学院3年ソアラ編 第八十七章 ソアラの魔導具師⑥ 先輩の虚偽と圧力
上司はすぐに補助役の先輩を呼びました。
私が設計図を抱えたまま立っている間に、その先輩はいつも通り落ち着いた足取りでこちらへ来ました慌てた様子も、困った様子もありません。その静かさが、今の私にはひどく遠く感じられました。
上司は回りくどい聞き方をしませんでした。
「彼女は、君に聞いたが、設計図通りに作れと言われただけだと言っているが、それは本当か?」
私はその言葉を聞いた瞬間、息を止めました。
自分がさっき上司へ伝えたことが、そのまま先輩へ向けられている。もうここで、話ははっきりするのだと思いました。私が何を聞き、どう答えられたのか。あの時、本当に教えてもらえなかったこと。そこが明らかになれば、少なくとも全部が私一人の責任ということにはならないはずです。そう思ったのです。
けれど、先輩の口から出た言葉は、私の思っていたものとはまるで違いました。
「そんなことはありません」
その一言だけで、胸の奥が冷たくなりました。
先輩は少しも迷わず、続けました。
「設計図を見せて、丁寧に説明しました。特に、魔石と回路を繋ぐ部分は難しいので、間違いのないようにきちんと教えています」
私は、一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。
丁寧に説明した。きちんと教えた。間違いのないように。どの言葉も、私の記憶の中にはありません。
私は聞きました。何度か聞きました。けれど返ってきたのは、「設計図に書いてある通りよ」という言葉ばかりだったはずです。なのに、今、先輩は少しもためらわずに、まったく別のことを言っています。
私は思わず、先輩の顔を見ました。
けれど、その表情は変わりません。普段通りの、落ち着いた顔でした。そこに焦りも後ろめたさも見えなかったことが、逆に恐ろしく感じられました。
上司の視線が、今度は私へ向きます。
「ソアラさん」
その呼び方は、さっきまでと同じでした。怒鳴っているわけではありません。けれど、その静かな声の方が、私には重く感じられました。
「あなたと言っていることが違うのだが、どういうことなのか?」
私はすぐに答えなければいけないのに、言葉が出てきませんでした。
違う。それは違います。
私は、そんなふうには教わっていません。
そう言えばいいだけなのに、喉の奥がひどく乾いて、口がうまく動かないのです。
「君は私に嘘を報告したのか?」
その言葉は、はっきりと胸へ落ちてきました。
嘘。私は、嘘などついていません。ついていないのに、その場の空気が、私に「違う」と言わせにくくしていくのが分かりました。
「そんなことはありません……」
やっと絞り出した声は、自分でも情けなくなるほど弱いものでした。もっとはっきり言わなければいけないのに。違います、と。教えてもらっていません、と。私はそう言うべきでした。
けれど、その瞬間、先輩が私を見ました。
ただ、見ただけです。声を荒げたわけではありません。手を上げたわけでもありません。
けれど、その視線だけで、私は身体が固まってしまいました。睨まれた、と思いました。
それは長い時間ではなかったはずです。ほんの一瞬だったでしょう。
でも、その一瞬で十分でした。これ以上言ってはいけない。逆らってはいけない。そういう気持ちが、理屈より先に身体を縛ったのです。
胸がひどく苦しくなりました。私は何かを言わなければならないのに、言葉が出ません。違うと言いたい。でも、怖い。何が怖いのか、自分でもうまく説明できません。ただ、その場でこれ以上逆らうことが、とてもいけないことのように思えてしまったのです。
そして私は、言ってしまいました。
「……すみません、私のミスです」
口にした瞬間、自分で自分が遠くなった気がしました。今のは、本当の気持ちではありません。私はそんなふうに思っていません。思っていないのに、そう言ってしまった。そのことが、自分の胸の中へ重く落ちていきました。
上司は私のその言葉を聞くと、短く息を吐きました。
それが安堵なのか、呆れなのかは分かりません。けれど、その時点で、話は終わったのだと感じました。
本当は終わっていません。私の中では、何一つ終わっていません。むしろ、言えなかったことだけが残って、胸の中でざらざらと広がっていきます。
先輩はもう私を見ていませんでした。まるで最初から何事もなかったみたいに、静かな顔で立っているだけです。その姿が、私にはとても遠く感じられました。
私は設計図を持つ手に、知らないうちに力を込めていました。紙が少しだけ歪みそうになって、慌てて力を抜きます。そんなことをしている場合ではないのに、身体はうまく言うことを聞いてくれませんでした。
怖気づいた。そうなのだと思います。
私は、反論できませんでした。事実をそのまま言うことができませんでした。たったそれだけのことなのに、その“たったそれだけ”が、どうしてもできなかったのです。
胸の奥に、重たいものが沈んでいきました。悔しい、と言うのとも少し違います。情けない、の方が近いかもしれません。
どうして私は、あの一言が言えなかったのでしょう。どうして私は、自分を守れなかったのでしょう。
けれど、その時の私は、その答えを考える余裕さえありませんでした。ただ、もう一度やり直さなければならない仕事のことと、今、自分の口から出してしまった言葉の重さだけが、胸の中に残っていたのです。
上司はそれ以上その場で話を広げることはしませんでした。短く息を吐いたあと、私へ向けて言ったのは、ただ一つだけでした。
「とにかく早く仕上げろ」
その言葉には、励ましもありませんし、もう一度確認してやろうという気配もありません。ただ、急げ、遅れるな、取り返せ、という意味だけがはっきりと含まれていました。私は「はい」と返事をして、設計図を抱えたまま自分の机へ戻りました。
席に着いても、すぐには頭が切り替わりませんでした。
さっき自分の口から出た「私のミスです」という言葉が、胸の中で重たく残っていたからです。違うのに。私は本当はそう思っていないのに。そう思えば思うほど、自分で自分が嫌になりました。けれど、その場に座っている限り、立ち止まってはいられません。納期は待ってくれませんし、上司も、工房も、私が落ち込んでいることなど構わず先へ進んでいきます。
私は何度か深呼吸をして、設計図を広げ直しました。
原因は、魔石と回路を繋ぐ部分の緩み。ならば、そこを直さなければいけません。
でも、その“直し方”が問題でした。結局のところ、私はそこを完全に理解しきれていないのです。だからこそ最初に確認しようとしたのに、その時は十分に教えてもらえませんでした。今はもう、聞かなければなりません。聞かずに進めて、また同じことになったら、今度こそ取り返しがつかない。
私は勇気を出して、もう一度補助役の先輩のところへ向かいました。
足取りは重かったです。正直に言えば、行きたくありませんでした。さっきのことがあった直後です。目を合わせるのも怖いのに、それでも聞かなければなりません。
「あの……すみません」
声をかけると、先輩は手を止めずに、こちらをちらりと見ました。私はなるべく言葉を選びながら続けます。
「接合部分のところなのですが……もう一度、確認させていただいてもいいでしょうか」
先輩の手が、その時ようやく止まりました。
けれど、その沈黙は私にとって少しもありがたいものではありませんでした。空気が急に冷えたように感じたのです。先輩はゆっくりとこちらを向くと、信じられないものを見るような目で私を見ました。
「あなた」
その声は低く、静かでした。
静かなのに、ひどく怖かったのです。
「あんなこと言っておいて、よく私に聞けるわね」
私は息を呑みました。
あんなこと。それはつまり、上司の前で私が「聞いたのですが、設計図通りにやれば問題ないと言われました」と言ったことです。私はただ事実を言ったつもりでした。けれど、先輩にとっては違ったのでしょう。
「信じられない」
そう言われた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮みました。
何か言わなければいけない気がするのに、言葉が出ません。私が悪いのでしょうか。今ここでさらに怒らせたら、もう本当に教えてもらえなくなるのではないでしょうか。そう思うと、身体が固まってしまいます。
先輩は、私が黙っているのを見て、さらに言いました。
「そもそも、あなたが仕事ができないのが問題なんでしょう」
その言葉は、まっすぐ胸に刺さりました。
仕事ができない。それは今、一番言われたくない言葉でした。点滅した聖光石、上司の前で言えなかったこと、自分の口で認めてしまったミス。その全部がまだ頭の中でぐるぐるしているところへ、その一言が重なったのです。
「まずは、謝罪じゃないの?」
私は反射的に顔を上げました。
謝罪。何に対して。そう思ったのに、声にはなりませんでした。
先輩の目は少しも和らぎません。怒鳴っているわけではないのに、逆らえない空気がそこにありました。工房の中で働く先輩と、今ミスをした新人。どちらの言葉が重いのかなんて、考えなくても分かります。私はその場で、ひどく小さくなってしまったような気がしました。
「すみません……」
自然に、その言葉が出かかりました。
けれど先輩はそれだけでは足りないとでも言いたげに、黙って私を見ています。私は唇を噛み、喉の奥のつかえを無理に押し下げて、もう一度言いました。
「すみません、私が仕事ができなくて、ご迷惑おかけしました。接合部分を教えてください」
言っている途中で、自分の声が少し震えているのが分かりました。
悔しい、と思いました。でも、その悔しさより先に、今は教えてもらわなければならない、という気持ちの方が強かったのです。ここで意地を張っても、聖光石は直りません。納期も近づいていくだけです。だから私は、飲み込むしかありませんでした。
ようやく先輩は設計図を手に取りました。
それから、問題の箇所を指で示しながら、少し苛立った口調で言います。
「あなたが間違えているのは、ここ。ここに魔力をしっかり込めていないから、回路が安定しないの」
私はすぐにその場所へ目を向けました。確かに注意書きがあります。昨日まで何度も見ていたはずなのに、今はその文字が急に大きく見えました。私は一つずつ頭の中でなぞり直します。魔力を込める量、接合の順番、固定のタイミング。私は“設計図通りにやる”ことばかりを意識しすぎて、その注意書きの重さを十分に受け止められていなかったのかもしれません。
けれど先輩は、それをただ説明して終わりにはしませんでした。
「設計図にも注意書きがあるじゃないの。ちゃんとやりなさいよ」
その言葉のあとに、少し間がありました。そして、はっきりと続きます。
「使えない子ね」
胸の奥に、何か冷たいものが落ちた気がしました。
その一言は、叱責というより、判定のように聞こえました。失敗したから駄目、ではなく、あなたは“そういう子”なのだと決めつける言い方。私はそれがひどく苦しかったです。
先輩はさらに、設計図を机に戻しながら言いました。
「分かったら、さっさとしなさい。私は他の仕事があるから、あなた一人でやるのよ」
一人で。結局、そこへ戻るのだと思いました。
補助役はいるのに、実際にやるのは私一人。聞けば叱られ、謝ってやっと少し教えられて、それでも最後は一人でやるしかない。
私は「はい」と答えました。答えるしかありませんでした。
席へ戻る途中、視界が少し滲みました。泣きそうなのだと、自分で気づきました。けれど、ここで泣くわけにはいきません。泣いたところで、誰かが助けてくれるわけではないのです。むしろ、余計に迷惑をかけるだけかもしれません。
私は机に着くと、もう一度深く息を吸いました。
接合部分を直さなければなりません。一つ一つ分解して、確認して、やり直さなければ。そう思って設計図へ視線を落としました。
さっきまでより、紙の上の文字が少しだけにじんで見えました。それでも私は、泣きそうになる気持ちを押し込めて、手を動かし始めたのです。




