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学院1年セリナ編 第七十四章 エアリスとの学院生活③ 逃げ場のない誘い

その日の授業の終わりの学院中。エアリスは、いつもと変わらない足取りで歩いていた。

特別はしゃぐわけでもなく、かといって、距離を取るわけでもない。

ただ、少しだけ近い。

肩が触れるか触れないか、その絶妙な距離を保ったまま。


「ね、ルーメン」

不意に名前を呼ばれ、俺は反射的に顔を向けた。

「私がさ、入学したときに言ったこと、覚えてる?」

「……負けられない、ってやつ?」

何気なく返したつもりだった。

「それ、魔術の話じゃないんだ」

胸の奥が、わずかにざわついた。

「ルーメンって、すぐ他のこと考えるでしょ。魔術とか、研究とか……」

責める口調ではない。むしろ、困ったような、でも柔らかい声だった。

「だからね」

エアリスは、少しだけ言葉を選ぶ。

「私も、ちゃんと頑張らないと、って思ったの」

何を、とも。誰に、とは。はっきりとは言わない。

でも、その言い方だけで、意味は伝わってきた。

点と点が、ゆっくりと、一本の線になっていく感覚。

「……そういう意味?」

確かめるように聞くと、エアリスは一瞬だけ目を瞬かせた。

そして、すぐに小さく笑う。

「どうかな」

はぐらかすようでいて、どこか楽しそうな声音。

「でも、ルーメンがそう感じたなら、それでいいと思うよ」

それ以上は、踏み込まない。

「私ね、決めたの」

前を向いたまま、静かに続ける。

「ちゃんと、前に出るって」

比べない。隠れない。

「ルーメンの隣にいることを、当たり前にするって」

告白ではない。けれど、軽い言葉でもなかった。胸が、少しだけ早くなる。

俺は、すぐに何も言えなかった。

それでも……エアリスは、そんな俺を見て、何も言わない。

ただ、また歩き出し、肩が触れる距離に戻る。

「いいよ、今はそれで」

さりげない声。

「そのうち、分かってくれたら」

そう言って、エアリスは何事もなかったかのように歩き続けた。


エアリスの距離感は、ずっと近くなったままだった。

席に着くとき。授業中に教本を開くとき。休み時間に次の授業の話をするとき。

いつの間にか、エアリスはすぐ隣にいる。

肩と肩が触れる。肘が軽く当たる。気づけば、体の向きが自然とこちらに寄っている。

「……エアリスさん?」

エアリスは何でもないように首を傾げた。

「なに?」

とぼけた顔。けれど、その距離は変わらない。

「ちょっと……近くないですか?」

エアリスは一瞬だけ考えるような素振りをしてから、にこっと笑った。

「そう?」

そう言って、ほんの少しだけ、さらに近づく。

俺は、反射的に背筋を伸ばした。

「ほら、別に問題ないでしょ?」

問題しかない。そう思ったが、口には出せなかった。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

エアリスは、俺の様子を横目で確認すると、満足そうに小さく頷いた。

「……ね、ルーメン」

「はい」

「嬉しいでしょ?」

俺は、一瞬だけ言葉に詰まる。

否定したら嘘になる。肯定したら、色々終わる気がする。

「……正直に言うと、嬉しいです」

絞り出すように答えると、エアリスは嬉しそうに目を細めた。

「でしょ」

勝ち誇るでもなく、当然のことのように言う。

「だから、いいの」

何が、とは言わない。

「ルーメンが恥ずかしがるのも、ちゃんと分かってるし」

その上で。

「それでも、やめないけど」

俺は、思わずため息をついた。

「……エアリスさん、わざとですよね?」

「うん」

「だって、こうしてるとさ」

少しだけ声を落とす。

「ルーメン、ちゃんと“ここ”にいるって分かるから」

その言い方は、冗談にも、軽口にも聞こえなかった。

俺は、何も言えなくなる。

エアリスは、それ以上は踏み込まず、またいつもの調子に戻った。

「はいはい、次の授業始まるよ」

そう言って、教本を開く。

肩は、まだ触れたままだった。

エアリスの近距離は、いつの間にか、俺の学院生活の一部になっていた。

嬉しくて、恥ずかしくて、でも、不思議と嫌じゃない。

そんな時間が、何事もない顔をして、毎日積み重なっていく。

エアリスは、時々こちらを見る。そして、俺が視線に気づくと、必ず、少しだけ楽しそうに笑うのだった。


それは、何でもない休み時間のことだった。次の授業まで、ほんの少しだけ間が空いたタイミング。エアリスは、いつものように俺の隣に寄ったまま、何気ない調子で言った。

「ね、ルーメン」

「はい」

「今週末、空いてる?」

あまりにも自然な聞き方だった。

俺は一瞬だけ考え、正直に答える。

「魔術の特訓と、研究があるけど……」

そう言った瞬間、エアリスの動きが、ぴたりと止まった。

「……ふぅん」

声は、柔らかい。表情も、笑顔のまま。

でも……なぜか、空気が一段冷えた気がした。


「じゃあさ」

エアリスは、ゆっくり首を傾げる。

「街を、一緒に見て歩くのは?」

「え?」

「学院の外。イーストレイクの街」

そう言って、少しだけ身を寄せてくる。

「まだ、ちゃんと見てないでしょ?」

確かに、その通りだった。

学院と研究室の往復で、街をゆっくり歩いたことはない。

「それは……」

俺は、反射的に口を開く。

「リリィ先生に、相談しないと……」

その瞬間だった。エアリスの笑顔が、ほんの少しだけ、変わった。

口元は笑っているのに、目だけが、じっと俺を捉える。

「……ルーメンくん」

声は、低くも高くもない。ただ、逃げ場を作らない響きだった。

「他の理由なら、ともかく」

一歩、近づく。

「その理由で、私の誘いを断るなんて……」

にこりと微笑む。

「しないよね?」

背中に、ひやりとしたものが走る。

怖い。でも、怒っているわけじゃない。

これは……確信している人の顔だった。

俺は、目を逸らせなかった。

「……はい」

小さく、けれどはっきり答える。

「ご一緒させて、いただきます」

エアリスの表情が、一瞬で緩んだ。

「よろしい」

満足そうに頷き、何事もなかったかのように元の距離に戻る。

「じゃあ、決まりね」

その軽さが、逆に怖い。俺は内心で深く息をついた。

(……あとで、ちゃんと相談しよう)


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