学院2年サラサ編 第七十六章 セリナの職業試験② 父との稽古
父さんがセリナに稽古をつけながら父さんが「セリナ、かなり成長してるな、これなら剣術の教師陣もかなり苦戦しているんじゃないのか?」と聞くと、セリナは「そうね、一部のかなり強い教師しか相手にならないわ、私もっと強くなりたいのよ」と答える。
久しぶりに向き合う父と娘の間には、懐かしさよりも先に、剣を構えた者同士の緊張があった。庭の地面は踏み固められ、乾いた土がうっすらと舞う。木剣が打ち合わされるたびに、乾いた音が空気を震わせた。
父さんの剣は重い。ただ力任せという意味ではない。踏み込み、体重移動、間合いの取り方、そのすべてが洗練されている。受けに回っているように見えても、常に主導権は父さんにあった。セリナはそれを分かっているからこそ、余計な手は出さない。だが、躊躇もしない。
「かなり成長してるな」
その言葉は、軽い褒め言葉ではなかった。実際に打ち合っているからこそ出る実感だ。
学院で鍛えられた剣筋は、以前のそれとは明らかに違っている。踏み込みは深く、引きは速い。守りに入っても崩れない。
セリナは木剣を一度引き、呼吸を整えながら答える。
「そうね、一部のかなり強い教師しか相手にならないわ、私もっと強くなりたいのよ」
その言葉に、慢心はない。事実を述べただけだ。だが、その後に続く「もっと強くなりたい」という一言が、今のセリナを象徴していた。
強くなったことに満足していない。上があると分かっている。だから止まらない。
父さんは一瞬だけ目を細める。その表情には、驚きと誇りが混じっていた。娘が自分の域に近づいている。その事実は嬉しいはずなのに、同時に、簡単には追い越させないという父の矜持もある。
「強くなりたい、か」
低く呟きながら、父さんは踏み込む。速い。だが、セリナは一歩横に流し、木剣を滑らせるように受け流す。反動を利用してそのまま逆袈裟に振り下ろす。父さんは半歩下がって躱し、すぐに間合いを詰め直す。
打ち合いは、もはや稽古の域を超えていた。互いに本気で、互いに一瞬の隙を探っている。だがそこに敵意はない。ただ純粋に、強さを確かめ合う時間だった。
「教師陣が苦戦してるのも、分かるな」
父さんの剣が一瞬だけ遅れた。セリナはそこを見逃さず、鋭く踏み込む。だが、寸前で父さんが木剣を返し、受け止める。衝撃が腕に伝わる。セリナは歯を食いしばり、そのまま押し込もうとする。
力比べでは勝てない。それは分かっている。だからこそ、体重移動で崩す。足を滑らせ、角度を変え、軸をずらす。その動きは学院で磨いたものだ。
父さんは一歩下がり、距離を取った。
「確かに強くなった。だがな」
その先を言わず、再び構える。その視線が語っている。まだ足りない、と。
セリナの胸の奥に、火が灯る。悔しさではない。闘志だ。もっと上へ。もっと先へ。その想いが、剣先に宿る。
「私、まだ足りないのは分かってる」
息を吐きながら言う。
「だから、呼んだのよ。父さんを」
その言葉は、素直だった。自分一人では届かない高さがあると認めている。だからこそ、最も信頼できる剣を呼び寄せた。
父さんは小さく笑う。
「いい目だ」
そして、構えを変えた。
その瞬間、空気が変わる。先ほどまでの確認の剣ではない。本気で叩き潰すための構えだ。セリナはそれを見て、逆に口元を引き締めた。
逃げない。引かない。
木剣が再びぶつかる。音が、先ほどよりも鋭く響く。庭の空気が震える。母さんが遠くから見守っているのが視界の端に入るが、今はそれすら意識の外だ。
父の剣は速い。重い。鋭い。
だが、セリナの剣も、確実にその域に近づいていた。
打ち合いの最中、父さんは確信する。これは単なる成長ではない。覚悟の成長だと。
そしてセリナもまた、感じていた。父の剣が、以前よりも本気であることを。それが何より嬉しかった。
……まだ足りない。
だが、確実に届きつつある。
その実感が、セリナの踏み込みをさらに深くしていく。
父との本気の稽古が、今始まったのだった。
父さんが一度距離を取り、木剣を肩に担ぎ直す。その動きはわずかな間でしかなかったが、空気が張り詰めるのに十分だった。
「難しい陣越型と背散型を順番にしてみろ」
低く、しかし明確な指示だった。
陣越型と背散型。どちらも学院の中でも習得が難しい型だ。形だけなら誰でも真似はできる。
だが、本質は間合いと呼吸、そして相手の“次”を読む感覚にある。崩れれば即座に致命的な隙が生まれる、繊細で危険な型だ。
セリナは一瞬、呼吸を止めた。
順番に。
つまり、切り替えの速さと完成度、その両方を見られる。
「わかったわ」
短く答える。その声音に迷いはなかった。
まずは陣越型。
両足の重心をやや低くし、前足を半歩ずらす。剣先はわずかに斜め上。相手を包み込むように圧をかける構えだ。正面から攻めるのではない。相手の逃げ道を塞ぎ、間合いを制圧する。
父さんが動く。速い踏み込み。
だがセリナは一歩も引かない。横へ流れながら剣を差し込む。受けではない、攻めの受け流し。父の剣筋を逸らし、その勢いを奪う。
木剣が交差し、乾いた音が響く。
そのまま回転し、下段へ斬り込む。陣越型は攻防一体だ。攻めながら守り、守りながら攻める。その動きは、以前のぎこちなさが消えていた。
父さんは一瞬だけ目を見開く。
「ほう……」
低く唸り、今度は強く打ち込んでくる。真正面から力をぶつけ、圧で崩そうとする。
だが、セリナは剣を滑らせるように受け、角度をずらす。真正面で受け止めない。それが陣越型の肝だ。
押し負けない。
その証明のように、セリナは踏み込み直す。
「……次よ」
自ら呟き、型を切り替える。
背散型。
陣越型とは逆。包み込むのではなく、背後へ散る。相手の死角へ回り込む流動型。足運びが命だ。
父さんが間合いを詰めた瞬間、セリナの姿が横に消える。いや、消えたように見えただけだ。背後へ滑るように回り込んでいる。
父さんが即座に振り向く。だが、もう半歩遅い。セリナの木剣が脇腹へ向かう。
ぎりぎりで受け止める。
衝撃。
父さんの腕がわずかに下がる。
「これは……」
思わず口にする。
「これは聖位に達してるな、父さんとほぼ互角じゃないか、成長したな、セリナ」
言葉に、誇張はない。本心だった。
学院での鍛錬だけではここまで来ない。自分で考え、自分で工夫し、自分で限界を超え続けた結果だ。
セリナは息を弾ませながら笑う。
「私は必死よ、父さん余裕みたいね」
挑発ではない。だが、負けを認めるつもりもない声音だ。
そのまま間合いを詰める。
どんどん踏み込んでいく。躊躇がない。
父さんの剣を恐れていないのではない。恐れを飲み込んでいる。踏み込まなければ届かないと分かっているからだ。
木剣が激しくぶつかる。
一撃一撃に重みがある。型を崩さず、しかし型に縛られすぎない。陣越型の圧から背散型へ、背散型から再び圧へ。流れるような切り替え。
父さんは守りながら、内心で舌を巻いていた。
本当に、ここまで来たのか。
自分の背を追いかけていた娘が、今は肩に手をかけるところまで来ている。
だが……。
まだ、越えさせるわけにはいかない。
父さんの目が変わる。剣の重みが一段増す。
セリナはそれを感じ取り、さらに踏み込む。引けば崩れる。押し切るしかない。
庭に響く木剣の音が、次第に鋭さを増していく。
これは親子の戯れではない。
互いに本気で、互いに全力で、互いを試している。
陣越型と背散型。
その両方が、確かに聖位へ届いていると、父は認めざるを得なかった。
だが試練はまだ続く。
セリナの剣は止まらない。強くなりたい。その願いが、型の奥に宿っていた。




