学院3年ソアラ編 第八十七章 ソアラの魔導具師④ 聖光石完成
仕事に取りかかってみると、やはり思っていた通り、途中までは何とか進めることができました。材料の確認、魔石の選別、下準備、組み込みの前段階までなら、これまでの経験で手が動きます。もちろん、初めて自分で最後まで仕上げるつもりでやると緊張はありましたが、それでも「ここまでは分かる」と思える範囲があるだけで、少し安心できました。
問題は、その先でした。設計図を丁寧に追っていくうちに、どうしても自分の中で確信の持てない箇所が出てきます。線や注記の意味は分かります。けれど、実際の手順としてどう扱えばよいのか、どこまで魔力を込めればよいのか、細かな加減になると、手伝いの時には先輩方が自然に処理していた部分が、そのまま空白として残るのです。
私はしばらく設計図を見つめ、何度か同じところへ指を置き直しました。自分で考えて分かるなら、それが一番いいのです。最初から何でも聞いてばかりでは、任された意味がありません。けれど、勝手な判断で進めて失敗するのはもっといけない。そう思うと、やはり確認しなければなりませんでした。
私は補助役の先輩のところへ行きました。忙しそうに作業をしていたので、声をかけるだけでも少し気が引けましたが、意を決して口を開きます。
「あの、すみません。この部分なのですが……」
先輩は手を止めずに、ちらりと設計図を見ました。そして、ごく短く言いました。
「設計図に書いてある通りよ」
それだけでした。
私は一瞬、聞き方が悪かったのかと思いました。確かに、設計図に書いてあること自体は分かっています。だからこそ、その書いてある通りに進める時の加減を聞きたかったのです。私はもう少し具体的に言い直しました。
「はい、書いてあることは分かるのですが、ここのつなぎ方が少し不安で……」
すると、先輩は今度は少しだけ眉を寄せましたが、やはり返ってきた言葉は同じでした。
「だから、設計図に書いてある通りにやればいいの」
言われてしまえば、それ以上は言いにくくなります。忙しいところを何度も止めてしまうのも申し訳なくて、私は「はい、分かりました」と頭を下げて戻るしかありませんでした。
席に戻ってからも、私はしばらくその箇所を見つめていました。教えてもらえなかった、とは思わないようにしていました。きっと私がまだそこまで理解できていないだけなのだ、と。もっと設計図を読み込めば分かるのかもしれない。先輩にとっては、本当に“書いてある通り”だったのかもしれない。そう考えることで、自分を落ち着かせていたのです。
それでも、不安は消えませんでした。私は設計図と材料を何度も見比べながら、一つ一つ確認して進めました。これで合っているでしょうか。ここでいいのでしょうか。そう思うたびに手が止まりそうになります。けれど、止まってばかりでは納期に間に合いません。私は深呼吸をして、分かるところから慎重に進めていきました。
その後も、何度か分からない箇所が出ました。最初は少し間を置いて、自分で考えました。それでも確信が持てない時だけ、もう一度先輩に聞きに行きます。けれど返ってくるのは、やはり同じような言葉でした。
「設計図をちゃんと見て」
「そこに書いてあるでしょう」
「自分で考えて」
言い方はその都度少し違いましたが、中身はほとんど変わりませんでした。具体的にどうすればいいかを教えてもらえるわけではなく、結局は自分で設計図を読み込んで進めるしかありません。
私は、だんだん「補助役」という言葉の意味を考えなくなっていきました。そういうものなのだと思うことにしたのです。全部を教えてもらえるわけではない。任されたのだから、自分でやらなければいけない。それは間違っていないはずです。だから、ここで「助けてもらえない」と思ってしまうのは、甘えなのかもしれない。そうやって、自分の中で納得するほうを選びました。
作業は、想像していた以上に時間がかかりました。初めて触る工程ほど、確認する回数が増えます。一度見て、手を止めて、もう一度設計図を見る。頭の中で順番をなぞってから、ようやく手を動かす。その繰り返しです。それでも、雑にはしたくありませんでした。急いで失敗するより、遅くても確実に進めたかったのです。
気がつくと、周りの人が少しずつ帰り支度を始めていました。外の光も弱くなり、工房の中の灯りが相対的に強く見えます。私はまだ終われませんでした。納期までの余裕があるとはいえ、このままの速度では危ないかもしれない。そう思うと、焦りが胸に積もっていきます。
けれど、焦って手元が乱れるのが一番いけない。そう自分に言い聞かせて、私は残ることにしました。
工房の中が静かになっていく中で、私は一人、机に向かっていました。道具を置く音、紙をめくる音、自分の呼吸。その全部が、昼間より大きく聞こえます。先輩に聞けば済むことが、本当に聞けなかったのか、それとも私の理解が足りないだけなのか、その境目もだんだん分からなくなっていきました。
それでも、やるしかありませんでした。
分からないなりに設計図を読み、慎重に確認し、少しずつ前へ進める。
今の私にできるのは、それだけです。
補助役の先輩はいても、実際に手を動かしているのは私一人でした。
そういう実感が、遅い時間の静かな工房の中で、少しずつ重くなっていきました。
けれどその時の私は、まだそれを理不尽だとは思っていませんでした。
任された以上、自分でできるところまでやるのは当然です。
そう思って、私は設計図の上へ視線を戻し、また次の工程へ手を伸ばしたのです。
それから私は、毎日少しずつ、けれど確実に作業を進めていきました。
分からないところは設計図を何度も見返し、それでも迷う時は慎重な方を選び、時間がかかっても雑にだけはしないように心がけました。魔石を扱う手元にはずっと緊張がありましたし、作業が終わって机を離れる頃には、肩も腕も重たくなっていました。それでも、少しずつ積み上がっていくものが目に見える形でそこにあると、私は「今日もちゃんと進められた」と思うことができました。
聖光石は、ただ光ればいいわけではありません。
淡く、神々しく、安定して発光しなければいけません。魔石の選び方、回路のつなぎ方、魔力の込め方、そのどれかが乱れれば、完成したように見えてもどこかで綻びが出ます。だから私は、一つ仕上げるたびに、安心するより先に不安を覚えていました。本当にこれでいいのでしょうか。どこか見落としていないでしょうか。次も同じようにできるでしょうか。そうやって自分に問いながら、それでも手を止めずに進めていったのです。
二十個という数は、最初に聞いた時にはとても遠く感じられました。
一つ一つが初めての重さを持っていて、途中で何度も「間に合うでしょうか」と不安になりました。けれど、作業台の上に完成品が増えていくにつれ、その遠さは少しずつ形を変えていきました。終わらないと思っていたものが、確かに終わりへ向かっている。そう感じられるようになると、疲れの中にも少しだけ希望が差し込むのです。
最後の一つを仕上げた時、私はしばらくその場で動けませんでした。
机の上には、整然と並んだ聖光石がありました。どれも同じように見えて、けれど私には一つ一つにかかった時間と緊張が分かります。迷ったところ、やり直したところ、慎重に手を入れたところ。全部、自分の手でやったのだという実感が、遅れて胸の中へ満ちてきました。
「……できた」
思わず、小さくそう呟いていました。
誰かに聞かせるための言葉ではありません。ただ、自分で自分に確認したかったのです。本当に、ここまで来たのだと。
けれど、まだ終わりではありません。完成したものは、きちんと起動させて確認しなければいけません。私は一つ一つの状態を確かめながら、順番に試験起動へ移りました。手順を間違えないよう、呼吸を整えて、最初の聖光石へ魔力を流します。
淡い光が、ふわりと灯りました。私は思わず息を止めました。濁っていない。ちらつきもない。色味も、想像していた通り、やわらかくて静かな光でした。
続けて二つ目、三つ目と確認していきます。どれも問題なく発光しました。そのたびに胸の奥の緊張が少しずつほどけていくのが分かりました。私はようやく、少しだけ安心していいのかもしれないと思い始めていました。
全部の初期確認を終えたあと、私は上司のところへ報告に行きました。
声をかける前に、喉が少し乾いているのに気づきました。完成した時より、報告の方が緊張していたのです。もし何か見落としがあれば、ここで指摘されるかもしれない。そう思うと、胸の鼓動が少し速くなりました。
「仕上がりました」
私がそう言うと、上司は短く頷いて、すぐに確認へ来ました。
聖光石を一つ手に取り、発光の状態を見て、角度を変えて、回路の通りを軽く確かめる。私はその横で、固くなりそうな指先をぎゅっと押さえていました。
上司はしばらく無言で見ていましたが、やがて一言、こう言いました。
「問題ない、よくできたな」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で張りつめていたものが、一気にほどけました。
問題ない。よくできた。たったそれだけの言葉なのに、私にとっては十分すぎるほど大きかったのです。
私は深く頭を下げました。嬉しい、と思いました。それも、声に出してしまいそうなほど、はっきりと。
もちろん、上司はそこで終わらせませんでした。
「ただ、念のため、最終工程の長時間発光テストをクリアしたら大丈夫だ」
そう付け加えられて、私はすぐに気を引き締め直しました。
そうです。まだ完全には終わっていません。短時間の起動で問題がなくても、長く発光させた時に不具合が出ることはあります。だから最後まで油断はできない。それは頭ではよく分かっていました。
その日の仕事を終えたあと、聖光石は長時間発光テストのため、そのまま灯した状態で置かれることになりました。私は最後にもう一度だけ、並んだ光を見つめました。どれも静かに、淡く、神々しく光っています。あの光が教会へ届くのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
心配がまったくなかったわけではありません。
長時間発光テストは、明日の朝にならなければ結果が分かりません。今この場で問題がなくても、夜の間に何か起きるかもしれない。そう思うと、不安の種は消えませんでした。
それでも、その日は疲れていました。本当に疲れていました。
ずっと張りつめていた気持ちが一度緩んだことで、身体の重さが急に表へ出てきたのです。帰って夕食を取る頃には、指先の力まで抜けていくようでした。
部屋へ戻ると、私は椅子に座ったまま、少しの間ぼんやりしていました。
終わった。まだ完全ではないけれど、とりあえず、最後まで作れた。
上司にも「よくできた」と言ってもらえた。
その事実が何度も胸の中を巡って、私はようやく静かに笑うことができました。
こんなふうに疲れて、でも少し満たされた気持ちで夜を迎えるのは、久しぶりだったかもしれません。
私は本当に、やりきったのです。任された仕事を、ちゃんと形にしたのです。
その夜、私は早めに休むことにしました。
眠る前も、頭のどこかでは長時間発光テストのことが気になっていました。けれど、それ以上に、今日はちゃんとここまで辿り着けたのだという充実感が、私の中に静かに残っていました。
目を閉じる直前、私はぼんやりと思っていました。
明日の朝、問題なく終わっていたら、本当に一つ、大きな仕事をやり遂げたことになる。そうしたら、少しだけ、自分を誇ってもいいのかもしれない。




