学院2年サラサ編 第八十五章 ルーメンの誕生日① 始まり
第八十五章 ルーメンの誕生日
正直に言おう。俺、ルーメン・プラム・ブロッサムは今、贅沢な悩みを抱えている。
いや、悩みという言葉で片付けるには、あまりにも重く、そして甘美すぎる事態だ。
窓から差し込む朝日が、リリィ先生の研究室を白く染め上げている。
今日で俺は14歳になった。この世界において、14歳という年齢は子供と大人の境界線だ。魔術の扱いも本格化し、将来の進路も、そして伴侶選びも現実味を帯びてくる時期。
そんな節目の朝に、俺の頭の中を占めているのは二人の女性のことだった。
一人目は、幼馴染のエアリス。
物心ついた頃からずっとそばにいて、俺の過去も、情けないところも全て知っている対等なパートナーだ。気を使わずに自然体でいられる、自然体な存在……だと思っていた。
だが、彼女はそんな俺の甘えを許さなかった。
「大好きだよ、私の初めてをあげる」
あの時のエアリスの瞳、震える唇、そして俺に口づけをした勇気。
同い年の彼女が、人生を変えるような決断をして踏み込んできたのだ。
ただの幼馴染という枠を、彼女自身の手で壊してみせた。あの熱を思い出すだけで、顔が熱くなる。
二人目は、リリィ。
俺の魔術の師であり、憧れの人。そして、かつて石化病という絶望の淵にいた女性。
彼女の愛は、エアリスとは対照的で、どこか悲壮なほどに献身的だ。
「私を選ばなくてもいい。命を救ってくれたあなたのために、一生を捧げたい」
彼女はそう言う。年上としての分別か、あるいは病み上がりの身体への引け目か、彼女は一歩引いた場所から俺を愛そうとする。
けれど、その言葉とは裏腹に、彼女の瞳の奥にある炎は消えていない。誕生日の夜に見せた涙、そして理性ギリギリの口づけ。
『私を選ばなくてもいい』なんて言葉は、彼女自身の本心を縛り付ける鎖でしかないことを、俺は痛いほど感じ取っていた。
(どっちかなんて、選べるわけがない……)
ベッドから起き上がり、鏡の前で身支度を整えながら、俺は自嘲気味に息を吐いた。
優柔不断だと罵られても仕方がない。
けれど、二人とも俺にとってかけがえのない存在で、どちらか一方の手だけを取るなんて、今の俺にはどうしてもできなかった。
「……だからって、このスケジュールは我ながらどうかと思うけどな」
俺は苦笑しながら、今日の予定を反芻する。
二人は俺の誕生日を祝いたいと言ってくれた。俺は答えを出せないまま、二人の申し出に甘えることにしたのだ。
『昼はエアリスとデート、夜はリリィとディナー』
普通なら修羅場になりかねないこの提案を、俺は隠さず二人に伝えた。
エアリスは少し寂しそうに笑って、「ルーメンがそう言うなら仕方ないね」と許してくれた。
リリィ先生に至っては、「私は夜だけで十分です。昼間はエアリスちゃんと過ごしてあげてください」と、やはり一歩引いた態度を見せた。
二人の優しさに、甘えているのは俺の方だ。
「よし……」
頬を軽く叩き、気合を入れる。
答えはまだ出せない。けれど、今日という一日を最高のものにする責任が、俺にはある。
俺は制服の襟を正し、静まり返った早朝の研究室を後にした。まずは、学院の前で待つエアリスの元へ向かわなければ。
扉を開けると、爽やかな風が吹き抜けた。14歳の始まりは、波乱の予感に満ちていた。
約束の場所である学院の正門前に着くと、そこには既に彼女の姿があった。
いつもの制服姿ではない。今日は淡いクリーム色のワンピースに、薄手のカーディガンを羽織っている。風の魔術師である彼女に似合う、軽やかで清楚な装いだ。
俺が近づくよりも早く、彼女はこちらに気づいた。
「あっ、ルーメン! おはよう、誕生日おめでとう!」
弾けるような笑顔で駆け寄ってくるエアリス。
彼女は俺の目の前でぴたりと止まると、躊躇なく俺の右腕に自分の腕を絡めてきた。柔らかい感触と、ふわりと香る甘い匂いが鼻をくすぐる。
以前なら恥ずかしがっていただろう距離感も、今の俺たちには自然なものになっていた。
「おはよう、エアリス。待たせたね」
「ううん、今来たところ。さあ行こう、今日はルーメンの日なんだから、私のエスコートに任せてよね」
エアリスは楽しそうに俺を引っ張り、街の大通りへと歩き出した。
休日の街は賑わっており、行き交う人々の活気に満ちている。俺たちはウィンドウショッピングを楽しみながら、あてもなく石畳の道を歩いた。
エアリスはショーウィンドウに飾られた服や雑貨を見ては、「あれ可愛い」「こっちはルーメンに似合いそう」と無邪気にはしゃいでいる。その横顔を見ているだけで、胸の奥が温かくなるのを感じた。
ふと、エアリスが足を止めた。
露店の一角に並べられた、きらきらと光るアクセサリーの山に目を奪われたようだ。
「わあ……綺麗。ルーメン見て、これ可愛くない?」
エアリスが指差したのは、色とりどりの石が嵌め込まれた髪飾りやブローチだった。
彼女は俺の腕を離すと、熱心に商品を覗き込み始めた。
「そうだね、これとこれとこれで迷ってるんだよね……」
真剣な表情で悩み始めるエアリス。
自分のものを買うつもりで選んでいるようだが、俺の中にふと、ある衝動が湧き上がった。
今日は俺の誕生日だ。本来ならプレゼントを貰う側なのかもしれない。けれど、俺の隣でこんなに楽しそうに笑ってくれる彼女に、何か形に残るものを贈りたい。
俺は並んでいるアクセサリーの中から、一つの髪飾りを手に取った。
それは銀細工の土台に、透き通るような翠色の石があしらわれたバレッタだった。
「エアリス、ちょっといいかな」
「ん? どうしたのルーメン?」
「これ、どうかな。エアリスの髪は綺麗な赤紫だから、この翠色の方がアクセントになって映えると思うんだ」
俺がそう言ってバレッタを彼女の髪に当てて見せると、エアリスは鏡を覗き込み、目を丸くした。
赤紫の髪に、風のような翠色が鮮やかに浮かび上がっている。
「本当だ……すごく綺麗。ルーメン、センスいいじゃん!」
「だろう? これ、俺にプレゼントさせてくれないか」
「えっ? でも、今日はルーメンの誕生日だよ? 私がもらうわけには……」
「いいんだ。俺が贈りたいんだよ。エアリスにはいつも笑っていてほしいから」
俺の言葉に、エアリスは少し驚いたように瞬きをした後、頬を朱に染めて照れ笑いを浮かべた。
「……もう、ルーメンったら。女の子の扱いが上手くなったんじゃない?」
「必死なだけだよ」
店主に代金を支払い、俺はその場で彼女の髪にバレッタをつけた。
陽の光を浴びて、翠色の石がキラリと輝く。
エアリスは嬉しそうに髪飾りに触れ、俺に向かって最高の笑顔を見せた。
「ありがとう、ルーメン。大切にするね。これ、お揃いじゃないけど、ルーメンが選んでくれた色だから……私にとって特別なお守りだよ」
そう言って、彼女は再び俺の腕を強く抱きしめてきた。
その強さに、彼女の愛おしさと、これから始まる一日への期待が込められている気がした。




