学院1年セリナ編 第七十四章 エアリスとの学院生活⑤ 繋がっていたい
しばらく街を歩いていると、エアリスの足取りが、ふいに止まった。
「……あ」
小さな声を漏らし、視線を向けた先にあったのは、通り沿いに並ぶ一軒の店だった。
木製の看板には、控えめな文字でこう書かれている。
――マジックアクセサリー コーネル。
「ルーメン」
エアリスは、俺の腕を掴んだまま、少し身を乗り出す。
「ね、ちょっとだけ、入ってもいい?」
その言い方は、遠慮がちでいて、どこか期待に満ちていた。
「もちろん」
そう答えると、エアリスはぱっと表情を明るくして、腕を離した。
「ありがとう!」
店の扉を開けると、鈴の音が小さく鳴る。中には、思っていたよりも落ち着いた空気が流れていた。
棚に並んでいるのは、指輪、首飾り、ブレスレット。どれも魔石を加工したものらしく、淡く光を反射している。
「わあ……」
エアリスは、目を輝かせながら店内を見回した。
「可愛い……あ、これも……」
ひとつ手に取っては戻し、また別のものを手に取る。
その様子は、学院で見せる真面目な顔とは違って、年相応に無邪気だった。
「こういうの、好きなんだ」
俺がそう言うと、エアリスは振り返って笑う。
「うん。実用的な魔道具も好きだけど、こういうのは……見てるだけで楽しいでしょ?」
「確かに」
俺は、エアリスの少し後ろを歩きながら、店内を眺めた。
彼女は、いくつか気になったものについて、店主に質問している。魔石の種類、効果、加工の方法。
そのやり取りは真剣で、でもどこか楽しそうだった。
「……これにしようかな」
しばらくして、エアリスは一つのブレスレットを手に取った。
赤みがかった小さな魔石が、さりげなく嵌め込まれている。
「いいと思うよ」
俺がそう言うと、エアリスは一度だけ俺を見て、こくりと頷いた。
「じゃあ、これにする」
会計に向かおうとするエアリスに、俺は思わず声をかけた。
「僕が払うよ」
すると、エアリスは首を振った。
「だめ」
「え?」
「ここは、私が払いたいの」
その言葉は、冗談でも遠慮でもなかった。
「……分かった」
理由は分からなかったが、エアリスの表情を見て、それ以上は言わなかった。
会計を済ませ、エアリスは小さな包みを受け取る。
そして……店を出てすぐ、くるりとこちらを向いた。
「はい」
差し出されたのは、さっきのブレスレットだった。
「え……?」
「ルーメンにあげる」
さらりと言ってのける。
「私と、お揃いだよ」
胸が、一瞬で跳ね上がった。
「ちゃんと、いつも身につけててね」
そう言って笑うエアリスの表情は、冗談とも本気とも取れる、絶妙なものだった。
俺は、言葉を探しながら、そっとそれを受け取った。
……ただのアクセサリーのはずなのに。
手のひらに伝わる重みが、やけに特別なものに感じられた。
エアリスから渡されたブレスレットを、俺はしばらく手の中で見つめていた。
赤い魔石は小ぶりで、派手さはない。
けれど、光を受けるたびに、内部で淡く揺れるような輝きを見せていた。
「……この魔石、何の魔石なの?」
自然と、そんな疑問が口をついて出る。
魔石には種類がある。
魔力増幅、防護、感応、補助――用途は様々だ。
エアリスは、少しだけ口元を緩めた。
「それはね」
一歩、俺に近づく。
「ひ・み・つ」
指を一本立てて、軽く振る。
「え……」
拍子抜けする俺を見て、エアリスは楽しそうに笑った。
「とにかく、早くつけてみて」
促されるまま、俺はブレスレットを手首につけようとするが、留め具の扱いに少し手間取ってしまう。
「貸して」
エアリスはそう言って、俺の手首を取った。
指先が触れた瞬間、ひやりとするほど白い肌の感触が伝わる。そして、思った以上に距離が近い。
エアリスは真剣な表情で、留め具を調整していた。
「……はい、できた」
顔を上げたエアリスと、視線がぶつかる。ほんの一瞬。それだけなのに、胸の奥が、どくんと鳴った。
「今度は、私ね」
そう言って、エアリスは自分の腕を差し出す。
今度は、俺がブレスレットをつける番だった。
さっきまで感じていた緊張が、そのまま移ってくる。手元が、少しだけ覚束なくなる。
「……こう?」
「うん、合ってる」
俺が留め具を留めると、エアリスは満足そうに腕を動かした。
赤い魔石が、二人の腕で、同じように光っている。
「お揃いだね」
その一言が、静かに胸に落ちてくる。
「……ああ」
それ以上、気の利いた言葉は出なかった。
本当は聞きたいことが、たくさんあった。
この魔石の効果。どうして秘密なのか。どういう気持ちで、これを選んだのか。
けれど……今は、聞かない方がいい気がした。
エアリスは、俺の反応を確かめるように、じっと見てから、ふっと表情を和らげる。
「大丈夫。変な効果じゃないから」
「……そういう問題じゃない気もするけど」
そう返すと、エアリスはくすっと笑った。
「じゃあ、なおさらいいでしょ」
意味ありげな言い方だったが、深追いはさせてくれない。
再び街を歩き出すと、エアリスは自然な動作で、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
さっきよりも、ほんの少しだけ、強く。
「……これ、リリィ先生が見たら、怒られないかな」
俺がぽつりと呟くと、エアリスは肩をすくめた。
「どうだろうね」
そして、悪戯っぽく微笑む。
「でも、外しなさいって言われても……外さないでほしいけど」
冗談めいているのに、妙に本気に聞こえた。
俺は、それ以上何も言えず、
腕に伝わる温もりと、赤い魔石の重みを意識しながら、街を歩き続けた。
甘くて、少しだけ落ち着かない学院生活は、確実に、次の段階へ進み始めていた。
街の散策を終えて、学院へ戻る道。
夕方の光が、石畳を淡く染めていた。昼間の賑わいが嘘のように、人通りも少なくなっている。
エアリスは、相変わらず俺の腕に腕を絡めたままだった。
さっきまでのように、積極的に話すわけでもない。けれど、離れる気配もない。
それが、妙に落ち着く。
「……楽しかったね」
エアリスが、ぽつりと言った。
「うん。思ってた以上に楽しかった」
本音だった。
学院に来てから、魔術のこと、研究のこと、考えることは多かった。
けれど、こうして何も考えずに歩く時間は、久しぶりだった。
「ね、ルーメン」
エアリスが、少しだけ声の調子を変える。
「このブレスレット……外さないでね」
お願い、というより確認に近い言い方だった。
「……もちろん」
そう答えながら、俺は手首を見る。
赤い魔石は、今も静かに光を宿している。
「よかった」
エアリスは、それだけ言って、小さく笑った。
しばらく、無言で歩く。
学院の建物が見えてきた頃、ふと、頭をよぎる。
……リリィ先生のこと。
週末は、エアリスと街を歩いた。
けれど、リリィ先生も、街を案内したいと言っていた。
魔術の指導者で、研究者で、そして、どこか放っておけない存在。
そのことを考えると、胸の奥が、少しだけざわつく。
「……どうしたの?」
エアリスは、すぐに気づいた。
「難しい顔してる」
「いや、なんでもないよ」
本当に、なんでもない……とは言い切れなかったが。
エアリスは、それ以上追及しなかった。
ただ、腕に込める力を、ほんの少しだけ強める。
「今は、いいでしょ」
小さな声。
「今は、私と一緒にいる時間なんだから」
責める響きはなかった。でも、譲らない意志は、はっきりと感じられた。
「……そうだな」
俺は、そう答えるしかなかった。
学院の門をくぐる直前、エアリスはようやく腕を離した。
名残惜しそうでもなく、かといって、そっけなくもない。
いつもの距離に戻る、その自然さが、かえって印象に残る。
「じゃあ、また明日ね、ルーメン」
「うん、また明日」
エアリスは振り返り、軽く手を振ってから、寮の方へ歩いていった。
俺は、その背中を見送りながら、もう一度手首を見る。
赤い魔石のブレスレット。
外そうと思えば、いつでも外せるはずなのに、そんな気には、まったくならなかった。
甘くて、穏やかで、そして、どこか不安定な学院生活。
エアリスという存在は、確実に俺の日常に根を張り始めている。




