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学院3年ソアラ編 第八十七章 ソアラの魔導具師② 初任給と家族

働き始めて最初の給料を受け取った日、私はその袋をしばらく開けることができませんでした。大げさではなく、本当に、指先が少し震えていたのです。

学院に通っていた頃も、お金の重さは知っていました。家で暮らしていた頃は、もっと強く知っていました。今日の食事に何を買うか、いつ布を繕うか、どのくらい節約すれば月を越えられるか。そういうことは、特別な知識ではなく、ただ毎日の現実でした。だから、給料という形で、自分の手の中にまとまったお金があることが、どうにも不思議で、でも、ひどく重たく感じられたのです。


部屋へ戻ってから、私は机の上に袋を置き、深呼吸をして中を確かめました。数え間違いがないように、ゆっくりと。何度も。そこに入っている金額は、決して大金ではありません。それでも、私にとっては十分すぎるほど意味のあるものでした。

これは、私が働いて得たお金です。私が工房へ行って、教わって、失敗しないように気を張って、手を動かして、ようやく受け取れたお金です。

誰かに与えられたものではなく、自分で稼いだもの。そう思った瞬間、胸の奥が熱くなりました。


私は、すぐに全部を自分のために使おうとは思いませんでした。最初から決めていたのです。家賃、食費、仕事へ行くために必要なもの――そういう最低限の生活費を除いたら、残りはできるだけ家へ送ると。実際に計算してみると、思っていたよりも送れる金額がありました。私は何度も紙に書いて確かめました。ここを削れば、もう少し増やせる。今月は服を新しく買わなくても大丈夫。食費も少し抑えれば、まだ送れる。そんなふうに、自然と考えていました。


別に、自分が苦しいのが好きなわけではありません。ただ、家のことを思い出すと、まず自分より先にそちらへ回したくなるのです。母がどれだけ切り詰めていたか、私は知っています。弟達がどんなふうに遠慮していたかも知っています。私一人が少し我慢すれば、その分だけ家が楽になるのなら、その方がいい。そう思うのは、私にとって特別なことではありませんでした。


送金を済ませた帰り道、私は少しだけ泣きそうになっていました。悲しいわけではありません。むしろ逆で、ようやくできた、と思ったのです。私は今、家族の役に立てている。ほんの少しかもしれませんが、それでも確かに。学院で学んでいた頃も、私は「いつか働いて支えたい」と思っていました。でも、その“いつか”はまだ遠くて、どこか夢みたいな響きがありました。けれど今は違います。送ったお金は、ちゃんと家に届くのです。母の手に渡るのです。生活の足しになるのです。夢ではなく、現実です。


最初の手紙が届いたのは、その少し後でした。

封を見ただけで、母からだと分かりました。見慣れた文字。少し急いで書いたような癖のある線。私は部屋の中で静かに座り直し、封を丁寧に開きました。

手紙の中身は、とても長いわけではありませんでした。けれど、一行一行に母らしさが詰まっていました。送ってくれたお金のこと。助かったこと。無理はしていないかという心配。季節の変わり目だから体に気をつけるようにという言葉。弟妹たちも喜んでいたということ。

そして最後に、

「ソアラが頑張ってくれていることが、何より嬉しいです」

と書かれていました。


私は、その一文を何度も読み返しました。

助かった、でも嬉しかったのですが、それよりも、頑張っていることを喜んでくれているという言葉が、胸に深く入りました。私は家族のために働いているつもりでした。もちろん今もそうです。でも、母はただお金を待っているのではなく、私が前へ進んでいることそのものを喜んでくれていたのです。

その事実が、嬉しくて、少しだけ苦しかったです。

私がここで止まってはいけない。もっと頑張らなければ。ちゃんと稼げるようにならなければ。

そういう思いが、手紙を読むたびに強くなっていきました。


それから、毎月のように母から手紙が届くようになりました。長い月もあれば、短い月もあります。けれど、どの手紙にも必ず、感謝と心配が一緒に書かれていました。私はそのたびに、返事を書く前に少しだけ姿勢を正しました。心配をかけたくないから、大丈夫だと書く。仕事にも慣れてきたと書く。頑張れていると書く。実際、その頃の私は本当にそう思っていました。大変なことはあっても、ちゃんと働けている。ちゃんと前へ進めている。だから、母を安心させる言葉も、嘘ではありませんでした。


手紙は、私の中で働く意味を何度も確かめさせてくれました。

魔導具師として成長したい。もっと色々なことを覚えたい。任される仕事を増やしたい。

そういう気持ちも、もちろんあります。

けれど、それだけではありません。私にとって仕事は、夢を追うためだけのものではないのです。家族を守るためのものでもあります。自分一人のためではなく、家の暮らしに繋がるもの。だから、気軽に投げ出すことはできません。そう簡単に「嫌だから辞めます」と言える立場ではないことを、私は最初から分かっていました。


それは重荷といえば重荷でした。でも同時に、私を支える柱でもありました。

疲れて帰った夜に、「明日も頑張らなければ」と思える理由。

うまくいかない日でも、「まだ踏ん張れる」と思える理由。

母の手紙を読み、弟達の顔を思い出すたび、その理由はよりはっきりしました。

私はもっと稼げるようになりたいと思いました。もっと仕事を覚えたい。もっと任されたい。もっと頼られるようになりたい。

それは見栄ではありません。ただ、家族へ送れるものを増やしたかったのです。

そして、自分がちゃんと働けているという証を、もう少しだけ増やしたかったのです。


工房での仕事に慣れてくると、任される内容も少しずつ変わっていきました。最初の頃のように、ただ教わった通りに手を動かせばいいだけの仕事ばかりではなくなっていったのです。もちろん、基礎の積み重ねは相変わらず大切でした。けれど、その基礎の上に、少しずつ「考えながらやること」が増えていきました。


材料の状態を見て、どの順番で手を付けるのが一番安全かを考えること。ほんの小さな傷や濁りが、後の工程で問題にならないか確かめること。魔石の個体差を見ながら、いつもより慎重に扱うべきものを判断すること。そういうことが増えてくると、ただ手際がいいだけでは足りないのだと分かってきます。


私は、仕事を覚えるのが遅い方ではありませんでした。けれど、覚えるのが早いことと、仕事が楽であることは別です。むしろ、任されることが増えるほど、自分の中で緊張は強くなっていきました。ここまでは良かったけれど、次もちゃんとできるだろうか。今までは何とか間違えずに済んだけれど、この先もそうだろうか。そんなことを考える回数が、少しずつ増えていったのです。


それでも、私は投げ出したいとは思いませんでした。大変だと感じることと、嫌になることは同じではありません。疲れる日もありますし、指先の感覚が鈍くなるほど細かい作業が続くと、帰る頃には肩も首も張っていました。けれど、その疲れの中には、まだ前向きなものが残っていたのです。

今日もちゃんとやれた。昨日よりは少し分かった。次はもう少し上手くやれるかもしれない。そういう小さな手応えが、毎日のどこかにありました。


手際の良さは、相変わらず私を助けてくれました。道具を置く順番、材料を並べる位置、次に必要になるものを先に手元へ寄せておく癖。そういうものは、やはり家で身についたのだと思います。一つのことだけに集中しすぎると、全体が見えなくなります。逆に全体ばかり見ていると、手元が雑になります。その間を取るように動くことは、昔から私の中にありました。


ただ、工房の仕事は、家の仕事よりもずっと繊細でした。家事なら、少し順番を間違えてもやり直せることが多いです。でも魔導具の材料は違います。ほんの少し雑に扱えば、表面が傷んだり、内部の流れが乱れたりして、そのまま使えなくなってしまうこともあります。だから私は、慣れてきたからこそ、余計に慎重になっていきました。


少しずつ、周りからの見え方も変わってきているようでした。まだ新人であることに変わりはありません。けれど、「これもやってみて」「次はここまでお願い」と言われることが増えるたびに、私は自分が工房の中でほんの少しずつ認められ始めているのではないかと思っていました。

それは大きな評価ではありません。誰かに特別褒められたわけでも、目立つ成果を出したわけでもありません。でも、新人の私に任せても大丈夫だと思ってもらえる範囲が広がっていくことは、私にとって十分嬉しいことでした。


もちろん、うまくいくことばかりではありませんでした。覚え違いをして注意されたこともありますし、確認が遅くて手が止まってしまったこともあります。けれど、そのたびに私は、次は気をつけようと思っていました。失敗したら終わり、ではなく、失敗したら覚える。そうやって前へ進めるうちは、まだ大丈夫だと信じていたのです。


仕事の帰り道、空を見上げる余裕がある日もありました。工房の外へ出ると、夕方の風が少し冷たくて、身体の熱をゆっくり下げてくれます。そんな時、私は小さく息を吐いて、自分に言い聞かせるように思っていました。

まだ大変です。でも、ここで頑張るしかありません。そして、頑張れば、少しずつでも進めるのです。

その頃の私は、努力することを疑っていませんでした。疲れても、難しくても、怖くても、きちんと手を動かして、覚えて、耐えていれば、いつかちゃんと届く。そう思っていました。

だから私は、その日もまた、与えられた仕事へ真っ直ぐ向かっていったのです。


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