学院2年サラサ編 第八十五章 ルーメンの誕生日② エアリスとのデート
昼食に選んだのは、大通りから少し入ったところにある落ち着いた雰囲気の食堂だった。
学生の身分には少し背伸びをした店だったが、今日ばかりは特別だ。美味しい料理に舌鼓を打ち、他愛のない会話を楽しんでいると、エアリスがふと真剣な表情を浮かべた。
「ルーメン、改めて誕生日おめでとう」
そう言って彼女がテーブルの上に差し出したのは、綺麗に包装された小さな小箱だった。
俺がそれを受け取ると、エアリスはどこか緊張した面持ちで俺の手元を見つめている。
リボンを解き、慎重に蓋を開ける。
そこに入っていたのは、銀色のチェーンに通された、シンプルなデザインの指輪だった。
「これは……ネックレス、いや、指輪?」
「うん。指輪のネックレスだよ」
エアリスが少し照れくさそうに頬をかく。
銀色の輪は、男の俺がつけても違和感のない洗練されたデザインだが、その輝きは決して安物には見えなかった。
「エアリス、これ……結構高かったんじゃないか? お小遣い、大丈夫だったの?」
俺が心配して尋ねると、彼女はふふっと得意げに笑って首を振った。
「大丈夫だよ。これね、私のお金で買ったんじゃないの」
「え?」
「私が稼いだお金で買ったんだよ。ギルドに行って、誰でもできるお手伝いのお仕事をたくさんこなしてね。お店で見かけた時、これだ! って思って……どうしてもルーメンに身につけて欲しくて、頑張っちゃった」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
冒険者ギルドの下働きや雑用仕事は、決して楽な仕事ではない。泥にまみれたり、重い荷物を運んだり……。彼女の細い腕で、俺のためにそこまでしてくれたのか。
この指輪には、単なる金属の価値以上の、エアリスの時間と労力、そして想いが込められている。その重みが、手のひらを通じてずしりと伝わってきた。
「エアリス、そこまでして……ありがとう。本当に嬉しいよ」
「ううん、私が贈りたかっただけだから」
エアリスはテーブル越しに身を乗り出し、俺の手の中にある指輪を愛おしそうに見つめた。そして、少しだけ声を潜めて、けれどはっきりとした口調で言った。
「ルーメン、今はまだネックレスとして首にかけておいてね。でもね……いつか、その時が来たら。そのチェーンを外して、指にはめてほしいな」
彼女の瞳は、冗談の色など微塵もなく、真摯な光を宿していた。
それは、遠い未来の約束。いつか、俺たちが本当の意味で結ばれる日が来たら、という予約の言葉。
14歳の少女が口にするにはあまりに重く、そして健気な誓いだった。
「……分かった。この指輪は、俺が大切に預かるよ。いつか来るその日まで、肌身離さず身につける」
「うん! 約束だよ、ルーメン」
俺がその場でネックレスを首にかけると、銀色の指輪が胸元でカチリと音を立てた。
心臓の鼓動に近い場所で、エアリスの重い愛が揺れている。
彼女はそれを見て、花が咲くように嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を守るためなら、俺は何だってできる……そう思わせてくれるほど、彼女は眩しかった。
陽が西の空に沈みかけ、イーストレイクの空が燃えるような茜色に染まり始めた。
レイクパークは、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。家族連れや子供たちの姿は消え、代わりに身を寄せ合う恋人たちの姿がちらほらと目立ち始める。
ベンチに並んで座り、湖を眺めていた俺たちは、言葉少なにその美しい夕景を見つめていた。
「……そろそろ、日も暮れてきたね」
俺は意を決して口を開いた。
このあと、リリィ先生との約束がある。それはエアリスも承知の上だ。けれど、分かっていても、この居心地の良い時間を断ち切るのは身を切られるように辛い。
俺が立ち上がろうと腰を浮かせた、その時だった。
「…………」
俺の服の袖が、クイクイと引っ張られた。
見ると、エアリスが俯いたまま、俺の袖口を指先で強く摘んでいる。その指は白くなるほど力が込められていた。
彼女は何も言わない。けれど、「行かないで」という言葉よりも強く、その指先が俺の心を縛り付けた。
このまま強引に振りほどいて帰ることもできる。だが、14歳の誕生日に、大好きな幼馴染をそんな顔で帰すことなど、今の俺にはできなかった。
「……エアリス、ちょっと来て」
俺は彼女の手を取り、公園のさらに奥、木々が鬱蒼と茂るエリアへと足を進めた。
人影はほとんどないが、それでも完全に死角とは言えない。
俺は周囲を確認し、深呼吸をして魔力を練り上げた。
「……ストーンウォール」
ズズズ……ッ!
低い地鳴りと共に、俺たちを取り囲むように四方の地面が隆起した。
高さ2メートルを超える土の壁が、瞬く間に俺とエアリスを外界から遮断する。天井はないが、夜の帳が降りつつある今、薄暗い壁の中を覗ける者は誰もいない。
即席で作られた、二人だけの密室。
「ルーメン……」
「これなら、誰にも見られない」
俺が言うと、エアリスは驚いたように目を瞬かせ、次いでとろけるような笑みを浮かべた。
「ふふ、魔術をこんなことに使うなんて……ルーメンも悪くなったね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
言い返す間もなく、エアリスが俺の胸に飛び込んできた。
俺は彼女の背中に腕を回し、力一杯抱きしめる。柔らかい感触と、熱い体温がダイレクトに伝わってくる。
俺たちは貪るように唇を重ねた。
昼間の爽やかなデートとは違う、もっと深く、もっと熱い、焦がれるような口づけ。
互いの息遣いが荒くなり、鼓動が一つに重なる錯覚を覚えるほど、俺たちは強く求め合った。
「……んっ、はぁ……」
唇を離すと、エアリスは潤んだ瞳で俺を見上げ、熱っぽい声で囁いた。
「ありがとう、気づいてくれて。どうしても……どうしても欲しかったの」
「何を?」
「ルーメンの、14歳の初めて」
その言葉の意味を理解した瞬間、俺の背筋にゾクゾクとした震えが走った。
彼女は、今日という日の「最初の男としての顔」を、誰にも、たとえリリィ先生であっても渡したくなかったのだ。
その独占欲が、たまらなく愛おしかった。
「……全部、エアリスのものだよ」
「うん、大好きだよ、ルーメン」
壁の中で、俺たちは時間の許す限り抱き合い、互いの温もりを確かめ合った。
ストーンウォールを解除した時、辺りはすっかり夜になっていたが、寮まで送る道すがら、エアリスの表情は憑き物が落ちたように晴れやかだった。
俺もまた、罪悪感ではなく、男としての充足感を胸に、彼女の手を握りしめて歩いた。




