学院2年サラサ編 第八十一章 サラサの挙動④ サラサと3人の挙動
サラサは静かな足取りで三人の寝台へ歩み寄った。昼のサラサそのものの姿だった。背筋は伸び、歩幅も一定で、視線もしっかりと定まっている。
昨夜、酒場通りで見た虚ろな歩き方とはまるで違う。魔力の流れも乱れてはいない。少なくとも表層では、何の異常も感じられなかった。
「……ラティス、ノエル、ディラド。少しは楽になりましたか?」
その声は柔らかく、心配の色が滲んでいる。責任を感じ続けている彼女らしい声音だった。
三人は調律直後で、まだ完全に意識がはっきりしているわけではない。
だがサラサの声が届いた瞬間、空気がわずかに変わった。最初に反応したのはラティスだった。彼の肩が小さく震え、ゆっくりと顔を上げる。そしてサラサを視界に入れた瞬間、その瞳の奥に明確な恐怖が走った。
喉の奥で息が詰まる音がする。
ノエルとディラドもほぼ同時に顔を上げ、そして三人そろって寝台の上で後ずさった。布団が擦れる音が、やけに大きく医務室に響く。
「……どうしたの?」
サラサが小さく首を傾げる。その仕草に作為はない。純粋な困惑だ。だが三人の反応は明らかだった。
ラティスの喉がひくりと鳴る。
「こいつが……」
言葉が途中で途切れる。ノエルは震える指をわずかに持ち上げ、サラサを指しそうになって止めた。
「また……」
ディラドは顔色を失い、シーツを強く握りしめている。
「夜なのに……」
かすれた声が零れ落ちる。その一言で、医務室の空気が凍りついた。
夜。今は昼だ。窓からは陽光が差し込み、廊下からは学院生の足音が聞こえている。どう見ても夜ではない。それでもラティスは「夜なのに」と言った。
「やめ……」
最後まで言葉は続かなかった。サラサが三人をまっすぐ見ただけで、三人は同時に口を閉ざした。何もしていない。魔力の干渉も感じない。ただ視線を向けただけだ。それなのに、まるで喉を押さえつけられたかのように言葉が止まる。
ノエルの唇が震え、ディラドは視線を逸らして膝を抱え込む。ラティスは歯を食いしばっている。その表情は怒りでも悔しさでもない。明確な怯えだった。
「……え?」
サラサの声がわずかに揺れる。
「どうしたの? 私、何か……」
自分が恐れられていることを理解しきれていない顔だった。彼女は一歩近づこうとする。その瞬間、三人はさらに後退し、背中が寝台の端にぶつかる。
「来るな……」
ラティスが低く呟く。その声には戦意も反発もない。ただ純粋な恐怖だけがある。ノエルは必死に視線を逸らし、ディラドは小さく首を振り続けている。まるで“見てはいけないもの”を見るのを拒むかのように。
俺はその光景を黙って見ていた。昼のサラサは正常だ。魔力も乱れていない。異質な気配も感じない。
それでも三人は、彼女を“夜の存在”として見ている。
「……三人とも、落ち着いて」
静かに声をかけると、ラティスが俺を見た。その目は助けを求めている。だが次の瞬間、サラサが再び視線を向けると、彼は口を閉ざした。何かを言いかけ、言えない。恐怖が言葉を縛っている。
医務室に重い沈黙が落ちる。
サラサはゆっくりと手を下ろした。
「……私、怖がられてる?」
声が震えている。その震えは本物だ。少なくとも今の彼女には、昨夜の記憶はないのだろう。
三人の呼吸は荒い。視線は合わせず、身体は強張ったまま。まるで目の前にいるのが、同じ姿をした“別の何か”であるかのようだった。
そしてラティスが、もう一度だけかすれた声を漏らす。
「……また……来る……」
だがそれ以上は続かなかった。サラサが彼を見つめると、彼は再び沈黙する。
昼の光は変わらず差し込んでいる。それでも三人の目には、確かに“夜”が映っていた。俺の背中を冷たいものが走る。
昼の彼女は正常だ。それは確かだ。
それでも、三人の怯えは偽りではなかった。
三人の怯えが収まるまで、医務室には重たい沈黙が続いた。
サラサは困惑したまま、三人を見つめている。自分が拒絶されている理由が分からない、という顔だった。昼の彼女に不自然さはない。魔力も安定しているし、先ほど確認した限りでは、異質な揺らぎも感じられなかった。
「……ごめんなさい。私、何かしてしまいましたか?」
小さな声でそう言う。責任を背負い込みやすい彼女らしい反応だった。
三人は答えない。ただ視線を逸らし、距離を取る。その様子は明らかに過剰だ。単なる気まずさや負い目ではない。夜の何かを思い出しかけて、思い出すことを拒んでいるようにも見える。
俺は三人とサラサの間に、ほんのわずかに身体をずらした。
「……三人とも、まだ調律直後です。情緒も安定していません。無理に話さなくていい」
ラティスが歯を食いしばったまま、こちらを見る。言いたいことがあるのは分かる。だが言葉にできない。その状態自体が異常だ。
昼のサラサは正常だ。
三人は彼女を見て“夜”と言った。
この二つが同時に成立している。
だが、ここで結論を出すのは早い。
三人は魔物化と魔力暴走を繰り返している。その影響で記憶や感情が歪んでいる可能性もある。夜の恐怖が形を持たず、目の前の存在に投影されているだけかもしれない。
「……少し休ませましょう」
俺は静かに言った。
サラサは唇を噛み、小さく頷いた。
「はい……」
その声は弱いが、作為はない。昼のサラサは間違いなく“サラサ”だ。魔物のような魔力も感じない。夜の酒場通りで見た異質な揺らぎとは、明確に違う。
俺は心の中で整理する。
三人の反応は異常。
サラサの昼の状態は正常。
どちらも事実だ。
「……魔物化の影響、かもしれない」
小さく、内心で呟く。三人が夜の記憶を混同している可能性。恐怖の残滓が、昼の彼女に重なって見えている可能性。
今は、それ以上踏み込まない。
確証はない。決めつけない。
違和感はある。だがまだ“疑い”の段階だ。
俺はその違和感を、胸の奥に保留した。




