学院2年サラサ編 第八十一章 サラサの挙動⑥ 昼と夜のサラサの分析
学院を出たあと、俺はそのままリリィの研究室へ戻った。扉を開けると、室内にはいつもより強い魔術灯の光が灯っている。机の上には解析用の器具が並び、小瓶が中央に置かれていた。昨夜、酒場通りでリリィが採取した、あの光る欠片だ。
リリィは顔を上げると、すぐに言った。
「ルーメン、解析が終わりました」
その声音は落ち着いているが、内側に緊張がある。
「結果は?」
俺が尋ねると、リリィは小瓶を指先で示した。
「この欠片は、通常の魔物の残滓ではありません。霧状の干渉魔力が凝縮したものです」
「霧状……」
「はい。しかも、視覚に干渉する特性を持っています」
昨夜、触れただけで視界を奪われた現象と一致する。
リリィは続ける。
「さらに解析を進めたところ、魔力構造に既知の特徴がありました。弱体化していますが、構造自体は明確です」
一拍置いて、はっきりと告げる。
「ミスティムーアです」
その名が室内に落ちる。
ミスティムーア。視界を奪う魔霧を発生させる魔物。通常は広範囲に霧を展開する性質を持つ。
「力は弱いです。完全体ではありません。ですが、この欠片は、局所的に魔霧を発生させる性質を持っています」
「局所的に……」
「接触範囲、もしくはごく限定された空間で霧を発生させていると考えられます」
昨夜の現象と符合する。触れた瞬間に視界が奪われた。広範囲ではない。接触に近い範囲で起きていた。
リリィは小瓶を静かに置く。
「つまり、あの場で発生していたのは、自然現象でも流行病でもありません。魔物由来の魔霧です」
断定は避けない。解析結果としての事実だ。
室内に沈黙が落ちる。
酒場通りで発生した視界喪失。
サラサの周囲で強まっていた魔力。
そして、採取された欠片が示した名。
点が、静かに並び始めていた。
リリィの示した小瓶の中で、淡く揺れる欠片を見つめながら、俺は医務室で触れた感触を思い返していた。
サラサの魔力は、表層では完全に安定していた。流れは滑らかで、乱れもなく、暴走の兆候もない。だが、その奥……最深部に、眠るように存在していた核。厚い膜に覆われ、外からの干渉を受け付けない異質な塊。
「……リリィ」
俺は静かに口を開いた。
「この欠片の構造、中心部はどうなっていますか」
リリィはすぐに理解したように、小瓶の下へ薄い魔力板を差し入れる。欠片の内部構造が、淡い光の線として浮かび上がった。
「核を持っています。ですが、活動状態ではありません。眠っているような構造です」
その言葉で、俺の背筋がわずかに冷える。
眠っている。
医務室で感じたものも、同じだった。強い活動ではない。暴走でもない。ただ、そこにある。起きていないだけで、確実に存在している。
「膜の厚さは?」
「通常の霧型魔物より強い遮断構造です。外部干渉を拒む性質があります」
俺は目を閉じ、あのときの手応えを思い出す。魔力を通そうとした瞬間、柔らかく弾かれた感覚。拒絶ではなく、通さないだけの壁。
一致している。
「……昼にサラサの魔力を見た最深部にあった核と同質です」
俺の言葉に、リリィはわずかに息を止めた。
「サラサさんの魔力の奥にあった核とですか」
「はい。構造が似ています。厚い膜に覆われた、眠った核」
研究室の空気が張り詰める。
昼のサラサは正常だった。魔力も安定していた。異常な揺らぎもなかった。だが、内部には存在していた。
そして昨夜、酒場通りでは魔霧が発生していた。
「昼は安定しているのに、夜にだけ発現する……」
俺は呟く。
それが最大の矛盾だった。常時暴走しているなら説明は簡単だ。だが現実は違う。昼は正常。夜にだけ異常が出る。
リリィは静かに頷く。
「活動条件が限定されている可能性があります」
推測ではあるが、飛躍はない。
欠片の構造と、内部核の構造は一致している。だが、それが即断の材料になるわけではない。まだ断定はできない。
俺はもう一度、小瓶を見る。
淡く揺れる霧の欠片。
医務室で触れた、眠る核。
二つは、確かに似ている。
だが、まだ決定打はない。
研究室の灯りの下、小瓶の中の欠片は静かに揺れている。その揺らぎは弱い。
暴れているわけでも、拡散しているわけでもない。ただ、そこに在る。
「昼間は、安定していました」
俺はゆっくりと言葉を選んだ。
「医務室で確認したとき、サラサの魔力は正常でした。流れも均一で、暴走もありませんでした」
「ええ」
リリィも同意する。
「内部に核はありましたが、活動状態ではありませんでしたね」
眠っている、という表現が最も近い。
俺は机に手をつき、視線を落とす。
「夜は、明らかに違いました。魔力が帯びていた。接触で視界を奪うほどに」
「発現条件がある、ということですね」
リリィの声は冷静だ。
「常時ではない。限定的に活動する」
昼は抑え込まれている。
では、何が夜に変わるのか。
「……人の魔力は、精神状態に影響されます」
リリィは口にする。
「不安や後悔、自己否定が強まれば、揺らぎは増幅されます」
サラサは責任を背負い込む性格だ。三人の件で、自分を責め続けている。昼も笑ってはいるが、内側に疲労が溜まっているのは確かだ。
「夜は思考が深くなります」
リリィが続ける。
「静かな時間ほど、人は自分を責めやすい。感情の揺らぎは大きくなります」
俺は小さく頷く。
昼は活動している。人と話し、動き、意識は外へ向いている。
夜は違う。静まり返った時間の中で、内側に沈む。
「抑え込んでいるものが、弱まる」
俺の言葉に、リリィはすぐには返さなかった。
「可能性としてはあります」
断定はしない。
核は眠っている。だが、眠りが浅くなれば活動するかもしれない。
「昼はサラサ自身の魔力で押さえ込んでいると思われます」
リリィが静かに言う。
「夜に、精神の揺らぎを足場にして発現している可能性があります」
推測の域は出ない。だが、整合性はある。
俺は再び小瓶を見る。欠片は、いまも静かだ。
昼のサラサも、静かだった。夜だけが異常だ。
それは偶然ではない。
だが……まだ確証はない。




