学院2年サラサ編 第八十三章 エアリスの誕生日② プレゼントの迷走
夕食の約束が決まってからも、俺の胸のざわめきは収まらなかった。
むしろ、次の問題がはっきりしたせいで、さらに落ち着かない。
……プレゼント。
食堂を出て、中庭へ向かう石畳を並んで歩きながら、俺はそのことばかり考えていた。エアリスはいつも通り、少し前を歩いたり、俺の横に並んだり、気まぐれに距離を変える。
「ねえ、ルーメン」
「うん?」
「さっきの顔、まだちょっと硬いよ」
「……そんなことない」
「あるよ」
言い切られて、俺は観念した。
隠せる相手じゃない。エアリスは、昔から俺の小さな変化をすぐ見抜く。
「その……さ」
俺は視線を空に逃がしながら言った。
「誕生日なんだけど。エアリス、何か欲しいものある?」
言った瞬間、自分で「聞くな」と思った。
でも、聞かずにはいられなかった。
エアリスは立ち止まり、くるりと俺のほうを向く。
「えっ。それ、聞いちゃうの?」
少し驚いたように目を丸くする。
「だって……外したくないし」
正直に言うと、エアリスはふっと笑った。
からかう笑いじゃない。柔らかい、あたたかい笑い。
「ルーメンらしいね」
「らしいって?」
「真面目で、ちゃんと考えてくれるところ」
そう言ってから、少しだけ視線を落とす。
「でもね。気持ちがこもっていれば、何でも嬉しいよ」
その言葉は軽く聞こえたけど、軽くなかった。
俺の胸に、じんわりと染み込む。
「ほんとに?」
「ほんと」
エアリスは一歩近づいてきて、俺の手元を見下ろす。
「そうだなー……」
わざとらしく考えるふりをしてから、にやっと笑う。
「この指に嵌める指輪かな?」
一瞬、時間が止まった。
「……え?」
思わず、間抜けな声が出る。
エアリスは自分の左手をひらひらと振った。薬指が、やけに強調される。
「指輪」
「え、エアリスさん、それはちょっと早すぎやしませんか?」
口から出たのは、ほとんど反射だった。
心臓がどくんと大きく跳ねる。耳まで熱い。
エアリスは堪えきれないみたいに笑った。
「うそうそ。そんな本気で焦らなくてもいいのに」
「焦ってない」
「焦ってたよ」
断言される。俺は言い返せずに、視線を逸らした。
エアリスは笑いながら、そっと声を落とす。
「ほんと、ルーメンからもらえるものなら、何でも嬉しいよ」
さっきよりも、少し真面目な声だった。
「そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」
その言葉に、俺はゆっくりと息を吐いた。
エアリスは裕福じゃない家の出だ。
でも、それを言い訳にしないし、卑屈にもならない。ただ「普通」に受け止める強さがある。
だからこそ、俺はちゃんと選びたいと思う。
「……でも」
俺はエアリスを見る。
「俺が選んだもの、ちゃんと受け取ってくれる?」
エアリスは、少し驚いた顔をしてから、すぐに真っ直ぐな目で頷いた。
「うん。もちろん」
「後悔しない?」
「しないよ」
間髪入れずに返ってくる。
その迷いのなさに、胸が熱くなる。
エアリスは一歩近づいて、俺の袖を軽く引いた。
「ねえ、ルーメン」
「なに?」
「指輪は、いつかでいいからね」
「……」
冗談のようでいて、冗談じゃない響き。
俺は言葉に詰まる。
エアリスはすぐに、いつもの明るい顔に戻る。
「今は、誕生日を楽しみにしてる。それだけで十分だよ」
その言い方が、あまりにも素直で。
俺は、思わず笑ってしまった。
「わかった。……ちゃんと考える」
「うん」
エアリスは満足そうに頷き、また並んで歩き出す。
俺の心臓はまだ少し早い。
でも、その鼓動は不安じゃない。どこか、甘くてくすぐったい。
指輪の冗談に振り回されながらも、俺は確信していた。
……何を選んでも、きっとエアリスは笑ってくれる。
でも、だからこそ。
笑わせるんじゃなくて、ちゃんと喜ばせたい。
その思いだけが、静かに強くなっていった。
エアリスと別れたあと、俺は一人で中庭の端にあるベンチに腰を下ろした。
秋の風が少しだけ冷たい。
さっきまで隣にいたエアリスの体温を思い出して、無意識に手のひらを握る。
……何を贈るか。そこが決まらない。
気持ちがこもっていれば何でも嬉しい。
そう言ってくれた。
けれど、それに甘えるわけにはいかない。
「……指輪は無理だよな」
思わず小さく呟いて、顔が熱くなる。
あれは冗談だ。
でも、ほんの少しだけ、本気も混ざっていた気がする。
視線を自分の手首に落とす。そこには、細い銀色のブレスレットがある。
エアリスが選んでくれたものだ。俺の誕生日に、少し照れながら渡してくれた。
『お揃いなんだよ』
そう言って、自分の手首も見せてきた。
あのときの笑顔を思い出す。
……お揃い。その言葉が、胸の奥で引っかかる。
今回も、お揃いにするべきか?
でも、同じブレスレットを増やすのは違う気がする。
形だけ真似ても意味がない。もっと……俺たちらしいもの。
俺たちの出会いは、魔術だった。
幼い頃、エアリスは風をうまく扱えなくて、俺が横で光を灯して見本を見せた。
夜の庭で、二人で魔力を練習した。あの時間が、今の関係の原点だ。
「……魔杖、か」
ふと思い浮かぶ。
エアリスは本格的な杖を持っていない。授業では学院の貸与品を使っているだけだ。
風属性は得意だが、補助具があればもっと安定するはずだ。
それに、俺の光と、エアリスの風。その組み合わせは、昔から自然だった。
「でも……」
問題は金だ。本格的な魔杖は高い。
領主の家の息子とはいえ、今の俺は学院生活中だ。自由に使える金額は限られている。
それに、あまり高価すぎるものは、エアリスが気を遣う。
そしてもう一つ。
リリィに相談する……という選択肢が、頭に浮かんで消える。無理だ。
研究の話ならともかく、エアリスへの誕生日プレゼントの相談なんて、絶対に冷静な顔で聞かれる。
『どういう意図の贈与ですか?』
とか真顔で聞かれそうだ。
……無理だ。俺は頭を抱えた。
「誰か、普通に聞ける相手……」
そこで、ひとりの顔が浮かぶ。
サラサ。
エアリスとも距離が近いし、最近は自然に会話している。
変な先入観もなく、女の子の感覚で答えてくれそうだ。
ただ……サラサは、少しだけ勢いがある。
勢いが、ある。
「……大丈夫、だよな」
自分に言い聞かせるように呟く。
エアリスにもう一度直接聞くのは野暮だ。
リリィは論外。となれば、サラサしかいない。
俺はベンチから立ち上がった。胸の奥にはまだ迷いがある。でも、じっとしていても何も決まらない。
「……よし」
エアリスの誕生日を、ちゃんと祝いたい。その気持ちだけは、もう揺らがない。
俺は、サラサを探すために校舎のほうへ歩き出した。
昼休みの終わり頃、俺は校舎裏の回廊でサラサを見つけた。
一人で本を読んでいるところに声をかける。
「サラサ、少し頼みがあるんだけど」
顔を上げたサラサは、すぐに笑った。
「ルーメンの頼みなら、このサラサにお任せください」
胸を張る仕草が妙に頼もしい。
少しだけ不安もあるが、ここまで言われて引くわけにもいかない。
「実は……エアリスの誕生日が近いだろ。何か喜びそうなものを、それとなく探ってもらえないか?」
サラサは一瞬きょとんとしたあと、にやりと笑った。
「なるほど、なるほど。そういうことですね?」
「変な勘違いはするなよ」
「してませんよ」
絶対している顔だ。
それでも、彼女は真面目に頷いた。
「分かりました。自然に聞き出してみます」
「自然に、な」
念押しする。
「任せてください」
自信満々だ。
その日の夕方。サラサは、なぜか少し微妙な顔で俺の前に立った。
「……どうだった?」
恐る恐る聞くと、サラサは咳払いをした。
「ええとですね」
嫌な予感しかしない。
「“ルーメンでしょ?”って言われました」
「……は?」
「私が“最近欲しいものとかある?”って聞いたら、すぐに“ルーメンでしょ?”って」
俺は思わず言葉を失う。
「それ、どういう意味だ?」
「そのままの意味では?」
さらりと言われて、心臓が妙な音を立てた。
「それで、そのあとどうなった」
サラサは目を逸らす。
「ええと……“二人の名前が入った指輪って言っといて”って」
「指輪!?」
思わず声が裏返る。
周囲の生徒が振り返り、慌てて咳払いで誤魔化す。
サラサは慌てて手を振った。
「冗談です、冗談ですよ!エアリス、笑ってましたから!」
「……本当にか?」
「本当です。でも、すごく楽しそうでした」
それが余計に困る。
エアリスは鋭い。サラサが探りを入れた瞬間に、全部見抜いたのだろう。
「……下手か」
思わず漏らすと、サラサはむっとした。
「私はちゃんと自然に聞きました!」
「結果が自然じゃない」
「うっ……」
サラサは肩をすくめた。
「でも、最後はちゃんと言ってましたよ。“ルーメンが選んだものなら嬉しい”って」
その一言で、胸の奥が少し温かくなる。
「本当に?」
「本当にです。からかいはしてましたけど、期待はしてますね」
サラサはにこっと笑う。
「だから、ルーメンが自分で選ぶのが一番だと思います」
俺はゆっくり息を吐いた。
やっぱりそうか。誰かの意見に頼るより、自分で決めるしかない。
エアリスは、俺の“気持ち”を見ている。なら、俺が選ばなきゃ意味がない。
「……ありがとう、サラサ」
「どういたしまして。指輪はやめておいた方がいいと思いますけど」
「当たり前だ」
サラサはくすっと笑った。
「頑張ってください、ルーメン」
俺は頷く。迷いは消えた。誰かの答えじゃない。
俺が、エアリスに贈りたいものを選ぶ。それでいい。
放課後、俺は一人で中央通りへ向かった。
目的地は、学院の生徒でも滅多に入らない魔杖店だ。石造りの落ち着いた外観で、扉の上には小さな魔石の紋章が掲げられている。近づくだけで、微かな魔力の波長が伝わってきた。
正直、少し緊張する。俺は深呼吸をして、扉を押した。
店内は想像以上に静かだった。壁一面に杖が並び、中央のガラスケースには魔石が丁寧に陳列されている。木の匂いと、かすかな魔力の気配が混ざった空間は、どこか神聖ですらあった。
「いらっしゃいませ」
年配の店主が穏やかに声をかける。
「見せていただくだけでも大丈夫ですか?」
「もちろんです」
俺は棚に並ぶ本格的な魔杖に目を向けた。
長い杖、重厚な装飾、埋め込まれた高純度の魔石。どれも一級品だ。
値札を見る。……高い。想像していたより、ずっと高い。
これ一本で、俺の生活費の何か月分だろう。さすがに十四歳の誕生日プレゼントとしては、現実的ではない。
俺は視線を移す。奥の棚には、短めの杖や装飾用に近い小型の魔杖が並んでいた。片手で扱えるサイズで、魔石の組み合わせを選べるらしい。
これなら、実用と記念を両立できる。
「こちらは魔石を二種類まで組み合わせられます」
店主が説明してくれる。俺はケースを覗き込む。
風、水、火、土、光、闇……小さな魔石が整然と並んでいる。
迷うまでもない。エアリスは風属性。俺は光。
自然と、風と光の魔石を手に取っていた。
「この組み合わせでお願いします」
そう言いかけて、ふと止まる。
……光。エアリスに、俺はまだ本格的な光魔術を教えていない。
授業で基礎は触れているだろうが、俺から直接は教えていない。
今まで、どこかで避けていたのかもしれない。
光は、俺の属性だ。俺自身の象徴みたいなものだったから。
けれど、これを機に、教えればいい。
風と光。二人の出会いも、魔術がきっかけだった。
一緒に特訓して、笑って、失敗して、成長してきた。
なら、次の一歩も魔術でいい。
「……この二つで、お願いします」
俺は改めて言った。
店主は静かに頷き、丁寧に杖へ魔石を組み込んでいく。小さな光が一瞬きらめき、風と光の波長が調和する。
完成した杖は、派手ではない。
だが、柔らかな風色の石と、澄んだ光の石が並ぶ姿は、どこか温かい。
「二本、同じものを」
店主がわずかに驚いた顔をするが、何も言わずにもう一本を用意する。
そうだ。一本はエアリス。もう一本は、俺。お揃いだ。
ブレスレットのときみたいに。
包まれた箱を受け取り、俺は胸の奥にじんわりとした緊張を感じた。
喜んでくれるだろうか。からかわれるかもしれない。
それでもいい。俺は、自分で選んだ。それが大事だ。
箱をしっかり抱えて、店を出る。夕暮れの空が、淡く染まり始めていた。もうすぐ、エアリスの誕生日だ。




