学院2年サラサ編 第七十六章 セリナの職業試験③ セリナと父の本気
父さんは一度剣を引き、ゆっくりと呼吸を整えた。先ほどまでの軽い確認の稽古とは、空気が明らかに違う。
「父さんだって三型とも聖位なんだ。その年でそれだけ強くなるってことは相当練習したんだな」
その言葉は褒め言葉であり、同時に試す宣言でもあった。
「次の剣術の位判定はいつだ?」
セリナは汗を拭いもせず、真っ直ぐに答える。
「明日よ」
その一言には迷いがない。緊張も不安もあるはずなのに、それを外に出さない強さがあった。
父さんは小さく頷く。
「これなら聖位は間違いないだろう。じゃあ、今度は厳流型で攻めてこい」
厳流型。
三型の中でも最も攻撃的で、最も隙が生まれやすい型。踏み込みの速度、重心移動、斬撃の角度、どれか一つでも狂えば致命的な反撃を許す。
つまり、覚悟が問われる型だ。セリナは一瞬だけ目を細める。
「わかったわ、じゃあいくわよ」
その瞬間、父さんの表情が変わった。本気の顔。親としてではなく、剣士として向き合う顔。
空気が静まり返る。
次の瞬間……
「うりゃー!」
セリナが一気に踏み込んだ。
叫びは気合いというより、爆発だった。溜め込んできた鍛錬の重みを一撃に乗せるような踏み込み。
速い。低い姿勢から鋭く斬り上げる。厳流型特有の直線的な斬撃。迷いがない。
父さんは即座に受け流す。だが、軽くはない。受けた腕にずしりと衝撃が残る。
「……っ」
守りに徹する。
厳流型は攻める側が有利だが、持久力を削られる。セリナはその弱点を理解しているのか、間を置かず次の斬撃へ繋げる。
二撃目、三撃目。踏み込みは止まらない。
父さんはかわし、受け、逸らす。
攻めに転じたい。しかし、ほんのわずかでも隙を作れば、その瞬間に食い破られる。今のセリナの厳流型は、それほどまでに完成度が高い。
「……成長したな」
小さく呟く。
だが守るだけでは終わらない。
一瞬の呼吸の乱れ。
その刹那を、父さんは見逃さなかった。
半歩だけ後退し、剣を下げるふりをする。
セリナが踏み込む。
その瞬間、父さんは身体を捻り、背後へ滑り込む。
位置が入れ替わる。
「とった」
父さんの声が、背後から響いた。
常人ならそこで終わっていた。
だが。セリナは振り向かない。
振り向かないまま、肘を引き、腰を捻り、剣を反転させる。
腹部へ鋭い一撃。
鈍い音。
「あ痛たた……」
父さんが顔を歪める。
完全に入っていた。
「やられたよ、セリナ。今のは一瞬の判断か?それとも俺の動きを見きっていたか?」
問いかけながらも、その目は真剣だった。
セリナは息を弾ませながら笑う。
「両方ね。でも父さんから一本取れた、嬉しい」
その顔は子どものように無邪気で、しかし剣士としての誇りも滲んでいる。
父さんは腹を押さえながら苦笑する。
背後を取ったつもりだった。だが、完全に読まれていた。いや、読んだうえで賭けに出たのだろう。振り向けば遅れる。ならば振り向かずに打つ。
その判断力。その度胸。その覚悟。
「……これは本物だな」
父さんは心の中で呟く。
この調子なら、セリナはいずれ……
そこまで考え、言葉を飲み込む。
まだ言うべきではない。だが確信はあった。
努力だけでは届かない領域へ、確実に近づいている。
セリナは剣を下ろし、呼吸を整える。
明日が位判定。
その前日に、父から一本を奪った。
それは偶然ではない。積み重ねの結果だ。
父さんは木剣を肩に担ぎ、深く息を吐く。
「よくやったな、セリナ」
その一言に、すべてが込められていた。
誇り。驚き。そして、わずかな寂しさ。
娘はもう、守られる側ではない。
自ら道を切り開く側に立っている。
夕暮れの庭に、静かな風が吹いた。
夕暮れの庭に、まだ剣の余韻が残っていた。互いに間合いを取り直したまま、父さんとセリナはしばらく動かなかった。
さきほど腹に入った一撃の感触が、父さんの中で静かに響いている。痛みよりも、その一撃に至るまでの判断と速度のほうが強く印象に残っていた。
「……今のは、見事だったな」
父さんがようやく口を開く。その声には、冗談も誇張もなかった。
セリナは息を整えながら、剣を構え直している。まだ終わっていない、とでも言いたげな目だった。
「とった、って言われたから。負けるのは嫌だっただけよ」
さらりと言うが、その裏には明確な意思がある。背後を取られた瞬間、普通なら諦めるか、防御に回る。だがセリナは振り向かなかった。
振り向けば遅れると判断し、そのまま打ち込んだ。父さんの動きを読んでいたのか、それとも本能か。その両方なのだろう。
父さんはゆっくりと剣を下ろし、まじまじと娘を見る。
「一瞬の判断だけであの角度は出せない。俺の動きを、最後まで追っていたな」
セリナは小さく肩をすくめる。
「背後に回られるのは想定してたわ。厳流型であそこまで攻め込めば、父さんなら必ず一度は位置を取りに来ると思ったから」
その言葉に、父さんは目を見開いた。攻めながら、同時に相手の反撃まで計算していたということだ。勢い任せではない。冷静さを失っていない。
「……そこまで考えていたか」
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばす。庭に立つその姿は、もはや親子というより、同じ土俵に立つ剣士同士だった。
父さんは小さく笑う。
「明日が位判定だったな」
「ええ、明日よ」
「なら、もう心配はいらないな」
断言だった。
三型すべてを聖位に届かせるには、技だけでは足りない。型を理解し、相手を読み、自分を制御する心がいる。今日の稽古で、それが揃っていることを父さんは確認した。
セリナは剣を軽く振り、腕の感触を確かめる。
「まだ足りないわ。父さんに余裕があったのは分かってる」
父さんは苦笑する。
「余裕かどうかはさておき、今の一本は本気で取られたぞ。腹がまだじんじんしてる」
そう言って腹をさする仕草に、セリナはくすりと笑う。その笑顔は、剣を振るっていた時の鋭さとは違い、年相応の少女の顔だった。
だが、その奥には強い光がある。
「私は必死よ。負けるのは嫌いだもの」
その言葉は単なる勝ち負けの話ではない。職業試験が迫っている。自分の進む道を決める一戦が近い。その現実が、セリナをさらに研ぎ澄ましている。
父さんは剣を肩に担ぎ、空を見上げる。茜色が濃くなり始めていた。
この調子なら、位判定は問題ない。むしろ、学院内でも頭一つ抜けるだろう。だがそれ以上に、今日の稽古で確信したことがあった。
セリナは、強さに溺れていない。
攻め込みながらも冷静で、一本を取っても驕らない。もっと強くなりたいと言いながら、自分の位置を理解している。その姿勢こそが、剣士としての器を決める。
「……セリナ」
父さんは真剣な声で呼ぶ。
「これから先、強くなるほど、守るものも増える。力を持つということは、それだけ責任も背負うということだ」
セリナは真っ直ぐに父さんを見る。
「分かってるわ。だから、もっと強くなるの」
迷いのない答えだった。
父さんはゆっくり頷く。
この娘は、自分の力の意味を理解している。ならばもう、余計な心配はいらない。
それでも胸の奥に、わずかな予感が芽生える。
このまま積み重ねていけば、いずれは自分の背を完全に追い越す日が来るかもしれない。その時、自分はどんな顔でそれを見届けるのだろうか。
誇らしさか、寂しさか、それとも両方か。
セリナは木剣を下ろし、父さんに向かって軽く礼をした。
「ありがとう、父さん」
その一言は短いが、そこには信頼が込められている。
父さんは照れたように鼻を鳴らす。
「明日、胸を張って行ってこい。お前の剣は、もう十分通用する」
夕暮れの風が、二人の間を通り抜ける。稽古は終わったが、積み重ねてきた時間は終わらない。
明日は位判定。
その先には職業試験が待っている。
だが今この瞬間、父と娘は確かに同じ高さで剣を交えていた。
それだけで、十分だった。




