学院3年ソアラ編 第八十六章 ミリィの入学⑦ 入学祝いの食事
注文を終えて少し話しているうちに、料理は思っていたより早く運ばれてきた。店員が手際よく皿を並べていくたびに、湯気と一緒に温かい匂いがふわりと広がる。焼いた肉の香ばしさ、やわらかいスープの匂い、野菜の甘い匂い。食卓の上が一気に華やかになって、さっきまで“これから何が来るんだろう”とわくわくしていたミリィの目が、今度は本気で丸くなった。
「わあ……」
その声には、驚きと喜びがそのまま入っていた。
大きすぎず、でもちゃんと見栄えのする皿。色の鮮やかな野菜に、つやのあるソースがかかった肉料理。添えられたパンや、小さな器に入ったスープまで、村で見慣れた食事とはやっぱり少し印象が違う。特別に高級な店というわけではないけれど、今日のミリィにとっては十分“街のお祝いの食事”に見えただろう。
「すごい……美味しそうです」
ミリィは、どの皿から見ればいいのか迷うみたいに、視線を行ったり来たりさせていた。手をつける前からこんなに嬉しそうにするなら、連れてきたこっちまで楽しくなる。
「よかった」
エアリスが笑う。
「たぶんミリィ、こういうの好きだと思った」
「好きです。すごく好きです」
ミリィはきっぱり言い切ってから、少しだけ慌てたように俺の方を見た。
「まだ食べてないですけど」
その付け足し方が可笑しくて、俺とエアリスは一緒に笑ってしまった。
「じゃあ、食べようか」
俺がそう言うと、ミリィはすぐにこくこく頷いた。
そういうところの反応が早いのも、やっぱりミリィらしい。
三人で手をつけ始めると、ミリィは最初こそ少し慎重だったけれど、一口食べた瞬間、目に見えて顔が変わった。驚いた、というのがそのまま分かる顔だった。
「……美味しいです」
その言い方が少し小さかったのは、たぶん本当にびっくりしたからだろう。
もう一口食べて、今度はちゃんとはっきり言った。
「美味しいです!」
「よかった」
エアリスが嬉しそうに笑う。
俺もなんだかほっとした。
入学祝いって言っても、結局は食事の場なのだから、気に入ってもらえるのが一番いい。
「こんなの、ルゼリアにはありません」
ミリィはそう言って、皿の上を見つめた。
「味もそうですけど、なんだか見た目から違います。ちゃんと“お店の料理”って感じがします」
その表現が、たしかにそうだなと思えた。ルゼリアの食事はもっと素朴で、家庭の匂いがそのまま残っている感じだ。こっちは同じ料理でも、少し外向きで、見せることも含めて作られている。ミリィがその違いを面白がっているのが分かった。
「ルーメンとエアリスは、いつもこんなの食べてるんですか?」
料理を食べながら、ミリィがそう聞いてきた。
純粋な興味と、少しだけ羨ましそうな気配が混ざっている。
「いつもではないよ」
俺が答えるより先に、エアリスがやわらかく言った。
「普段はほとんど学院の食堂かな」
「そうなんですか?」
「うん。学院の食堂も普通に美味しいし、安いしね。外のお店に来るのはたまにかな」
そこまでは、ミリィも「なるほど」と素直に聞いていた。けれど、その次のエアリスの言葉に、ほんの少しだけ空気が変わった。
「たまにルーメンと来るかな」
その一言に、ミリィの手がぴたりと止まった。
ほんの一瞬だったけれど、俺は見逃さなかった。
「……へえ」
ミリィはそう言って、少しだけ目を細めた。
声音は明るさを保っている。けれど、ほんの少しだけ何かが引っかかった感じがある。
「やっぱり食堂なんですね」
そこまでは普通だった。
「でも、ルーメンとエアリス二人で、へー、いいなぁ」
その“へー、いいなぁ”のところで、気持ちが少しだけ見えた。
拗ねるほどではない。
でも、まったく何も思っていないわけでもない。
そんな、小さいけれどちゃんと存在する感情だった。
俺は思わずエアリスの方を見た。エアリスもたぶん同じものを感じ取ったのだろう。少しだけ困ったように笑いながら、それでもすぐにやわらかく返した。
「ミリィも誘うよ。これからは三人で来ようね」
すると、ミリィはすぐにそちらを見た。
一瞬前までの微かな引っかかりが、その言葉で少しほどけたのが分かる。
「ほんとですか?」
「ほんとほんと」
「じゃあ、ちゃんと誘ってくださいね」
ミリィはそこでようやく、少しだけ満足そうな顔になった。
けれど、そのあともう一度小さく言った。
「ミリィも来たいです」
その言い方が妙に素直で、なんだか胸に残った。
たぶん、それは料理の話だけじゃない。
二人で過ごしてきた学院生活の中へ、自分もちゃんと入りたいという気持ちが混ざっているのだと思う。
「もちろんだよ」
俺もそう言った。
「今度からは、そうしよう」
その返事に、ミリィは少しだけ頬を緩めた。
さっきの小さな嫉妬みたいなものは、完全に消えたわけじゃないかもしれない。でも、少なくとも“自分もそこにいていい”と分かったことで、少し安心したのだろう。
エアリスはそんなミリィを見ながら、どこか面白そうに笑っていた。たぶん、ミリィの分かりやすい反応が可愛いのだ。俺も同じ気持ちだった。
感情が顔に出る。
嬉しいも、寂しいも、ちょっと引っかかったも、全部少しずつ見える。
そういうところがミリィだなと思う。
「でも、こういうお店、ほんとにいいですね」
ミリィはまた料理へ視線を戻して言った。
「ミリィ、ちょっと憧れます」
「街に慣れたら、もっと色々行けるよ」
エアリスがそう言うと、ミリィは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、ミリィ、頑張って早く慣れます」
その返しに、また少しだけ笑った。
料理も美味しい。会話も自然に続く。
そしてその中で、さっそく小さな嫉妬が生まれて、すぐに次の約束へ変わっていく。
そんなやり取りまで含めて、なんだか“また三人の時間が始まった”という感じがした。
食卓の上はあたたかくて、にぎやかで、少しだけ甘い空気が混ざり始めていた。
小さなやり取りを挟みながらも、食卓の空気はずっとあたたかかった。料理の湯気と、夕方のやわらかい光と、三人の声が混ざって、店の一角だけ少し特別な場所みたいになっている気がした。ミリィもさっきまでの小さな引っかかりを引きずる様子はなく、また素直に料理を楽しみながら話している。その様子を見ていると、こっちまで自然と肩の力が抜けていった。
「そういえば、ルゼリアはどうだった?」
俺がそう聞くと、ミリィはスプーンを置いて少し考える顔をした。
すぐに答えが出ないのは、たぶん“何から話そうかな”と考えているからだろう。村のことなんて、俺達にとってはどれも気になる話ばかりだ。
「ルゼリアは……相変わらずです」
少しして、ミリィはそう言った。
その言い方に、俺はなんだか少しほっとした。
「何も変わらないってこと?」
エアリスが聞くと、ミリィは頷いた。
「はい。ほんとに、いつものままです。道も、家も、広場も、川も、見えるものはだいたいそのままでした」
その言葉を聞いて、俺の頭の中にはすぐにルゼリアの景色が浮かんだ。村の広場、よく通った道、川辺、木々の匂い、夕方の静かな空気。イーストレイクでの生活に慣れた今でも、あの景色は思い出そうとすればすぐに浮かんでくる。たぶん、それだけ自分の中に深く残っているのだろう。
「なんだか不思議ですね」
ミリィはそう言って少し笑った。
「ルーメンとエアリスがいないのが当たり前みたいになってる時もあるのに、話を聞くと、やっぱりちゃんと村の中に二人がいる感じもして」
その言い方が妙に分かりやすかった。
離れているのに、いないわけじゃない。忘れられているわけでもない。たぶん、そういうことなのだろう。
「ミリィがちゃんと話してくれてたんじゃない?」
エアリスがそう言うと、ミリィは少しだけ得意そうにした。
「それはあります」
「やっぱり」
「だって、二人のこと聞かれるんです」
ミリィはそう言いながら、どこか誇らしそうだった。
「ルーメンはどうしてるのとか、エアリスは元気なのとか、学院ってどんなところなのとか。ミリィが知ってることはちゃんと答えてました」
「ありがたいな」
そう言うと、ミリィは少しだけ胸を張った。
そういうところが、やっぱり可愛いと思う。
自分の役割だと思ったことはちゃんとやるし、それを少し誇らしく思うところもある。
「でも、村はほんとに静かでした」
ふと、ミリィがそんなことを言った。
「二人がいないって、思ってたより大きかったです」
その言葉には、さっきの“寂しかった”とも少し違う、ゆっくりした実感が滲んでいた。俺達が村を出たことで、ミリィの中だけじゃなく、村の空気そのものも少し変わったのかもしれない。
「ミリィがいたから、まだよかったんじゃない?」
エアリスがやさしく言う。
「そうですかね」
「うん。ミリィがいなかったら、もっと寂しかったと思う」
その言葉を聞いたミリィは、少し驚いたみたいに目を丸くして、それから小さく笑った。
「それなら、ミリィもちゃんと役に立ってたんですね」
「立ってたと思うよ」
俺がそう言うと、ミリィは素直に嬉しそうな顔をした。
村に残る側だった時間も、ただ寂しかっただけじゃない。ちゃんと意味があったのだと、そう思えたのかもしれない。
そこから自然に、話は昔のことへ流れていった。
ルゼリアで魔術の練習をしていた頃のこと。失敗して服を濡らしたこと。ミリィが悔しがって何度もやり直していたこと。エアリスが途中できれいに決めて、余計にミリィがむきになっていたこと。そんな話をすると、ミリィはすぐに「そんなこともありましたね」と笑った。
「ルーメン、あの頃から変に真面目でしたよね」
「変には余計だろ」
「でも本当です。ちゃんと教えようとするんですけど、ちょっと難しい言い方する時ありました」
「分かるかも」
エアリスまで頷く。
「今もたまにそういうところあるよね」
「二人とも、急にそっち側につくなよ」
そう返すと、二人は楽しそうに笑った。
こういうやり取りが戻ってきたことが、やっぱり嬉しい。
昔話をしていても、ただ懐かしいだけじゃない。今の三人で笑い直せるのがいいのだと思う。
そして話は自然に、これからの学院生活のことへ移っていった。
「寮の説明はどうだった?」
エアリスがそう聞くと、ミリィは少しだけ真面目な顔になった。
「思ったより細かかったです。門限もありますし、共有の場所の使い方とか、洗濯のこととか……」
「うん、最初は覚えること多いよね」
エアリスは慣れた様子で頷いた。
「でも、だんだん慣れるよ。あ、そうだ。寮だと朝の支度の時間、ちょっと気をつけた方がいいかも」
「どうしてですか?」
「混むから」
その答えに、ミリィは一瞬きょとんとして、それから納得したみたいに頷いた。
「なるほど……」
「特に最初のうちは、皆まだ慣れてなくて動きが読めないから、思ったより時間かかることがあるの。あと、お風呂の時間とか、洗濯の順番とかも、うまく慣れていった方がいいよ」
「へえ……」
ミリィはすっかり真面目な顔で聞いていた。
こういうところは、本当にちゃんと聞く。
さっきまで“可愛い感じの料理がいいです”なんて言っていたのに、生活の話になると一気に姿勢が変わるのが面白い。
「それと、食堂は時間帯によってかなり混むよ」
エアリスはさらに続けた。
「あと、授業の移動も最初は迷いやすいかも。建物の中って、慣れるまでは案外ややこしいから」
「うっ……それはありそうです」
ミリィが少しだけ顔をしかめる。
たぶん本人も、そこは自信がないのだろう。
「だから、最初は無理しないで、分からなかったらすぐ聞いた方がいいよ」
「はい」
「ミリィなら、変に遠慮しないで聞けそうだけどね」
俺がそう言うと、ミリィはすぐに言い返した。
「それはそうです」
「即答だな」
「だって、分からないまま困る方が嫌です」
その答えに、俺とエアリスはまた笑った。
たしかに、それはミリィらしい。
遠慮して黙るより、ちゃんと聞いて前へ進む方を選ぶ。少し自己主張が強いけれど、それがちゃんといい方へ働く時も多い。
「でも、何かあったらすぐ言ってね」
エアリスが、少しだけやさしい声でそう言った。
「寮のことも、授業のことも、学院のことも。最初は分からないこと多いだろうし」
「はい。たぶん、色々聞くと思います」
「うん、聞いて」
ミリィはその返事に安心したみたいに頷いた。
昔の話をしながら笑って、次はこれからの話をしている。
懐かしさだけで終わらず、そのまま未来へ繋がっていく感じが、今の俺にはひどく心地よかった。
ルゼリアの頃の三人と、これから学院でまた時間を重ねていく三人。
その二つが、今この食卓の上で自然に繋がっている。そのことが、ただ嬉しかった。




