学院2年サラサ編 第七十八章 サラサパーティー3人の異常④ 大聖堂での治療
ラティスの怪力、ノエルの毒糸、ディラドの毒爪。
三方向から暴れ回る三人を前に、医務室はすでに半壊状態だった。割れた窓から夜風が吹き込み、床には破片と糸と血が散っている。
「これ以上は持たない、囲うぞ!」
魔術教師の号令が響く。
剣術教師たちが前衛に立ち、三人の注意を引きつける。その間に、後方の魔術教師が土魔術の詠唱を重ねた。
床が震える。
医務室の中央、三人を囲むように、分厚い土壁がせり上がる。半円状の壁が次々と接続し、あっという間に強靭な囲いが完成した。
「閉じろ!」
最後の一節とともに、天井まで届く土壁が完全に密閉される。
内部から、激しい衝撃音が響いた。
ドン、ガン、と鈍い音が連続する。ラティスが内側から壁を叩きつけているのだろう。ノエルの毒糸が擦れる音、ディラドの爪が石を引っ掻く音も混ざる。
だが土魔術で構築された囲いは、簡単には崩れない。魔術師教師が複数で維持し、厚みと強度を増している。
「全員無事か!?」
「軽傷が数名、毒を受けた者はすぐ治療に回せ!」
医務室の外では、すでに応急処置が始まっていた。
囲いの中では、なおも暴れる気配がある。
「癒し魔術をかける。壁越しに通すぞ」
癒し属性の教師が前に出る。囲いに触れ、魔力を流し込む。
癒しの光が、土壁を通して内部へと広がる。
通常であれば、身体の乱れは、ある程度鎮静化するはずだった。少なくとも、理性を取り戻す兆しは見える。
しかし……。内部の衝撃音は、止まらない。むしろ、さらに荒々しくなる。
「……効いていない?」
教師の声が、わずかに震えた。
もう一人の癒し魔術師が加わる。二重に癒しの光が流れ込む。
それでも、変化はない。
ラティスの怒号、ノエルの低い唸り声、ディラドの掠れた叫びが、土壁越しに伝わる。
「なぜだ……」
誰かが呟いた。
彼らは森で瀕死の状態だった。リザレクションヒーリングが施され、命は救われている。その時点では、魔力も安定していたと判断されていた。
だからこそ、大聖堂へ直送せず、学院で経過観察という判断になったのだ。
だが今、目の前で起きているのは、明らかに“普通ではない”。
「夜通し監視だ。交代で魔力を維持する」
魔術師教師の一人が決断を下す。
囲いの強度を保つため、複数人が詠唱を継続する。剣術教師は外周を固め、万が一の突破に備える。
医務室は封鎖された。
学院内には緊急通達が出され、生徒は寮へ待機。廊下は静まり返る。
囲いの中から、断続的に衝撃音が響く。
その音を聞きながら、教師たちは言葉を失っていた。
癒し魔術が効かない。
それは、これまでの常識から外れている。
「……朝になったら、大聖堂へ」
誰かが、低く言った。
異常は明らかだ。
このまま学院内で対処できる事態ではない。夜は長い。
土壁の向こうで暴れる三人の影を思い浮かべながら、教師たちは一睡もせず、監視を続けることになった。
夜明け前の学院は、異様な静けさに包まれていた。
本来ならば、朝の鐘が鳴る前の時間はもっと穏やかだ。だがこの日ばかりは違った。医務室の周囲には教師陣が交代で立ち、緊張した空気が漂っている。
土魔術で築かれた強靭な囲いは、まだそのまま維持されていた。内部からの衝撃音は夜半を過ぎる頃には弱まったが、完全に止んだわけではない。時折、低い唸り声のような音が響く。
「朝を待って、イレンティア大聖堂へ搬送する」
最終的な判断は、夜明けとともに下された。
もはや学院内で様子を見る段階ではない。聖位の癒し魔術が効かず、理性も戻らない。原因不明のまま拘束を続けることは危険だと判断された。
囲いを解くのではなく、囲いごと運ぶ。
魔術師教師が複数で土壁の強度を維持し、移動可能な構造へと再構築する。床ごと切り離された囲いは、厚い箱のような形状に整えられた。
中では、なお三人が不規則に動いている気配がある。
「サラサも同行させる」
その決定が告げられたとき、周囲の教師が一瞬顔を見合わせた。
「彼女には現時点で異常はない。しかし、同じ状況下にいた。念のため確認が必要だ」
サラサは医務室の外で、夜通し待機していた。目の下にはうっすらと疲労の影があるが、姿勢は崩れていない。
「私も……行くのですね」
静かに問いかける。
「はい。念のためです。あなたに異常がないことを正式に確認しておきたい」
サラサは小さく頷いた。
「分かりました」
その声に、動揺はない。だが胸の奥に残る重さまでは消えていないことが、表情の端に滲んでいた。
やがて囲いが浮き上がる。
土魔術によって下部が滑らかに整えられ、複数の教師が魔力で支えながら慎重に運び出す。囲いの内部からは、時折鈍い衝撃が伝わるが、破られる気配はない。
学院の門前には、早朝にもかかわらず簡易の馬車が用意されていた。囲いごと積み込めるよう、荷台が広く確保されている。
サラサはその後ろに続く。
視線は囲いへ向けられたままだ。
中にいるのは、昨夜まで言葉を交わしていた仲間だ。
森の中で共に戦い、恐怖を分かち合った三人。その三人が今、理性を失い、土壁の中で暴れている。
「……私だけ、何もない」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
朝日が昇り始める。
イレンティア大聖堂へ向かう馬車が、学院を出発した。
土の囲いに閉じ込められた三人と、静かに歩くサラサを乗せて。
イレンティア大聖堂に到着したのは、朝の光が完全に差し込む頃だった。
石造りの正門が開かれ、囲いごと運び込まれる土の箱を、神官たちが緊張した面持ちで迎える。
事前に学院からの急報は届いていたが、実際にその光景を目にすると、ただ事ではないと誰もが理解した。
「中にいるのが、異常を起こしている生徒たちですね」
先頭に立つ神官が静かに確認する。
「はい。聖位の癒し魔術は学院で既に施しましたが、効果は見られませんでした」
教師の報告に、神官は頷く。
「まずは私どもで改めて確認いたします」
囲いは大聖堂内の広間へと移された。周囲には結界が張られ、万が一破壊されても被害が広がらないよう二重三重の備えが施される。
土壁の一部が最小限だけ開かれ、神官が順に中へと手を差し入れる。
「リジェレネイトヒーリング」
厳かな声が響き、淡い光が囲いの内部を満たす。癒しの波動は三人を包み込むが、すぐに異様な揺らぎに飲み込まれ、弾かれるように散っていった。
「……反応が強い」
神官の眉がわずかに寄る。
「もう一度」
続けて、別の神官が癒しの魔術を重ねる。今度は聖水が用意され、清めの水が内部へと降り注ぐ。
光と水が重なり、空気が澄んだ香りを帯びる。
だが……。囲いの内側で、ラティスが低く唸り、土壁を叩いた。ノエルの吐き出す糸が壁に絡みつき、ディラドの爪が内側を削る音が響く。
癒しの光は、まるで吸い込まれるかのように消えていく。
「……効果が見られません」
神官の声は冷静だが、その奥に困惑が滲んでいる。
「体内浄化を行います」
聖水がさらに注がれる。体内から異物を排出するための清めの儀式だ。三人の身体に触れ、流れ込む清浄な魔力。
だが変化はない。
暴れ続ける動きは弱まらず、理性の気配も戻らない。
一方、サラサは別室で同様の処置を受けていた。
「失礼いたします」
神官が丁寧に告げ、聖位の癒し魔術を施す。柔らかな光が彼女を包み、聖水が額に触れる。
サラサは静かに目を閉じ、処置を受け入れる。
数分後、神官は小さく頷いた。
「異常は認められません」
その言葉に、教師陣はほっと息を吐く。しかしその安堵は、囲いの中の三人には及ばない。
再び広間へ戻った神官が報告する。
「こちらは異常なしです。しかし、三名は……」
言葉を濁す。
「聖位の癒し魔術、聖水による浄化、いずれも効果が確認できません」
広間に沈黙が落ちる。
学院で効かなかった治癒が、ここでも通じない。聖位の力が届かないという事実は、異常の深刻さを物語っていた。
囲いの中で、再び鈍い衝撃音が響く。
神官たちは顔を見合わせる。
「大神官様にお伝えします」
そう告げ、ひとりが奥へと駆けていった。
広間には、重苦しい空気だけが残った。
聖位の癒しが通じない。
広間の奥から、ゆっくりと足音が近づいてくる。
ざわめきは自然と止まり、神官たちが一斉に頭を垂れた。
姿を現したのは、イレンティア大聖堂の大神官だった。白銀の法衣は静かな威厳をまとい、その眼差しは揺るがない。
「聖位が効かぬ、と」
低く、しかしはっきりとした声が広間に響く。
「はい。複数名で重ねましたが、いずれも反応はありません」
大神官は囲いの前まで歩み寄り、土壁の向こうで暴れる気配に目を細めた。
「……理性の気配が薄い」
その一言で、場の空気がさらに引き締まる。
「開けよ。ただし、最小限でよい」
土魔術で作られた囲いの一部が、慎重に開かれる。結界は強化され、万が一に備えて複数の神官が構える。
大神官は一歩踏み出した。
「リザレクションヒーリング」
詠唱は短いが、その場の空気が一変する。聖位とは比べものにならないほど濃密な神聖魔力が、空間を満たした。光は眩いほどに強く、それでいて静謐だ。
光は囲いの内側へと流れ込み、三人の身体を包み込む。
ラティスの唸り声が一瞬止まる。ノエルの動きもわずかに鈍る。ディラドの爪が震える。
だが……。次の瞬間、三人は再び激しく暴れ出した。
土壁を叩く音が響き、毒糸が宙に散る。神位の光は確かに触れている。それでも、理性は戻らない。
大神官の眉がわずかに動く。
「聖水を」
指示に従い、神官たちが聖水を持ち寄る。
大神官は天へと手を掲げた。
「聖水の雨」
透明な雫が空間に広がり、まるで雨のように囲いの内側へと降り注ぐ。神位の魔力と聖水が重なり合い、清浄な気配が場を満たす。
それでも、変化はなかった。
ラティスはなおも土壁を殴り続け、ノエルは糸を吐き、ディラドは獣のように唸る。
沈黙が落ちる。
神位の癒しが、効かない。
大神官は静かに囲いを見つめたまま、低く呟いた。
「……神位の癒し魔術も効かぬとは」
周囲の神官たちの表情が強張る。
「このような現象は、見たことがない」
声に、僅かながらも緊張が滲む。
「言葉を解さぬ。理性を失い、誰彼構わず暴力を振るう。止めようとしても止まらぬ」
大神官はゆっくりと振り返った。
「まるで――魔物のようだ」
その言葉は重く、広間に沈んだ。
しかし、誰も即座に肯定はしない。三人は人間だ。学院の生徒であり、昨日まで普通に会話していた若者たちだ。
大神官は決断する。
「学院の緊急事態である。神位が効かぬ以上、別の可能性を探るしかない」
そして、はっきりと告げた。
「学院から、ルーメンを呼べ」
その名が広間に響く。
神官たちは一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐに動き出した。伝令が駆け出し、学院へ向かう。
大神官は再び囲いを見つめる。
「この異常、必ず解く」
低く、確信を込めた声だった。




