学院2年サラサ編 第八十三章 エアリスの誕生日④ 告白
店を出ると、夜の空気が少しだけひんやりしていた。
さっきまでの温かな灯りと違い、街灯に照らされた石畳は静かで落ち着いた色をしている。
「明日も授業だね」
エアリスが、少し名残惜しそうに言った。
「うん。朝一番から魔術理論だ」
「眠くなりそう」
「エアリスがだろ」
「ルーメンもでしょ?」
笑い合う。
いつも通りの会話なのに、今日はどこか柔らかい。
手は、自然につないだままだ。
エアリスの指が、少しだけ絡まる。
「……今日、楽しかったな」
小さな声。
「俺も」
それだけで十分なはずなのに、胸の奥がじわっと熱くなる。
しばらく歩くと、エアリスがふと足を止めた。
「ルーメン」
「ん?」
「ちょっとだけ、寄り道していい?」
振り返った顔は、いたずらっぽくもあり、どこか真剣でもある。
「どこ行くんだ?」
「秘密」
「遠い?」
「もうちょっと。頑張って」
その言い方が、昔と同じだ。
俺は小さく息を吐く。
「分かった。案内して」
エアリスは嬉しそうに笑い、今度は腕に手を回してきた。
ぐっと身体が近づく。
「ちょ、エアリス」
「寒いんだもん」
当たってる。
分かってるくせに。
けれど、以前ほど動揺しない自分に、少しだけ驚く。
それでも心臓は、ちゃんと早い。
夜のイーストレイクは穏やかだ。
店じまいを始める商人、遠くで笑う学生たち、灯りのともる窓。
空には星が瞬いている。
石畳を並んで歩く影が、街灯に伸びる。
「ルーメンと、誕生日に二人きりなんて」
エアリスがぽつりと言う。
「ちょっと夢みたい」
「大げさだろ」
「本当だよ」
腕にかかる力が、少し強くなる。
「昔は、こんな日が来るなんて思ってなかった」
俺も、同じだ。
ルゼリアの庭で泥だらけになって遊んでいた頃。
魔術の練習で喧嘩した日。
泣きながら笑った夜。
それが、今は……こうして。
丘の上へ続く石段は、昼間よりもずっと静かだった。
街の喧騒は下へと遠ざかり、足音だけが小さく響く。
「もう少し」
エアリスが振り返って笑う。
その横顔が、街灯に照らされて柔らかく見えた。
やがて視界が開ける。
「……ここ?」
「レイクパークだよ。ルーメン、来たことなかったでしょ?」
「ない」
「よかった」
その一言に、少しだけ特別な響きがあった。
丘の上には小さな公園が広がっている。
木製のベンチ、低い柵、その向こう……
イーストレイクの街が、一望できた。
湖面に映る月明かり。
規則正しく並ぶ街灯。
窓の灯りが宝石のように散らばっている。
「……きれいだ」
思わず漏れる。
エアリスは満足そうに頷いた。
「ね?」
風が、二人の間をすり抜ける。
湖から吹き上げる夜風は少し冷たいけれど、不思議と心地いい。
「ここね、子どもの頃に母さんと来たことがあるんだ」
エアリスが柵にもたれながら言う。
「誕生日の夜に、一度だけ」
「そうなの?」
「うん。そのときね、母さんが言ったの。“街の灯りは、人の数だけ願いがある証なんだよ”って」
エアリスは遠くを見つめる。
「だから、誕生日の夜に、ここから街を見るとね。自分もその灯りのひとつなんだって思えるの」
静かな声。
けれど、しっかりと届く。
「今日、ルーメンとここに来たかった」
そう言って、俺を見る。
その瞳は、いつものいたずらっぽさよりも、少しだけ大人びていた。
「どうして?」
聞き返すと、エアリスは少しだけ頬を染める。
「だって……特別な日だから」
一歩、近づく。
距離が、また縮まる。
「ルーメンと、ちゃんと二人で、同じ景色を見たかったの」
風が揺らす髪を、彼女は耳にかける。
街の灯りが、その瞳に映っている。
ここは、ただの公園じゃない。
エアリスにとって、大事な記憶の場所。
そして今日、その場所に俺を連れてきた。
それがどういう意味なのか、分からないほど子どもじゃない。
胸の奥が、静かに熱くなる。
夜景の光が、二人の間を優しく照らしていた。
しばらく、二人で並んで夜景を眺めていた。
イーストレイクの灯りが、湖面に揺れている。遠くの家々の窓明かりが、星のように瞬いては、水面にほどけていく。風はやわらかく、昼間の熱を少しだけ残していて、どこか甘い匂いがした。
隣に立つエアリスの体温が、腕越しに伝わる。
さっきまで笑っていたのに、今は静かだ。
やがて、彼女が小さく息を吸った。
「ねえ、ルーメン」
その声は、いつもより少し低くて、でも震えていた。
「うん」
返事をした自分の声が、思ったよりも硬い。
エアリスは夜景を見たまま、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「今までね、誕生日って、家で過ごすのが当たり前だったんだ」
少し間を置く。
「うちはあんまり裕福じゃないでしょ? だから誕生日って言っても、いつものご飯におかずが一品増えるくらい」
くすっと、照れたように笑う。
「それでもね、嬉しかったよ。母さんが、私のためにって、頑張ってくれてるの分かってたから」
その横顔は、誇らしげだった。
彼女の指が、夜風の中でそっと動く。昔をなぞるみたいに。
「たぶんね、ルーメンの家とは全然違うよね」
その言葉に、胸が少しだけ痛む。
でも、エアリスは自分を卑下していない。ただ、事実をそのまま、まっすぐに置いている。
「でもね」
そこで、彼女はようやくこちらを向いた。
瞳が揺れている。湖の光が、そこに映り込んでいる。
「今年は、初めてだった」
「……何が?」
声が少し掠れる。
「誰かと、ちゃんと二人で、外で祝ってもらったの」
その“誰か”が自分だと分かっていても、改めて言葉にされると、胸が熱くなる。
「ルーメンが、私のためにお店を予約してくれて、プレゼントまで用意してくれて」
指先が、ぎゅっと自分のスカートを握る。
「私、ね……ずっと、ちょっとだけ憧れてたの。そういうの」
声が、ほんの少し震える。
「好きな人と、誕生日に二人で食事して、プレゼントもらって、帰りに夜景見るとか」
好きな人。さらりと、けれど確かに。
「それが、今日だった」
彼女は目を伏せる。
「すごく、嬉しかった」
胸の奥が、強く締めつけられる。
エアリスは続ける。
「ルーメンって、領主の家の子なのに、昔から全然偉そうじゃなかったよね」
少しだけ笑う。
「私が消えそうになったときも」
その言葉に、空気が一瞬、変わる。
幼い日の記憶が、よみがえる。
小さな体で、必死に魔力を練り続けた夜。怖くて、泣きそうで、それでも諦めなかった。
「自分のことより、必死だったよね」
エアリスの目に、うっすらと光が滲む。
「母さんの命も、私の命も、ルーメンが救ってくれた」
あのときの俺は、ただ無我夢中だった。でも、彼女にとっては、それが全部だったのだ。
「だからね」
一歩、近づく。
距離が、ほとんどなくなる。
心臓の音が、はっきり聞こえる。自分のか、彼女のか、分からない。
「私は、昔からルーメンのことが大好きなんだ」
言い切った。
逃げない。笑わない。冗談にもしない。
「ずっと、好きだった」
胸が、強く鳴る。
「友達としても、大事だった。でも、それだけじゃなくて」
声が震える。それでも、目は逸らさない。
「ルーメンが他の女の子と話してると、ちょっとだけ、嫌だったし」
小さく笑う。
「でも、そんな自分も、恥ずかしくて」
「エアリス……」
思わず名前を呼ぶ。
彼女は、首を横に振る。
「でもね、答えはまだいいよ」
少し困ったように笑う。
「突然言われても、困るでしょ? こんなの」
震えながらも、どこか強い。
「結ばれなくてもいいの。私は、ルーメンの友達でもいい」
そっと、俺の袖を掴む。
その指は、少し冷えている。
「ただ、近くにいたい」
言葉が、まっすぐに胸に落ちる。
「ルーメンの隣に、いられたら、それだけで幸せだから」
風が吹き抜ける。
湖面の光が、揺れる。
エアリスの瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。
不安もある。怖さもある。それでも、逃げないで伝えた、人生初めての告白。
その重みが、はっきりと伝わる。
夜景は変わらない。
けれど、世界はもう、さっきまでと同じではない。
エアリスの想いが、痛いほどに、確かに届いた。




