学院2年サラサ編 第七十六章 セリナの職業試験① 執念の稽古
学院2年 サラサ編
第七十六章 セリナの職業試験
セリナは学院卒業を前に、職業の試験を受けることになった。
卒業という言葉は、これまでどこか遠い未来の出来事のように思えていた。しかし三年間という歳月は思っていたよりも早く過ぎ去り、気づけばその「卒業」は、現実として目前に迫っている。
学院という守られた環境の中で鍛えられ、競い合い、支え合いながら積み上げてきた日々。その総決算とも言えるものが、この職業試験だった。
職業試験があるのは、剣術や魔術の公職に仕える者だけで、他は就職試験を受ける。商会に入る者、工房で技を磨く者、家業を継ぐ者、地方へ戻る者。進路は様々だが、剣や魔術を国家や都市のために振るう立場に就く者には、より厳格な審査が課せられる。
力があるだけでは足りない。忠誠心、判断力、責任感、そして何より人としての在り方まで見られると聞いている。公職に就くということは、その身一つで背負うものの重さが違うのだ。
セリナの希望職は、落ちることも考えて、本命はイーストレイクの衛兵、次にイーストレイクの護衛隊、そして、ルゼリアのような村を管轄する兵士だ。
希望の順番を口にする時のセリナは、決して夢物語を語る顔をしていない。本命を掲げながらも、必ず「落ちることも考えて」と前置きをする。
その姿勢に、俺は長女らしい慎重さを感じていた。自分の実力を過信しない。けれど、自分の目標から目を逸らさない。そのバランスが、いかにもセリナらしい。
衛兵になれれば、都市の治安を守る最前線に立つことになる。護衛隊ならば重要な人物や施設を守る任務に就く。村を管轄する兵士なら、ルゼリアのような地方の人々を守る存在になる。
どれも「守る」という一点で繋がっている。幼い頃から変わらない、あの真っ直ぐな想いが、そのまま進路に結びついているのだと分かる。
「落ちることだってあるわよ」
以前、真顔でそう言ったことがあった。その時の声には、強がりも不安も混ざっていなかった。ただ現実を現実として受け止めた上で、それでも挑むという覚悟があった。
俺はその言葉を聞いた時、少し胸が熱くなった。強さとは、力のことだけではない。覚悟を持って前を向くことも、また強さなのだと教えられた気がした。
学院の空気も、少しずつ変わっている。三年生たちは進路の話をする時間が増え、講義の合間にも未来の話題が飛び交うようになった。笑い声はあるが、その奥底には緊張が潜んでいる。
これから先は、評価される立場から、責任を負う立場へと変わる。その境界線に立たされていることを、誰もが自覚しているのだ。
その中でセリナは、いつもと変わらないように見えて、確実に何かを積み上げていた。浮き足立つこともなく、かといって楽観視することもなく、ただ静かに、確実に、自分の剣を磨いている。
夢を見るというよりは、掴みに行く。そのために必要な努力を、当然のように積み重ねる。
職業試験は通過点でありながら、同時に大きな分岐点でもある。
合格すれば新たな道が開かれる。不合格なら別の道を選ぶことになる。
そのどちらであっても、学院生活は終わりを迎える。子どもでいられる時間は、もう残り少ない。
それでもセリナは、前を向いていた。守る側に立つ。その言葉を軽く口にしたことは一度もない。その責任の重さを理解した上で、それでもなお、そこに立ちたいと願っている。
卒業を目前に控えた今、職業試験という現実が、はっきりと形を持って迫っている。
そしてセリナは、その現実から目を逸らすことなく、真正面から受け止めようとしていた。
試験を前に、少しでも成長して合格したいと剣術の教師を捕まえては、稽古を志願する毎日だった。
その「少しでも」という言葉の裏には、並々ならぬ執念があった。
授業が終われば真っ先に訓練場へ向かい、空いている教師を見つけると、迷いなく声をかける。
「お願いします、時間をください」と頭を下げるその姿に、最初は教師たちも驚いたらしい。だが、何度も繰り返される志願に、やがて誰もが本気で応じるようになった。
学院の教師陣は強い。特に剣術教師は、実戦経験も豊富で、型の一つひとつに無駄がない。その相手に何度も打ちのめされ、息が上がり、膝が震え、それでもセリナは木剣を落とさなかった。
転ばされても、すぐに立ち上がる。打ち据えられても、次の瞬間には踏み込む。その姿は、単なる向上心ではなく、明確な目的意識に裏打ちされていた。
「もう一度、お願いします」
汗で前髪を張り付かせながら、それでも視線だけは逸らさない。その目を見た教師が、思わず笑って「本当に底なしだな」と呟いたこともある。
だがセリナは、笑わなかった。自分がどこまで通用するのかを測る余裕などない。ただ、合格する。その一点だけを見据えていた。
それでも、教師だけでは不安だということで、実家に手紙を書いてルゼリアから父さんを呼び出し、剣術の指南を受ける決断をした。
その決断は、軽いものではなかったはずだ。父さんは村を守る立場にある。簡単に呼び出せる存在ではない。
それでも手紙を書いたのは、それだけ切羽詰まっていたからだろう。自分の実力を、もっと高い基準で測りたい。学院の中だけで満足したくない。その焦りにも似た想いが、筆を走らせたのだと思う。
手紙を書き終えた日の夜、セリナは珍しく長い時間、庭で素振りをしていた。風を切る音が、規則正しく闇に溶けていく。打ち込むたびに、少しずつ踏み込みが深くなる。少しずつ重心が低くなる。
ほんのわずかな修正を、何百回、何千回と繰り返す。その積み重ねが、明日の一太刀を変えると信じているからだ。
父さんが到着した時、セリナの顔には安堵よりも緊張が浮かんでいた。久しぶりに会う父の前で甘える娘の顔ではない。
試験前の受験者の顔だった。父さんもそれを察したのだろう。再会の言葉は短く、すぐに木剣を手に取った。
合格したい。ただ受かるのではなく、胸を張って合格したい。その想いが、セリナを追い込んでいた。
衛兵であれ、護衛隊であれ、村を守る兵士であれ、守る立場に立つのなら、半端な強さでは足りない。誰かの命を預かる以上、自分の限界を超えておく必要がある。
「もっと強くなりたい」
その言葉は、誰かに聞かせるためのものではない。自分自身に向けた誓いだった。
学院の訓練場には、いつも遅くまで残る影があった。日が落ち、他の生徒が帰っても、剣を振る音だけが続く。
その中心にいるのが、セリナだった。手のひらには新しい豆ができ、潰れ、固くなっていく。腕は張り、足は重くなる。それでも止めない。
合格したいのではない。掴み取る。そのための毎日だった。
試験の日は確実に近づいている。時間は止まらない。だからこそ、今できることを全てやる。その姿勢に、一切の迷いはなかった。
セリナは、自分の未来を他人任せにしないと決めていた。
だからこそ、父を呼び、教師を捕まえ、限界まで稽古を重ねる。努力の量で言い訳を消す。その覚悟が、彼女の背中をさらに大きく見せていた。




