エアリス編 第十章 梅の花の能力の修練② カーディナルの禁書
夕刻、長い影が聖都を覆う頃、僕は大神官の私室で、最も難解な試練に立ち向かっていた。
大神官からは、調律魔術、ハーモニック・リコンストラクションの大神官の分析と解釈、様々な詠唱を組み合わせて魔術の挑戦。
「ルーメン君。この術式は『在るべき姿』を記憶し、歪んだ現実をそこへ強制的に収束させる力です。あなたの『癒し』が深まるほど、この術式の輪郭も見えてくるはずです」
大神官の言葉は、哲学のようでもあり、高度な数学のようでもあった。僕は彼から教えられた古代語を試し、光、風、土の魔力を複雑に交差させたが、その核となる「調律」の感覚は、まだ指の間をすり抜けていく。
夜は教会の奥にある部屋の書籍を読み耽る、
大神官との修行を終えた後も、僕の時間は止まらない。疲弊した肉体に鞭を打ち、教会の地下深くに眠る禁書庫へと足を運ぶ。ロウソクの火が揺れる中、僕は古びた羊皮紙の海に溺れるように、答えを探し続けた。
その中にカーディナル著「魔石魔力による魔術の効果と人体への影響について」、という本があった。
埃を払い、その表紙を開いた瞬間、僕の背筋に氷のような戦慄が走り抜けた。そこには、エアリスを蝕む怪異の「正体」を解き明かすための、不気味な記述が並んでいたのだ。
地下書庫の冷え切った空気の中で、僕はその古びた本の頁をめくる手を止めることができなかった。
そこには魔石魔力により、魔術や魔法道具は著しく発展を遂げたが、強い魔石魔力の魔法道具を魔力の弱い人が使用すると、稀に、魔石魔力が人体内で暴走し、様々な現象を引き起こすことが書いてあった。
ロウソクの火が小さく爆ぜ、影を壁に長く落とす。カーディナルという学者が記したその言葉は、まるで今のエアリスの状況を予言していたかのようだった。魔石。それは人々に恩恵をもたらす文明の利器だが、同時に、制御を失えば人体という脆弱な器を内側から破壊する毒に成り果てる。
僕はさらに深く読み進めた。頁には、魔力が暴走した被験者の無惨な記録が、震えるような文字で記されていた。
その治し方は、魔石を使った魔法道具を切り離すことで、人体内の魔力暴走は、一時的に落ち着くが、根本的には治らず、後遺症として残ってしまうことが書いてあった。
(……後遺症。根本的には治らない……?)
絶望が、冷たい水のように僕の心に浸透していく。エアリスのお母さんが病になり、家を支えるために彼女が何か「魔石」に関連するものに触れてしまったのではないか。あるいは、大神官が言っていたように、魔族が流通させた悪意ある魔石の欠片が、彼女の純粋な魔力系を汚染してしまったのか。
たとえ原因となる魔石を彼女から引き離したとしても、一度崩れた「在るべき姿」は、現在の癒し魔術では元に戻せないという事実。僕の手にある聖位の癒し魔術「リジェネレイトヒーリング」をもってしても、それは不可能なのか。
僕は拳を握りしめ、禁書庫の闇を睨みつけた。
(……だからこそ、僕に『調律』の力が必要なんだ。崩れた理そのものを、再び編み直す力が!)
修練の日々が十日を数える頃、教会の重厚な扉を叩く人物がいた。
リリィ先生が来てくれた、
彼女の表情は、ルゼリアへ旅立った時よりも幾分かやつれ、深い苦悩に満ちていた。僕は修行の手を止め、祈りの広間へと駆け寄った。先生は僕の顔を見ると、その小さな肩に手を置き、ルゼリアでの出来事を静かに話し始めた。
両親に経緯を説明して納得してもらったこと、聖水をエアリスの母に飲ませてやり、病状は治りつつあること、
まずは一つ、目的が果たされたことに安堵の吐息が漏れた。けれど、先生の語るエアリス自身の容体は、僕の予想を遥かに超えて深刻なものだった。
エアリスにもその時一瞬会えたが、渦を巻いた風の中に消えていったこと、エアリスが最後に「助けて」と行った話を聞いた。
「……助けて」
その悲痛な叫びが、僕の脳裏で何度もリフレインした。風の渦、透明な身体。彼女は、自分が自分でなくなっていく恐怖の真っ只中にいる。親の病気が治る兆しが見えても、彼女自身の「心と体の不調和」は、もはや彼女個人の限界を突破してしまっているのだ。
僕はリリィ先生の瞳を見つめ、静かに、けれど鋼のような意志を込めて口を開いた。
やはり原因がある程度無くなっても、一旦発生した状況からは抜け出せていない。エアリスを助ける方法を探さないと行けない、修練を頑張ろうと思った。
聖水だけでは足りない。大神官の知識だけでも足りない。
僕が、僕自身の内で眠る「梅の花」の真意を掴み取るしか、彼女の「助けて」に応える道はないのだ。
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