学院3年ソアラ編 第八十六章 ミリィの入学② 3人の再会
「ルーメン、エアリス、久しぶり!」
人のざわめきの中を縫うようにして、その声ははっきり俺の耳へ飛び込んできた。
俺は反射みたいに顔を上げた。隣のエアリスも、ほとんど同じタイミングでぴたりと動きを止めている。今の声を聞き間違えるはずがなかった。ルゼリアで何度も聞いてきた、少し高くて、まっすぐで、嬉しい時ほど弾むあの声だ。
「……ミリィ!」
エアリスがぱっと明るい声を上げる。俺もすぐに、声のした方へ視線を向けた。
人の流れの向こう、真新しい一年生の制服の群れの中から、一人の少女がこちらへ向かって手を振っていた。周りの生徒達を避けながら、少し小走りになって、でも勢いを抑えきれないように駆け寄ってくる。その姿を見た瞬間、胸の中に張っていたものが一気にほどけた。
見つけた。いや、見つけたというより、見つけてもらったという方が近いかもしれない。
とにかく、もう大丈夫だと思った。
ミリィは人波を抜けるたびに、何度もこっちへ大きく手を振っていた。まるで、見つけたことが嬉しくて仕方ないみたいに。春の光の中でその姿はよく目立っていたし、何より、動きそのものがミリィらしかった。少し慌てたような足運び。勢いのまま前へ出ようとして、でもぶつからないようにぎりぎりで避ける感じ。真面目に走ろうとしているのに、どこか危なっかしい。その全部が懐かしくて、思わず笑いそうになった。
「ほんとにいた……」
自分でも変な言葉だと思った。来ると分かっていたのに、こうして実際に姿を見るまで、どこか実感が追いついていなかったのだろう。けれど、目の前でこちらへ向かってくるミリィは、たしかに本物だった。
一年生の制服が、走るたびにふわりと揺れていた。まだ着慣れていないのか、少しだけ身体の動きと服が噛み合っていないような、そんな初々しさもある。けれど、その不慣れさすら、今日のミリィにはひどく似合って見えた。ルゼリアにいた頃とは違う場所で、違う制服を着て、でも変わらない笑顔でこっちへ向かってくる。その姿だけで、ああ、本当に学院へ来たんだなと実感した。
「ルーメン! エアリス!」
もう一度、今度はさっきより近い距離で名前を呼ばれる。その声には、離れていた時間を一気に飛び越えてくるような勢いがあった。二年ぶりだというのに、久しぶりだという気があまりしない。ただ、長く会えなかった分の嬉しさが、その一言へ全部詰め込まれているようだった。
ミリィは最後の数歩をほとんど駆けるみたいに詰めてきて、俺達のすぐ目の前でようやく止まった。勢いを殺しきれずに少し前へよろけたのを、本人が慌てて立て直す。その様子があまりにもミリィらしくて、俺とエアリスはほとんど同時に笑っていた。
「はぁ、はぁ……見つけました!」
息を弾ませながら、でも顔いっぱいに笑みを浮かべて、ミリィはそう言った。まるで自分が先に俺達を見つけたことを誇るみたいな言い方で、そこもやっぱり可愛かった。
「うん、見つけてくれてよかったよ。こっちもずっと探してたんだ」
そう言うと、ミリィはさらに嬉しそうに目を輝かせた。
「分かってますよ。でも、ミリィの方が早かったです」
「ふふっ、そうだね。今日はミリィの勝ちかも」
エアリスが笑いながらそう言って、やわらかく目を細める。その横顔を見て、俺も同じ気持ちだった。
本当に、もうそれでよかった。
会えた。それだけで十分だった。
さっきまであれだけ広く感じていた中庭が、急に狭く感じられた。人のざわめきも、周囲を行き交う新入生達の声も、全部そのままなのに、俺達のいる場所だけ少し違う空気になった気がした。ルゼリアの頃から知っている、あのミリィがここにいて、俺とエアリスの目の前で笑っている。それだけで、学院の春の景色が一段あたたかく見えた。
「すごい人でしたね。ミリィ、ちょっと迷いそうになりました」
そう言いながらも、ミリィの表情には不安より嬉しさの方がずっと強く出ていた。きっと最初は緊張もしていたのだろう。けれど、今はもうそれより再会の方が勝っているのがよく分かる。
「でも、二人ともすぐ見つけられてよかったです。遠くからでも分かりましたよ」
「俺達もすぐ分かったよ」
そう返した時、自分の声が思ったよりやわらかくなっていることに気づいた。
それくらい、嬉しかったのだと思う。
ミリィがここへ来る。学院でまた会う。頭では何度も考えていたはずなのに、実際にその瞬間を迎えると、思っていた以上に胸へ来るものがあった。懐かしい、というだけでは足りない。ほっとしたし、嬉しかったし、なんだか少しだけ誇らしくもあった。
ルゼリアにいた頃、俺達の後ろをついてきていたミリィが、こうしてちゃんと自分の足でイーストレイクまで来て、学院の制服を着て、俺達の前へ現れたのだ。そのことが、たまらなく嬉しかった。
「ミリィ、久しぶり」
ようやく、ずっと言いたかったその言葉が口から出た。
するとミリィは、少しだけ目を丸くしたあと、くしゃっと顔をほころばせた。
「はい。久しぶりです!」
その返事は、春の陽射しの中で弾けるように明るかった。
そしてその明るさに、俺の胸の中の喜びも、ようやくきちんと形になった気がした。
再会の言葉を交わして、ようやく少し落ち着いてミリィの姿を見た時、俺は改めて息を呑んでいた。
さっきから可愛いとは思っていた。懐かしいとも思っていた。けれど、それだけでは足りなかった。目の前にいるミリィは、俺の記憶の中にいるミリィと、同じようでいて、確かに違っていたのだ。
ルゼリアにいた頃のミリィは、もっと小さかった。もちろん身長のことだけじゃない。雰囲気そのものが、今よりずっと幼かった気がする。俺やエアリスの少し後ろをついてきて、何かあるとすぐに表情へ出て、嬉しい時は全身で喜んで、悔しい時は隠しきれずに頬を膨らませる。そういう、分かりやすい年下の妹みたいなところが強かった。
けれど、今のミリィは違った。
一年生の制服に包まれた身体つきは、昔よりすらりとして見えた。背も伸びているし、立ち姿にも前より安定感がある。まだ新しい制服に少しだけ着られているような初々しさは残っているのに、その中にちゃんと“成長した女の子”の輪郭が見える。そのことに、俺は少し戸惑うくらいだった。
髪も、昔より少し長くなっていた。春の光を受けるたびにやわらかく揺れて、走ってきた勢いの名残で、肩のあたりでふわりと跳ねている。頬の線は前よりすっきりしていて、目元にも子どもっぽさだけじゃない芯の強さみたいなものがあった。笑うと昔のままの無邪気さが残るのに、ふと真顔になった時に見える表情は、俺の知らない時間をちゃんと生きてきた顔に見えた。
二年。口にすると短いけれど、その二年の間に、ミリィはちゃんと成長していたのだと思う。俺達がこのイーストレイクで色々なことを経験してきたように、ミリィもまたルゼリアで、自分なりに時間を重ねてきたのだ。その当たり前のことが、こうして実際に会ってみると、思っていた以上に強く胸へ響いた。
「……なんか、びっくりした」
思わずそう呟くと、ミリィはきょとんとした顔でこちらを見た。
「え? 何がですか?」
「いや……その、ちゃんと学院の制服似合ってるなって」
言いながら、自分でも少し曖昧な言い方だと思った。似合っている。それは本当だ。けれど、今俺が感じている驚きは、それだけじゃない。似合っているというより、ミリィがもう“そういう年頃”になっていたことそのものに驚いていたのだと思う。
すると、ミリィはぱっと頬を明るくした。
「ほんとですか?」
「うん、すごく似合ってるよ」
そう言うと、ミリィは目に見えて嬉しそうな顔をした。けれど、その横でエアリスが少しだけおかしそうに笑っているのが分かった。
「ルーメン、今たぶん、ミリィが思ってるよりもっとびっくりしてるでしょ?」
「……分かる?」
「分かるよ。私も同じこと思ってたもん」
エアリスはそう言って、ミリィの姿を改めて上から下まで見た。
「ミリィ、ほんとに大人っぽくなったね。手紙だけじゃここまで分からなかった」
その言葉に、ミリィは少し照れたみたいに肩をすくめた。
「そうですか? ミリィはそんなに変わってないと思うんですけど」
「変わったよ」
俺とエアリスがほとんど同時にそう言うと、ミリィは少し目を丸くして、それからくすぐったそうに笑った。
「二人とも、なんだか変です」
「変じゃないよ。本当のこと」
エアリスがやわらかくそう返す。
俺も心の中ではまったく同じ気持ちだった。
変わっていないところも、もちろんある。こうして笑う時の顔とか、嬉しそうに声を弾ませるところとか、勢いのまま前へ出てくるところとか、そういう部分はちゃんと昔のミリィだ。だから安心する。けれど、その安心の中に、前にはなかった別の感情も混ざっていた。
ああ、もうただの“後ろをついてくる妹分”じゃないんだな、と思ったのだ。
それは別に距離が遠くなったとか、そういう意味じゃない。むしろ逆だった。昔のミリィを知っているからこそ、その成長が嬉しい。ちゃんと自分の足でここまで来たのだと分かるから、余計に誇らしい。けれど同時に、昔と同じ感覚のままではいられない気もした。
たぶん、それは少しだけ寂しいような、でも嬉しいような、不思議な気持ちだった。
「エアリスも、そう思いますか?」
ミリィが少し首を傾げながら聞く。エアリスはすぐに頷いた。
「うん。なんだろう、背が伸びたとか、制服が似合ってるとか、そういうのももちろんあるんだけど……雰囲気が変わったのかな。ちゃんと成長したんだなって感じる」
「成長、ですか」
「そう。いい意味でね」
その言葉を受けて、ミリィは少しだけ照れくさそうに唇を引き結んだ。嬉しいのを隠したいのに、隠しきれていない顔だった。そんなところはまだ昔のままで、俺は少しだけほっとした。
けれど、やっぱり目の前のミリィは、俺の知っている“小さいままのミリィ”ではなかった。ルゼリアで離れていた二年の時間が、こうしてはっきり形になって見えている。そのことが、どこか眩しかった。
「でも、ルーメンもエアリスも変わりましたよ」
ミリィがふいにそんなことを言って、俺達を交互に見た。
「手紙では分かってたつもりでしたけど、こうして会うと、やっぱり全然違います。二人とも、ちゃんと先輩って感じです」
そう言われて、俺は少しだけ笑ってしまった。
先輩。たしかに今日はそういう日なのだ。
俺達が成長したように、ミリィも成長している。
そして、その成長したミリィを、今こうして迎えている。
その事実が、さっきよりもずっとはっきり胸へ落ちてきた。
春の学院の真ん中で、再会の嬉しさと一緒に、時間の流れそのものを見せられているような気分だった。
目の前で笑うミリィは、昔のままの可愛さを残しながら、でも確かに一歩前へ進んでいた。
その姿が、どうしようもなく嬉しかった。




