてその奥には壁に体を預けたハンゾウが眠っていた。
キラリが体を起こすと、ハンゾウがすぐに気が付き目を覚ました。
「……目が覚めたようだな。体に違和感はないか?」
「……少し、熱っぽいです。でも、大丈夫です」
ハンゾウはゆっくり立ち上がり、ベッドに近づいて頭を下げた。
「お前たちを守れなかった。本当にすまなかった――ミツヒの裏切りを、もっと早く見抜けていれば……お前の覚醒を、こんな形で引き起こさずに済んだのに」
「大丈夫です。どうやら二人も無事みたいですし」
視線をトモエとマシロの寝顔に移した。
ハンゾウは語った。
「マシロは斬られたが、懐刀に当ったみたいでな。肋骨にヒビと骨折が見られるが命に別状はなかった。……トモエのことだが」
師範の言葉が途切れ、少年は頷いた。
「大丈夫です。信頼していますので」
「……そうか」
ハンゾウの瞳に、わずかな安堵が差した。
ハンゾウは続けた。
声を少し明るく、しかし重みを帯びて。
「一応伝えておくが、怪我はあるもののクラノたちも生き残った。接近戦に長けたメンバーたちで相性が良かったんだろうな。弓手は捕縛し、ミツヒは……お前の覚醒を見るや否や去っていったよ」
「覚醒……ですか」
「あぁ。お前のそれは国を動かすほどの力を持つ。先ほど上の判断を仰いできたが……一先ず俺の下でお前を管理することになった。まぁ日常生活はこれまで通り送れるようにしてやるつもりだ」
「彼らとも……一緒に過ごせますか?」
視線をトモエとマシロに移し、胸の温かさが広がった。
ハンゾウは言った。
「あぁ……知ってしまったしな。なにより、お前が目を覚ますまでずっとそこから動いてないんだよそいつら。引き離すわけにもいかないだろ」
ハンゾウはそう言い笑った。
「強くなれキラリ。お前がこの国でなにをするのか、新たに国を作るのか……。まぁそれは応援できないが、これからお前に降りかかる火の粉は今回の比じゃなくなっていく。強くなって守れ」
「はい……師範」
するとトモエとマシロは目を覚ました。
二人はキラリの顔を見るや否や、ベッドに飛びつき、少年を抱きしめた。
「おおおんんん! 生きてた! よかった……キラリ!」
トモエの声が震え、涙が頰を伝った。
マシロが叫んだ。
「キラリ目を覚ましたのか! 無事か! 死んだかと思ったぞ!」
彼の声が荒く、しかし温かく、拳がキラリの背中を軽く叩いた。
キラリは二人の温もりに包まれ、微笑んだ。
「それはこっちのセリフだよ……。みんな、無事でよかった」
病院の部屋に、静かな笑いが広がった。
ハンゾウはそれを見て微笑んだ。
壁に寄りかかり、灰色の瞳に優しい光を宿した。
「うんうん。青春だねぇ」
残魂の旅路は、新たな始まりを告げた。




