↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
409/441

学院2年サラサ編 第八十二章 ミスティムーアの退治⑥ サラサへの魔物化告知

俺はサラサの様子を見ながら、ゆっくりと続けた。

「ラティス、ノエル、ディラドの状態も、あの霧が原因でした」

サラサは小さく息を呑んだ。

「やっぱり……」

「霧に含まれていたミスティムーアの魔力が、三人の中に入り込みました。完全に意識を奪われたわけじゃありませんが、内側に別の魔力が重なった状態でした」


彼女の指先が、わずかに強く握られる。

「どんな……魔物に?」

質問は、逃げない。

「ラティスにはハイオークの性質が、ノエルにはポイズネススパイダー、ディラドにはキラービーの性質が重なっていました」

サラサの目が見開かれる。

「そんな……」

「三人とも、魔力の波長が乱れていました。本人の意思とは関係なく、魔物側の特性が表に出ようとしていました」

俺は淡々と事実を述べる。感情を乗せすぎない。


「視界を奪う現象も、その影響の一部です。魔力が外へ不安定に漏れ、周囲に干渉していました」

サラサは俯き、唇を噛んだ。

「癒し魔術では……」

小さく、かすれた声。

「治らないのですか?」

「治らなです」

俺は静かに答えた。


「魔物化は怪我や病気とは違います。肉体ではなく、魔力構造そのものが上書きされます。今ある癒し魔術では回復できないのです」

彼女の肩が、わずかに震えた。

「でも……今は、三人とも落ち着いていますよね」

「特別な方法で、魔力の構造を直接整えました」

あくまで説明に徹する。誰が、とはまだ言わない。


「魔物化の根を断てば、連鎖も止まります。だから三人も回復に向かっています」

サラサはゆっくりと顔を上げた。

不安はある。だが、混乱はしていない。

「怖いですね……」

本音が、静かに零れる。

「知らないうちに、そんなことが起きるなんて」

「もう起きないですよ」

俺ははっきりと告げる。

「霧の源は消えました。連鎖も断ち切られました」

彼女の瞳が、わずかに潤む。

だが、それは恐怖だけではない。安堵も混じっている。


鐘の音が遠ざかってから、俺は静かに続けた。

「……サラサさん」

名前を呼ぶと、彼女はまっすぐこちらを見る。

「三人だけじゃない」

その一言で、空気がわずかに張り詰めた。

「霧の影響は、他にもありました」

サラサは息を止めるように、瞬きを忘れた。


「……他にも?」

俺は目を逸らさない。

「サラサさんにも、影響がありました」

沈黙が流れる。

廊下の向こうを通り過ぎる足音が、やけに遠く感じる。

「……私、ですか?」

声は震えていない。だが、指先がわずかに白くなる。

「はい」

短く肯定する。


「ただし、三人とは状態が違いました」

彼女は言葉を待っている。

「サラサさんは魔力が強い。だから、完全に上書きされることはありませんでした」

ゆっくりと説明する。

「昼間は、ほとんど影響が出ていませんでした。魔力の均衡を自力で保っていたからです」

彼女の眉がわずかに寄る。

「……昼は?」


「発現していたのは、夜だけなんです」

はっきりと言う。

「眠って魔力が弱まった時間帯に限って、表層が入れ替わっていました」

サラサの呼吸が、ひとつ深くなる。

「だから……朝、靴の位置が変わっていたり、外出用の服を着ていたり……」

「夜の間に動いていました」

俺は続ける。


「だけど、昼のサラサさんはその夜の記憶を持っていません。内部で前面に出ていたのは、ミスティムーアの魔力でしたから」

沈黙が落ちる。

彼女の視線が床へ落ちる。

「……私、人を傷つけましたか?」

その問いは、予想していた。

「傷つけていません」

優しく答える。

「視界を奪う現象はありましたが、命に関わることは何も起きてはいません」

彼女の肩から、わずかに力が抜けた。

「本当、ですか?」

「はい、間違いありません」


昨夜の酒場通りを思い出す。

接触はあった。だが、直接的な加害はない。

「むしろ、魔力の強さがあったからこそ、夜だけで抑えられていました」

昼間は彼女自身の魔力が優勢だった。

完全に魔物化するには至らなかった。

サラサは、胸に手を当てる。

「……夜だけ」

その言葉を、ゆっくりと噛みしめる。

「だから、私は何も覚えていないんですね」

「はい、そうです」

彼女はしばらく黙ったまま、目を閉じた。


混乱はある。だが、取り乱してはいない。

やがて、小さく息を吐く。

「……怖いですね。でも」

目を開ける。

「今は、もうないんですよね?」

「ないですよ」

俺は迷わず答える。

「完全に断ち切りました」

その言葉を聞いた瞬間、彼女の表情に、初めて安堵がはっきりと浮かんだ。


しばらくの沈黙のあと、サラサはゆっくりと顔を上げた。廊下の窓から差し込む光が、彼女の横顔を柔らかく照らしている。

「……それを、治してくれたのは」

視線が、まっすぐに俺へ向いた。

「誰なんですか?」

逃げ道のない問いだった。感謝と、少しの緊張が混じっている。

俺は小さく息を吐く。

「特別な術式を使える者だけです」

「特別な……」

「癒し魔術では届かない領域でした。普通の術では、魔物化は解けません」

淡々と事実だけを置く。誇張も謙遜もしない。


サラサはわずかに身を乗り出した。

「すごい人、なんですね」

その瞳には純粋な尊敬があった。自分を救った相手に対する、素直な感情だ。

俺は苦笑する。

「……どうでしょうね」

はぐらかすと、サラサは少し考え、それからふっと笑った。

「でも、その人がいなかったら、私は今も夜だけ……」

言葉を途中で止める。夜という単語の重さを、ようやく実感したのだろう。


それでも彼女は続けた。

「お礼を言いたいです」

その声は、真剣だった。

俺は一拍置いてから言う。

「じゃあ、その代わりに」

「代わり?」

「僕と友達になってください」

唐突に聞こえたかもしれない。だが、冗談ではない。

サラサは目を瞬かせ、それから静かに笑った。

「命の恩人に、ですか?」

「恩人は関係ないですよ。ただの提案です」

一瞬の沈黙。

だが彼女は迷わなかった。

「……嬉しいです」

柔らかく、まっすぐな声。

「私、もう友達以上に思ってました」

少しだけ頬が赤くなる。

「だめですか?」

「だめじゃありません」

自然と笑みが浮かぶ。

「じゃあ、握手をしましょう」

俺は手を差し出した。

サラサは一瞬ためらい、それから両手で包むようにその手を握る。

温かい。夜に感じた冷たい圧も、濁った層も、何もない。


そのまま、ごくわずかに魔力を流す。確認のための、ほんの薄い干渉だ。

表層は安定している。中層にも歪みはない。最深部まで静かで、異物の痕跡は皆無。

完全に、彼女自身の魔力だけだ。

サラサの瞳が、かすかに見開かれる。

「……あ」

気づいたらしい。

俺は肩を竦める。

「困っている人を見ると、放っておけない性格なんですよ」

彼女は、じっと俺を見つめる。

「ルーメンさんが……」

「“さん”はいらないです」

言い直す。

「友達だからね」

サラサは一瞬戸惑い、それから小さく笑った。

「……ルーメン」

呼び捨てはまだ少しぎこちない。

「ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

握った手に、ほんの少しだけ力が込められる。

「こちらこそ、よろしくな。サラサ」

ゆっくりと手を離す。

魔力は静かだ。揺らぎはない。

廊下を渡る風が、二人の間を通り過ぎる。

夜の異常は、もうどこにも残っていない。

残ったのは、新しい関係と、穏やかな昼の光だけだった。


医務室へ戻り、教師に許可を取り、土魔術の囲いを解いた。ラティス、ノエル、ディラドの三人はそれぞれ静かに身を起こした。昨夜まで部屋を覆っていた重苦しい緊張は消え、窓から差し込む昼の光が、白い寝台を柔らかく照らしている。


ラティスは窓際に立ち、外の中庭をじっと見つめていた。ノエルは自分の両手を開いたり閉じたりしながら、感覚を確かめるように指先を見つめている。ディラドは椅子に腰掛け、深く息を吐き出したところだった。


「どうだ?」

俺が声をかけると、三人は同時に振り向いた。その視線に、あの怯えはない。夜に見せていた凍りつくような恐怖は、もう残っていなかった。

「……重い感覚が無くなった」

ラティスが、確かめるように言う。

「ちゃんと自分の思い通りに動かせる、何かから解放されたみたいだ」


ノエルも頷いた。

「頭も重くない。昨日まで、ずっと何かまとわりついてる感じがあったけど……それがない」

ディラドは照れくさそうに肩をすくめる。

「まだ信じきれてないけどな。でも、身体は普通だ。変な力も入らないし、震えもない」


俺は三人の魔力を改めて感じ取る。波長は安定している。濁りはなく、侵食の痕跡もない。昨夜まで微かに残っていた違和感も、完全に消えている。

連鎖は、終わっている。


「もう夜に悪化することもない」

静かに告げると、三人は顔を見合わせた。

「本当に……終わったのか?」

ラティスの問いは疑いではなく、確認だった。

「ああ。原因は排除された」

それ以上は語らない。それで十分だったらしい。ノエルが肩の力を抜き、ディラドが天井を見上げて深く息を吐く。

「俺、正直……もう戻れないかと思ってた」

その言葉に、医務室の空気がわずかに揺れた。


サラサは少し離れた場所で、三人の様子を静かに見守っている。その表情に浮かんでいるのは罪悪感ではない。ほっとしたような、柔らかな安堵だった。


窓の外で、学院の鐘が鳴る。規則正しい音が廊下を伝い、日常の時間を刻む。

「……授業、間に合うな」

ディラドが苦笑する。

ラティスが肩を回しながら言う。

「さぼる理由、なくなったな」

ノエルも小さく笑った。

医務室の空気が、ようやく自然な温度を取り戻す。特別な儀式も、劇的な歓声もない。ただ、普通の朝がそこにある。

それが何よりの証だった。

四人は、それぞれの足で、日常へ戻っていく準備を始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。