学院2年サラサ編 第七十七章 魔物討伐訓練⓻ 霧の発生源
霧は、明らかに一点へと流れていた。
ただ濃いだけではない。空気そのものが、そこに引き寄せられているような違和感がある。
俺は足を止め、魔力の流れを感じ取る。
周囲に残る群れの気配とは質が違う。細く、粘つくような魔力。
霧が、そこから生まれている。
小さくウインドスラストを放つ。
霧が一瞬だけ裂け、視界が開く。
何かが動いた。
低い位置だ。地面すれすれを、素早く走る影。
すぐにウインドカッターを放つが、切り裂いたのは霧だけだった。
逃げ足が速い。
再び霧が濃くなる。
魔物の群れもまだ残っている。オークのうなり声、羽音、足音。完全に静まったわけではない。
一気に吹き飛ばすことはできる。
だがそれでは、生徒の位置を見失う可能性がある。
俺は範囲を絞る。
霧が最も濃い一点に向けて、円を描くようにウインドストームを展開する。外へ逃げる風ではなく、内側に閉じる風。
霧が乱れる。
その中心で、何かが暴れた。
白い靄の中から、小さな影が弾き出される。
虫のように小さい。羽があり、身体から薄い煙のようなものを噴き出している。
それが霧を生んでいる。
視認した瞬間、影は跳ねるように後退し、再び霧を厚くする。
隠れるつもりか。ならば、逃げ道を消す。
俺は風の壁を一段厚くする。包囲を狭める。じわじわと半径を縮める。
魔物は焦ったように飛び回り、霧を噴き出すが、風の壁にぶつかり弾かれる。
外へ出られない。
今度は、雷。
範囲を最小に絞り、中心一点へ落とす。
サンダーストーム。
閃光が閉じた空間を貫く。
小さな影が痙攣し、地面に叩き落とされた。
焦げた匂いが漂う。霧の流れが、止まる。
完全ではないが、明らかに濃度が落ちる。
視界が数歩先まで開く。発生源は、倒れている。小さな身体は動かない。
だが、まだ群れは残っている。
霧に頼っていた魔物たちが混乱し、方向を見失っている。
俺は周囲を見渡し、残る気配へと意識を向けた。
霧は弱まりつつある。
だが戦闘は、まだ終わっていない。
霧の発生源と思われる小さな魔物を仕留めたことで、包囲していた濃霧は確かに薄まり始めていた。だが、それで終わりではない。霧に紛れて集まっていた魔物の群れは、まだ周囲に残っている。
視界が開けたことで、逆に位置が明確になる。左右から迫るゴブリンの小隊、距離を取って様子を窺うオーク、上空を旋回するキラービー。混乱はしているが、消えたわけではない。
俺は足を止めなかった。
地面に意識を落とし、ストーンランチャーを発動する。盛り上がった土塊が一直線に飛び、最前列のオークを貫く。続けて角度を変え、二体目。三体目。倒れた身体が地面に転がる。
横から飛び込んできたゴブリンに対しては、ウインドカッターを低く走らせる。刃は正確に脚を断ち、動きを奪う。反転させた二枚目で喉元を断つ。
上空から急降下してきたキラービーには、上向きに放ったウインドカッターで羽を切り裂く。地面に落ちたところへ、即座にストーンランチャーを叩き込む。
一気に終わらせるのではなく、確実に。
数を減らす。
焦らない。生徒たちはすでに治癒しているが、まだ意識は戻らない。ここで取りこぼしがあれば危険だ。
残った魔物が散発的に襲いかかってくる。その一体一体を、確実に処理する。森の中に、魔物の気配が徐々に減っていく。
やがて、完全に静かになった。
風が通る。
霧はまだ薄く漂っている。残滓のように森の奥に滞留している。
俺は一歩下がり、深く息を吸う。
特大のウインドブリーズを放つ。
圧縮された風が森全体へと広がり、木々を揺らし、地面の霧を巻き上げる。白い靄が一気に引き裂かれ、上空へと吹き飛ばされていく。
視界が、完全に開けた。
森本来の姿が戻る。
その時、遠方から複数の魔力が近づいてくるのを感じた。救援信号を見た魔術師教師たちだ。
「ルーメン!」
呼びかけに応じ、俺は状況を簡潔に伝える。濃霧が発生していたこと。相当数の魔物が集まっていたこと。四人は瀕死状態だったため、リザレクションヒーリングを施したこと。
教師たちは四人の状態を確認し、顔色を変える。
「すぐにイーストレイクへ戻す。」
俺も頷く。
「はい。一応回復していますが、念のため大聖堂での診察を」
訓練は、当然中止となった。
森は静まり返っている。
だが、この異常は、偶然ではない。
その確信だけが、胸に残った。
生徒たちの搬送準備が進む中、俺は先ほど仕留めた存在のもとへ歩み寄った。
地面に横たわるそれは、想像以上に小さい。
虫のような体躯。掌に収まるほどの大きさ。薄い翅のようなものが焦げ、縮れている。
こんな小さな魔物が、あれほどの濃霧を生み出していた。
俺はしゃがみ込み、慎重に観察する。身体からは、まだ微かに霧の残滓のような魔力が漂っている。
普通の魔物ではない。
強い攻撃力があるわけでもない。だが、環境を支配する力を持っている。霧を発生させ、方向感覚を奪い、魔物を集める。
もし、これが複数いたら。
もし、森の中央付近で意図的に動いていたとしたら。
俺は布を取り出し、死骸を包む。
小さいからこそ、見逃される。
小さいからこそ、脅威になる。
教師に一言告げ、持ち帰る許可を得る。原因を調べる必要がある。
手の中の重みは、ほとんど感じない。
だが、その存在が引き起こした事態は、軽くない。
森は静かだ。風が吹き抜け、何事もなかったかのように枝葉が揺れる。
だが俺は知っている。
あの霧は、自然現象ではなかった。
掌の中の小さな死骸が、その証だった。




