学院3年ソアラ編 第八十六章 ミリィの入学⑤ 約束と待ち合わせ
ミリィの表情がようやく明るく落ち着いたのを見て、俺は胸の中でひとつ息をついていた。職業判定の話は、やっぱり少し引っかかりがあったのだろう。けれど、今の顔を見る限り、さっきよりずっと前向きに受け止められている。それなら、もう大丈夫そうだった。
「そういえば、ミリィ」
俺が声をかけると、ミリィはすぐに「はい?」と顔を上げた。返事の仕方がいかにもミリィらしくて、俺は少しだけ笑いそうになる。
「この後は、もう授業があるの?」
入学式が終わったばかりとはいえ、学院は学院だ。式が終わったらすぐ解散、というわけでもないだろうと思って聞いたのだけれど、ミリィはすぐに頷いた。
「授業はまだないですけど、クラスに分かれて説明があります」
「説明?」
「はい。学院の規則とか、生活のこととか、最初に聞くみたいです。それと、寮生だけは寮の説明もあるって言われました」
なるほど、と思った。たしかに最初の日はそういう流れだった気がする。俺達も入学した時は、授業の前に色々な説明を受けた。規則や決まりごとはもちろん、寮の使い方や注意事項なんかも一通り聞かされた覚えがある。
「じゃあ、まだ少しかかりそうだね」
エアリスがそう言うと、ミリィは「たぶんです」と頷いた。
「でも、ちゃんと聞いておかないと後で困りそうですし」
「それはそうだね」
俺も頷きながら、目の前のミリィを見た。再会できたばかりで、まだ話したいことなんていくらでもある。ルゼリアのことも聞きたいし、今日ここへ来るまでのことも気になる。学院へ入るまで、どんなふうに過ごしていたのかも知りたい。けれど、今ここで立ち話だけで終わるのは、なんだかもったいない気がした。
せっかくミリィがここまで来たのだ。
ちゃんと今日を、特別な日にしたかった。
「それならさ」
俺がそう言うと、エアリスもミリィも自然とこっちを見た。
「説明が終わった後、三人で食事しない? ミリィの入学祝いってことで」
言った瞬間、ミリィの目がぱっと大きくなった。驚いたのが一瞬、そのあとすぐに、信じられないくらい分かりやすく顔が明るくなる。さっきまで職業判定で少し複雑そうにしていたのが嘘みたいに、その表情は一気に春の光を浴びたみたいになった。
「ほんとですか!?」
思わず、といった勢いでミリィが一歩前へ出る。
「うん、ほんと」
そう答えると、ミリィは今度こそ、飛び跳ねそうなほど嬉しそうな顔になった。
「ありがとうございます! 是非お願いします!」
その喜び方があまりにもまっすぐで、俺は思わず笑ってしまった。エアリスも横でくすっと笑っている。
「そんなに喜んでくれるんだ」
「だって、嬉しいです」
ミリィは本当にそう思っているのだろう、少しも照れずにそう言った。
「ミリィ、今日もう十分嬉しかったのに、そのあと三人で食事までできるなんて思ってませんでした」
その言い方が、さっきの「頑張って来てよかったです」と少し似ていて、俺はまた胸の奥があたたかくなるのを感じていた。ミリィは、嬉しいことを嬉しいとそのまま出してくれる。だから、こっちも素直に嬉しくなれるのだと思う。
「じゃあ、決まりだね」
エアリスがそう言って笑った。
「ミリィの入学祝い。ちゃんとしよう」
「はい!」
ミリィは元気よく返事をして、それから少しだけ真面目な顔になった。
「でも、説明が長かったら待たせちゃうかもしれません」
「それは気にしなくていいよ」
俺はすぐにそう言った。
「今日は俺達、授業ないし。終わるまで待ってるから」
その言葉に、ミリィはほっとしたように表情をやわらげた。たぶん、約束は嬉しいけれど、自分の都合で待たせるのは申し訳ないと思ったのだろう。そういうところは昔からちゃんと真面目だ。
「じゃあ、終わったら校門前で待ち合わせしようか」
エアリスが提案すると、ミリィは「はい、それがいいです」と頷いた。
「校門前なら分かりやすいですし、ミリィもたぶん迷いません」
その言い方に、俺とエアリスは思わず顔を見合わせた。
“たぶん”がつくあたりが、いかにもミリィらしい。
「じゃあ、校門前で」
俺が改めて言うと、ミリィはしっかりした顔で頷いた。
「はい。説明会が終わったら、すぐ行きますね」
そう言ってから、少しだけ目を輝かせる。
「楽しみです」
その一言が、なんだか妙に嬉しかった。
ただ食事に行くだけなのに、そうじゃない感じがする。
今日この日が、ちゃんと“ミリィが学院へ来た日”として形になる気がした。
「俺達も楽しみにしてるよ」
そう言うと、ミリィはまた嬉しそうに笑った。
再会して、少し話して、進路のことにも触れて、そして今度はちゃんと約束までできた。そこまで来て、ようやく今日がただの再会ではなく、ここからまた始まる日の最初の一歩なんだと思えた。
その時、講堂の方から案内の声が少し大きく響いた。そろそろ新入生達を移動させる時間なのだろう。周りの一年生達も少しずつ動き始めていて、広場の空気がまた変わり始めていた。
ミリィもそれに気づいたらしく、名残惜しそうに一度だけ俺達を見た。
「じゃあ、ミリィ、行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
エアリスがやわらかく手を振る。俺も頷いた。
「終わったら校門前で」
「はい!」
ミリィはそう返事をして、今度は入学したばかりの一年生らしい真面目な顔になった。けれど、その口元にはまだ嬉しさが残っている。きっとこれからの説明の間も、食事のことを少し考えるのだろうと思うと、なんだかこっちまで楽しくなった。
そして俺も、説明会が終わるのを待つ時間が、少し楽しみになっていた。
講堂の方からの案内の声が少しずつ大きくなっていく中で、ミリィは名残惜しそうにしながらも、ちゃんとそちらへ向かわなければならないことを分かっている顔になっていた。再会できたばかりで、まだ話したいことはきっとミリィの中にもたくさんあるのだろう。けれど、今日からはもう学院の一年生でもあるのだ。嬉しいだけで好き勝手に動くわけにはいかない。そんなことも、ミリィはもうちゃんと分かっている。
「じゃあ、ミリィ、ほんとに行ってきますね」
そう言って、ミリィは俺達の前でぴんと姿勢を正した。ついさっきまで再会の嬉しさで少し浮き足立っていたのに、こういう時にはきちんと切り替えようとするところがある。その真面目さも、昔から変わっていない気がした。
「うん、いってらっしゃい」
エアリスがやわらかく笑って手を振る。
「慌てなくていいからね。ちゃんと説明聞いてきて」
「はい。でも、終わったらすぐ行きます」
ミリィはそう言って、いかにも“待たせるつもりはありません”という顔をした。俺は少し笑ってしまう。
「だから、急がなくていいって」
「でも、早く行きたいです」
その返しがあまりにもまっすぐで、俺とエアリスはまた顔を見合わせて笑った。
ほんとにミリィらしいな、と思う。
嬉しいことがあると、それを隠さない。会いたい、楽しみ、早く行きたい、そういう気持ちをそのまま言葉にする。だから、こっちも変に構えなくてすむのだ。
「分かったよ。じゃあ、校門前で待ってる」
俺がそう言うと、ミリィは満足そうに頷いた。
「はい!」
そして、そのまま案内の流れに向かって駆けていく……かと思いきや、数歩進んだところで、くるりと振り返った。
「ちゃんと待っててくださいね!」
「待ってるって」
エアリスが笑いながら返す。
ミリィはそれで安心したようにもう一度頷き、今度こそ人の流れの方へ向かった。けれど、また少し進んだところで、もう一度振り返って手を振る。
その姿が、なんだかおかしくて、でもすごく可愛らしかった。
まるで、小さい頃の遠足みたいだなと思う。
ちゃんと行かなきゃいけないのに、でも離れる前に何度も確認しておきたい、そんな感じがそのまま出ていた。
「ミリィ、変わってないね」
エアリスがくすっと笑いながら言う。
「うん。大人っぽくなったと思ったけど、ああいうところは昔のままだ」
「嬉しそうだもんね」
「そっちもだろ?」
そう返すと、エアリスは少しだけ照れたみたいに笑った。
「だって嬉しいよ。やっと来たんだなって思うし」
その言葉に、俺も静かに頷いた。
本当にそうだった。
ずっと手紙で繋がっていたとはいえ、やっぱり同じ場所にいるのとは違う。今日からは、会いたいと思った時にちゃんと会える距離にミリィがいる。そのことが、思っていた以上に大きかった。
ミリィはまた一度だけこちらを振り返って、大きく手を振ったあと、ようやく新入生達の流れへきちんと合流していった。真新しい制服の中に紛れながらも、やっぱりどこか目に留まる。元気で、少し前のめりで、見ているだけで分かるくらい“ミリィ”だった。
その姿が建物の方へ消えていくのを見送ってから、エアリスが小さく息をついた。
「ミリィ、元気だったね」
「うん」
「なんか安心した。手紙で様子は分かってたけど、実際に会うとやっぱり違うね」
「分かる」
そう言ってから、俺は少しだけ講堂の方を見た。
まだあそこに、さっきまでミリィがいた。
それだけで、不思議と胸の中にあたたかいものが残っていた。
エアリスは、そんな空気のまま、少し弾んだ声で続けた。
「入学祝い、楽しみだな。学院のこととか、寮のこととか、色々教えてあげなくちゃね」
その言い方が、すっかり“迎える先輩”の顔になっていて、俺は思わず笑った。
「張り切ってるな」
「だって、知らないことだらけだと思うし。最初に教えてもらえる相手がいると、やっぱり安心するでしょ?」
「たしかに」
「食堂のことも話したいし、寮で気をつけることもあるし、先生のこととか、授業のこととか……あ、あと街でおすすめのお店も教えたい」
次々と出てくるその言葉を聞きながら、エアリスも本当にミリィが来るのを待っていたんだなと思った。こういうふうに面倒を見たがるところは昔からあったけれど、今はそこに少しだけ先輩らしい落ち着きも混ざっている。それがなんだか嬉しかった。
「また三人揃うなんて、よかったよ」
気づくと、そんな言葉が口から出ていた。
本当に、その通りだった。
ルゼリアにいた頃は、それが当たり前だった。三人でいることも、一緒に魔術の練習をすることも、並んで歩くことも。けれど、一度離れてしまうと、その“当たり前”がどれだけ大事だったかがよく分かる。
エアリスも、やわらかく笑って頷いた。
「うん。ほんとによかった」
その返事は短かったけれど、十分だった。
俺達は同じことを思っているのだと分かったからだ。
「じゃあ、食堂で待とうか」
俺がそう言うと、エアリスは「そうしよう」とすぐに頷いた。
「今日は授業もないしね。せっかくだから、のんびり待てるし」
俺達は講堂前の人の流れから少し離れて、学院の食堂へ向かって歩き出した。春の風は相変わらずやわらかく、中庭の花々が風に揺れている。入学式の日特有の賑わいの中を歩きながら、俺は少しだけ肩の力が抜けていくのを感じていた。
食堂に入ると、時間が少し中途半端だったこともあって、昼食時ほどの混み具合ではなかった。窓際の空いている席に座り、温かいお茶を頼む。しばらくして運ばれてきた湯気の立つカップを前にすると、ようやく本当にひと息つける気がした。
「なんか、さっきまでずっとそわそわしてた」
エアリスがカップに手を添えながら言う。
「俺も」
「見つかるまで落ち着かなかったよね」
「うん。見つかったら見つかったで、今度は再会できたことが嬉しくて落ち着かなかったけど」
そう言うと、エアリスは楽しそうに笑った。
その笑い方が、今日ここまでずっと張っていた気持ちをほぐしてくれるみたいだった。
窓の外には、春の光に照らされた学院の中庭が見えていた。そのどこかで、今ごろミリィは説明を聞いているのだろう。真面目な顔で話を聞きながらも、たぶんどこかで“終わったら三人で食事”のことを考えている気がする。そう思うと、また少し笑えてきた。
「早く終わるといいね」
エアリスがそう言った。
「うん」
俺も頷いて、カップから立ち上る湯気を見た。
待つ時間まで、なんだか心地よかった。
それだけ今日という日が、俺達にとって嬉しい日なのだと思った。




