↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
373/386

学院2年サラサ編 第七十七章 魔物討伐訓練⑤ 霧の中の崩壊

霧の奥から、最初に姿を現したのは小柄な影だった。

赤黒い肌、歪んだ牙、濁った目。

「ゴブリン……!」

ラティスが吐き捨てる。


一体ではない。二体でもない。

霧を裂くように、群れが押し寄せてくる。低い唸り声を上げながら、短剣や棍棒を振りかざして突進してくる。


「前方、来るわよ!」

ノエルの声と同時に、さらに大きな影が現れた。

オーク。

筋肉質な巨体が霧をかき分ける。その後ろには、さらに一回り大きい個体……ハイオークの姿も見える。


「数が多すぎる……!」

ディラドの声が震える。

だが、それだけではない。

地面を這う黒い影が広がる。長い脚が絡み合うように動く。

「ポイズネススパイダー!」

ノエルが叫ぶ。


さらに、頭上から甲高い羽音が重なった。霧を裂いて飛び込んでくる影。

「キラービーまで……?」

ラティスの声に、余裕は消えていた。

四方。完全に囲まれている。


ゴブリンの群れが前方から突進し、オークとハイオークがその背後を押し上げる。横からは巨大な蜘蛛が迫り、上空ではキラービーが円を描いている。


四人に対して、この数。

訓練の規模を明らかに超えている。

「一斉に上位魔術を!」

サラサが叫ぶ。


ラティスは即座に魔力を練り上げる。「わかってらぁ!」

ノエルも歯を食いしばる。「任せて!」

ディラドも遅れながら魔力を集める。「が、頑張ります……!」


次の瞬間、四方へ魔術が放たれた。

炎、水、風、土。

上位魔術が霧の中を裂き、最前列のゴブリンたちを吹き飛ばす。オークの一部もよろめき、蜘蛛の脚が断ち切られる。


だが……。倒れた魔物の隙間を埋めるように、後続が現れる。

霧が視界を奪い、正確な数が把握できない。

撃っても撃っても、影が減った実感がない。


「まだ来るぞ!」

ラティスが叫ぶ。

「切りがない……!」

ノエルの声も焦りを帯びる。

サラサは冷静を保とうとするが、胸の奥で警鐘が鳴る。

これは、偶然の遭遇ではない。


魔物が“集まっている”。

しかも、異種混在の群れだ。

ゴブリン、オーク、ハイオーク、ポイズネススパイダー、キラービー。

通常、同じ領域にここまで統制なく集まることはない。

何かに引き寄せられているかのように。


だが、考える余裕はない。

ゴブリンの一体が距離を詰め、棍棒を振り上げる。

ラティスがそれを焼き払う。

蜘蛛が横から跳びかかり、ノエルが風刃で切り裂く。

その間にも、上空からキラービーが急降下してくる。

数が、圧倒的に多い。


「距離を詰められる前に削って!」

サラサが指示を飛ばす。

四人は背中を預け合いながら、必死に外側へ魔術を放ち続ける。

だが、包囲の輪はじわじわと縮んでいた。

霧の内側で、魔物の群れがうねる。

訓練という言葉は、すでに意味を失っていた。


魔物の波は止まらない。

四人は背中を預け合いながら、外周へ向けて上位魔術を撃ち続けていた。炎が霧を赤く染め、水刃が空気を裂き、風が群れを押し返し、土が足止めをする。それでも、包囲の圧はじわじわと迫ってくる。


「上だ!」

ラティスの声が響いた。

頭上から急降下してくる黒い影。キラービーだ。数匹ではない。霧の向こうで羽音が重なり合い、位置を掴みにくい。


ディラドは慌てて杖を掲げたが、詠唱が一瞬遅れた。

その刹那。

鋭い衝撃が腕を貫いた。

「っ……!」

短い悲鳴。

毒針が、ディラドの上腕に突き刺さっている。すぐに抜き取ろうとするが、手が震えてうまく力が入らない。


「ディラド!」

サラサが即座に距離を詰める。

キラービーが再び旋回しようとする瞬間、水刃が走り、その一匹を切り落とす。同時に、サラサはディラドの腕を掴み、魔力を流し込んだ。

ブライトヒーリング。

暖かな光が広がり、傷口を塞ぎ、体内に回り始めた毒を打ち消していく。皮膚の色が戻り、荒れていた呼吸が徐々に整う。

「もう大丈夫です。深くは入っていません」

サラサは落ち着いた声で告げる。


だが、ディラドの目は焦点が定まらない。

「……こ、こわ……」

小さな声。

彼の視界には、まだ無数の羽音が響いている。刺された感覚が、身体に焼き付いて離れない。


「立てますか?」

サラサが問いかけるが、ディラドは答えない。

両膝が崩れ落ち、地面に手をつく。次の瞬間、頭を抱え込むように丸まり、そのまま動かなくなった。

「ディラド!」

ノエルが叫ぶ。


だが、再びゴブリンが距離を詰めてくる。オークが大きく踏み込む。蜘蛛が脚を広げて跳ねる。

「下がれ!」

ラティスが前へ出て火球を叩き込む。数体を焼き払うが、空いた隙間を別の個体が埋める。


サラサは一瞬だけ目を閉じた。

ディラドを抱えて離脱する余裕はない。だが、ここに置き去りにすることもできない。

「私が守ります」

短く告げ、ディラドの前に立つ。

水の刃を連続で放ち、近づく魔物を削る。風を足元へ流し込み、接近速度を鈍らせる。


しかし、戦線は明らかに苦しい。

ラティスとノエルが前面を支えているが、数が減らない。霧の奥から新たな影が押し寄せる。


キラービーが再び急降下する。

ノエルが風で撃ち落とすが、視界が悪く、死角が生まれる。

ディラドはまだ動けない。

彼の呼吸は荒く、手は震え、目は恐怖で固まっている。


「しっかりしてください!」

サラサが声をかけるが、返事はない。

群れは、さらに近づく。

包囲の輪が、一段狭まった。


霧の中で、状況は一気に傾いた。

サラサがディラドを庇う位置に立ち、水刃と風圧で正面を押し返す。その横でラティスとノエルが攻撃を重ねているが、群れの圧は明らかに増していた。数が減らないどころか、どこから湧いてくるのか分からない。


その時だった。

「ノエル、右!」

ラティスの声。

だが、声よりも早く、白い何かが霧の中から飛び出した。


粘着質な糸。

ポイズネススパイダーの毒糸だ。

ノエルは反射的に風を起こそうとしたが、霧のせいで距離感を誤る。糸は彼女の腕と胴を絡め取り、一瞬で締め上げた。


「っ……!」

体勢が崩れる。

足元に絡みついた糸がさらに巻き付き、身動きが取れなくなる。毒が皮膚からじわじわと染み込んでいく。


「ノエル!」

ラティスがそちらへ踏み出す。

その一瞬、正面の警戒が緩んだ。

霧の向こうから、巨大な影が突進してくる。

ハイオーク。

棍棒のような腕が振り下ろされた。

鈍い衝撃音。

ラティスの身体が宙に浮き、そのまま勢いよく地面に叩きつけられる。

「……っ」

声にならない吐息。

頭部を強く打ち、動かない。霧に赤が滲む。


サラサの心臓が跳ね上がる。

「ラティス!」

だが、近づけない。前方からはゴブリンとオークが押し寄せ、上空ではキラービーが旋回している。


ディラドが再び短い悲鳴を上げた。

別のキラービーが毒針を突き立てる。今度は首筋だ。

「……ぁ……」

言葉が途切れる。


サラサは歯を食いしばり、魔力を引き上げる。

「ラティスを守って! ノエル、意識を保って!」

だが、ノエルは糸に絡め取られたまま、必死に風を起こそうとしているものの、毒が回り始めているのか、魔力の流れが鈍い。


ラティスは動かない。

ディラドは震えながら地面に伏したまま。

包囲は狭まる。

霧の中から、さらに羽音と足音が重なって聞こえてくる。


サラサは空を見上げた。

「ファイヤーボール!」

声と同時に、巨大な炎球が上空へと放たれる。特大の火球が霧を赤く照らし、森の上空で炸裂した。

救援信号だ。

一度目よりも、さらに強い願いを込めて。


だが、援軍が来るまで持ちこたえられるかは分からない。

炎の残光が消えると同時に、霧の白が再び世界を覆った。

三人は倒れ、一人は守るために立つ。

その均衡が、今にも崩れようとしていた。


炎の残光が消え、再び白が支配する。

サラサは荒くなる呼吸を押さえ込み、周囲の魔力の流れを探った。視界は利かない。だが、魔力は嘘をつかない。濃霧そのものが不自然だとすれば、どこかに核があるはずだ。


「……違う」

空気の揺らぎの中に、わずかな偏りを感じる。

霧の中で、ひときわ濃い場所がある。

魔物の群れとは別の、芯のような存在。そこだけ魔力が歪み、白を生み出しているように見える。


「そこ……」

サラサは一歩踏み出した。

正面のオークを水刃で切り裂き、接近してきたゴブリンを風で薙ぎ払う。キラービーの針をかわしながら、わずかに視界が開けた方向へ魔力を集中させる。


「ウインドスラスト!」

一点に向けて放った風圧が、霧を押しのける。

一瞬だけ、白が裂けた。

その奥に、動く影がある。


小さい。

ゴブリンよりも小型。獣のようでもあり、虫のようでもある。形が定まらず、霧と同化するように蠢いている。


「……見つけた」

未知の魔物。

少なくとも、教本で見たことはない。

サラサは迷わなかった。

「ウインドカッター!」

風刃を連続で放つ。白を裂きながら、その小さな影へと切り込む。

さらに間髪入れず、

「ウォータースライス!」

水刃が追撃する。


だが、影は霧の中へ滑り込むように逃れた。霧が濃くなり、再び視界が閉ざされる。

背後で、何かが倒れる音がした。


振り向けば、ノエルの身体が糸に絡め取られたまま、完全に動きを止めている。毒が回りきったのか、意識が薄い。

ラティスは地面に横たわったまま反応がない。

ディラドも震えながら、ほとんど身動きできていない。


「……まだ、終われません」

サラサは自分に言い聞かせるように呟いた。

リーダーが崩れれば、全員が終わる。

魔力をさらに引き上げる。霧の核へ向けて、もう一度大きな一撃を叩き込むしかない。


「逃がしません」

霧の濃い一点に狙いを定め、両手を広げる。

次に放つのは、広範囲を巻き込む水の嵐だ。

サラサの周囲に、水の魔力が渦を巻き始めた。


サラサの周囲に集束した水の魔力が、一気に解き放たれる。

「ウォーターストーム!」

渦巻く水流が霧の一点へと叩きつけられた。圧縮された水の奔流が白を押し裂き、地面を抉り、木々を揺らす。視界が一瞬だけ開け、霧の奥に潜んでいた小さな影が露わになる。


確かにそこにいた。

虫のように小さく、しかし周囲の霧と魔物の動きを支配している存在。

だが……。水流が直撃する直前、その影は信じがたい速度で横へ跳ねた。霧が巻き上がり、再び視界が閉ざされる。


「かわした……?」

一瞬の驚き。その刹那だった。

背後から、重い衝撃が後頭部を打ち抜いた。

視界が弾ける。

「っ……!」

地面が近づく。膝が崩れ、体勢が乱れる。

振り向く間もなく、腕に鋭い痛みが走った。キラービーの毒針が深く突き刺さる。毒が血流に乗って広がる感覚が、冷たい恐怖と共に身体を侵す。


視界が滲む。音が遠ざかる。

それでも、サラサは倒れながら必死に意識を繋ぎ止めようとした。

「……みんな……」

ラティスは動かない。ノエルも、ディラドも、霧の中で倒れている。


自分が最後の一人だと理解した瞬間、胸の奥に焦燥が走る。

救援信号は二度放った。教師が気づいてくれればいい。そう願うしかない。

だが、霧は濃いままだ。

魔物の足音が近づいてくる。


サラサは最後の力で杖を握ろうとするが、指先に力が入らない。毒が深く回り、思考が鈍る。

白い霧が、ゆっくりと視界を覆っていく。

自分の身体が地面に横たわる感覚だけが、ぼんやりと残る。

「……ごめんなさい……」

誰に向けた謝罪かも分からないまま、意識は途切れた。

霧の中に、四人の魔術パーティーは完全に崩れ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。