学院2年サラサ編 第八十一章 サラサの挙動⓻ 分析結果と対抗手段
研究室の空気は静まり返っていた。小瓶の中の欠片は揺らぎを保ったまま、消えもせず、広がりもせず、ただそこにある。
俺はゆっくりと口を開いた。
「夜中に、内部で何かが主導権を握っている可能性があります」
リリィは視線を上げる。
「乗っ取り、ということですか?」
「完全ではありません。昼間は正常です。記憶も連続しています。ですが、夜の行動だけが空白になっています」
靴の位置。外出着。虚ろな歩行。接触による視界喪失。
すべてが、夜に集中している。
「内部の核が活動している時間帯があります」
俺は続ける。
「そしてその活動状態のとき、周囲へ干渉しています」
触れただけで視界を奪う現象。あれは偶発ではない。魔力の流れが外へ広がっていた。
「視界を奪われた人々の魔力には、残滓がありました」
リリィが静かに言う。
「同質の揺らぎでした」
俺は頷く。
昼間に確認した核と、小瓶の欠片。性質は一致している。
「視界喪失は、魔霧の局所発生によるものと考えるのが自然です」
だがそれを、サラサ自身が意図しているわけではない。
「本人の自覚はない」
俺は言う。
「昼のサラサは、何も知らない」
沈黙が落ちる。
やがてリリィが、慎重に問いかけた。
「……三人の件と、繋がっている可能性は?」
俺はすぐには答えなかった。
三人は夜を恐れている。
「また」「夜なのに」と口にした。
そしてサラサを見た瞬間、言葉を止めた。
「可能性は、あります」
断定はしない。
だが、三人が恐怖を向けた相手と、夜に視界を奪う存在が同一であるなら……偶然とは言い難い。
「三人の魔物化が始まった時期と、サラサさんの異変の時期も近いです」
リリィが整理する。
俺は息を吐く。
「源が同一である可能性は否定できません」
それは、重い仮説だった。
サラサ自身が、意図せず発症源になっている可能性。
だが、まだ決めつけない。
証拠は揃っていない。活動条件も限定的だ。完全な魔物化とも断定できない。
「確かなのは」
俺は静かに言う。
「夜に、何かが起きているということだけです」
昼の彼女は、笑う。
夜の彼女は、視界を奪う。
その差がある以上、放置はできない。
リリィは小さく頷いた。
「なら、方法は一つですね」
方向は、見え始めていた。
しばらく沈黙が続いたあと、リリィが静かに口を開いた。
「昼間に調律は……できないですよね?」
俺は否定した。
「昼間にサラサの魔力を確認した時に、同時に調律を施しました」
「結果は、どうだったのですか?」
「調律は内部の核までは届きませんでした。核は眠ったままでした。膜も揺らがなかったです」
「昼間の眠っている核には調律は届かなかったということですね」
昼の状態では、深部は閉じている。魔力は正常に流れているが、あの異質な核は活動していない。眠っている以上、外からの干渉が届かない。
「つまり、活動している状態でなければ触れられないということです」
リリィの言葉は冷静だった。
「夜ですか?」
「おそらく」
俺は整理するように続ける。
「夜になると、外出の痕跡が残る。視界喪失も深夜に集中している。内部の核が表に出ている時間帯があるということですね」
「はい、そういうことですね」
眠っている状態ではなく、魔力が揺らぎ、周囲へ干渉している状態。そのときなら、膜は開いている可能性がある。
「その瞬間に、調律をかけるしかありません」
リリィははっきりと言った。
昼に整えても意味がない。活動中でなければ届かない。
理屈は単純だ。
だが、問題は別にある。
「乗っ取られている状態で、内部へ干渉することになります」
俺は静かに言う。
「失敗すれば、核を刺激するかもしれません」
膜が強化される可能性もある。逆に完全に主導権を奪われる危険もある。
「危険です」
リリィは否定しない。
「ですが、放置すれば被害は広がります。視界喪失だけで済む保証はありません」
その通りだ。今は視界だけ。
だが干渉が強まれば、他の感覚にも及ぶ可能性がある。
俺は小瓶の欠片を見つめた。
揺らぎは弱い。だが確実に人へ作用している。
「夜中に、内部が活動している状態で、直接調律する」
言葉にすると、現実味が増す。
昼では届かない。夜にしか触れられない。
「条件は明確です」
リリィが言う。
「活動中であること。完全に暴走する前であること。そして……あなたが干渉できる距離にいること」
俺はゆっくり息を吐いた。
方法は見えた。だが、その方法が安全でないことも、同じくらいはっきりしていた。
「夜中に、活動している状態で調律をかける……」
俺がゆっくり言葉にすると、リリィは静かに頷いた。
「そのとき、サラサの主導権がどちらにあるかが問題になります」
昼の彼女は正常だった。だが夜は違う。虚ろな目、強まる魔物の魔力、接触だけで視界を奪う干渉。
あれは“眠っている核”ではない。
確実に活動している状態だ。
「乗っ取られている可能性があります」
リリィは淡々と続ける。
「その状態で内部へ干渉すれば、核は防御に回るかもしれません」
俺は想像する。
膜が閉じるどころか、強化される可能性。
干渉を拒絶するどころか、逆流してくる可能性。
「最悪の場合……」
リリィが一瞬言葉を止める。
「完全に魔物化する危険があります」
静かな言葉だった。だが重さは十分だった。
今はまだ、昼間は抑えられている。夜にだけ発現している。
それが完全に主導権を奪えば、昼も夜も関係なくなるかもしれない。
「刺激する形になりますね」
俺は小さく呟く。
「眠っているものを、強制的に引きずり出すことになる」
「はい」
リリィは否定しない。
「ですが、放置すれば被害は増えます。視界だけで済んでいるのは、今の段階だからです」
酒場通りでの発症は、接触が条件だった。
だが干渉が強まれば、距離は関係なくなるかもしれない。
「時間は味方ではありません」
リリィの声は落ち着いているが、その目は鋭い。
「今は弱い。だからこそ、今のうちに止めるべきです」
俺は拳を握る。危険なのは理解している。だが安全な選択肢は、もう残っていない。
「夜にしか触れられない」
俺ははっきりと言う。
「活動中でなければ、届かない。なら、その瞬間にやるしかない」
リリィはゆっくりと息を吐いた。
「成功すれば、核に直接干渉できます」
「失敗すれば?」
「……後戻りできないかもしれません」
研究室に重い沈黙が落ちた。
それでも、選択は一つだ。危険であることと、やらない理由は別だ。
長い沈黙のあと、俺はゆっくりと顔を上げた。
危険は理解した。失敗すれば取り返しがつかない可能性もある。
それでも……放置するという選択肢は、最初からなかった。
「リリィ」
俺は静かに呼ぶ。
彼女はまっすぐにこちらを見る。逃げも迷いもない視線だ。
「夜に、やります」
声は思ったよりも落ち着いていた。
「活動している状態で、核に直接干渉します」
リリィはすぐには答えなかった。数秒、俺の表情を確かめるように見つめ、それから小さく頷く。
「危険です」
「わかっています」
「失敗すれば、完全に魔物側へ傾くかもしれません」
「それでも」
言葉を遮るように、俺は続ける。
「今止めなければ、被害は広がります。サラサも、三人も、これ以上巻き込ませたくありません」
サラサは昼間、何も知らない顔で笑っていた。
三人は怯えていた。
あの差を、このままにしておくことはできない。
「……救いましょう」
リリィが静かに言う。
その声は、研究者ではなく、一人の人間としてのものだった。
「サラサを」
俺は強く頷く。
「はい。必ず」
方法は決まった。危険も理解した。あとは、実行するだけだ。
研究室の空気は張り詰めている。だが迷いはない。
夜が来る。その夜に、決着をつける。




