学院1年セリナ編 第七十四章 エアリスとの学院生活① 負けられない
第七十四章 エアリスとの学院生活
俺は、エアリスと一緒にイーストレイク学院へ入学できた。
それは偶然でも、成り行きでもない。
職業判定の日……すべては、あの場で決まっていた。
判定の結果、俺は「特別生」として扱われることになった。
本来なら、特別生専用の教室が用意され、一般生とは別の環境で学ぶことになる。
だが、俺はその場で学院の職員に申し出た。
特別生の教室ではなく、一般生と同じ教室で学びたいこと。
そして、同郷であるエアリスの隣の席にしてほしいこと。
理由を問われ、俺は飾らずに答えた。
知らない土地で、知らない人間ばかりの中に放り込まれるより、少なくとも一人、信頼できる存在が隣にいる環境で学びたい、と。
職員が席を外したあと、俺は振り返って、はっきりと伝えた。
「エアリス。特別生にはなったけど、一般生の教室で学ぶことにした。それで……隣の席をお願いしたんだ」
一瞬、エアリスは言葉を失った。
「……え?」
驚きと戸惑いが混じった声。
それから、ゆっくりと意味を理解したように目を見開く。
「それって……私の隣?」
「ああ。エアリスがいい」
次の瞬間、エアリスの表情が、ぱっと明るくなる。
「……そっか」
胸の前で手をぎゅっと握りしめ、少し照れたように、でも隠しきれない喜びを浮かべる。
「一緒に入学できるんだね。同じ教室で、隣の席で」
そのときの声は、静かだったけれど、確かに震えていた。
「ありがとう、ルーメン。私……すごく、心強い」
その言葉を聞いて、俺はこの選択が正しかったと、心から思った。
だから、入学初日。同じクラス、同じ教室、隣の席に並んで座っていた光景は……エアリスにとっても、俺にとっても、「知っていた未来」だった。
入学式を終え、教室に入って席に着いたあとも、エアリスはどこか落ち着かない様子だった。
隣の席に座っているのは、昨日までと同じはずの彼女なのに、学院という新しい環境のせいか、いつもより表情が柔らかい。
しばらくして、エアリスがこちらに身体を少し傾けてくる。
「ねえ、ルーメン」
小声で呼ばれ、顔を向けると、エアリスは少しだけ照れたように笑った。
「一緒に入学できて、本当によかったね」
その言葉は、あまりにも自然で、当たり前の事実を確認するような響きだった。けれど、続く言葉は少し違った。
「私ね、ルーメンと一緒だから……すごく心強いんだ」
視線が一瞬だけ揺れ、それからまっすぐに戻る。
「それに、私、これから色んなことを頑張らなきゃいけないの。絶対に、負けられないから」
その言い方が、妙に強かった。
負けられない……その一言が、胸に引っかかる。
俺は、反射的に考えた。
魔術の成績のことだろうか。
学院には優秀な生徒も多いと聞くし、エアリスは努力家だ。
それとも、俺に魔術で負けたくない、という意味なのかもしれない。
「……誰か、意識してる相手でもいるの?」
半ば冗談のつもりでそう言うと、エアリスは一瞬だけ目を丸くした。
それから、くすっと小さく笑う。
「ふふ……そうだね。意識してる相手は、いるよ」
その言い方が、やけに意味深で、俺は首をかしげた。
「そっか。でも、エアリスなら大丈夫だと思うよ。昔から、努力を怠らないし」
そう答えると、エアリスは一瞬だけ黙り込み、俺の横顔をじっと見つめた。
「……もう」
小さく呟いてから、少しだけ拗ねたように唇を尖らせる。
「鈍いんだから」
俺はその言葉の意味が分からず、思わず聞き返す。
「え? 何か言った?」
「ううん、何でもない」
エアリスはそう言って、前を向いた。
だが、その耳がわずかに赤くなっているのを、俺は見逃していなかった。
「とにかくね」
前を向いたまま、エアリスは続ける。
「私は、負けられないの。大事なものが、あるから」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
だが、その背中からは、はっきりとした決意が伝わってきた。
このときの俺は、まだ理解していなかった。エアリスが言う「負けられない相手」が、誰なのかを。
学院生活が始まってから、数日が経った。新しい教室、新しい授業、新しい顔ぶれ。
最初こそ緊張していたが、時間が経つにつれて、少しずつ日常になっていく。
俺にも、エアリスにも、それぞれ友人はできた。授業中に声をかけられたり、昼休みに誘われたりもする。
それでも、気がつけば、休み時間になるたびに、俺とエアリスは自然と隣にいた。
「さっきの授業、あの説明ちょっと分かりづらくなかった?」
「うん、あそこは補足が欲しかったよね」
そんな何気ない会話を、二人で続ける。
次の授業の予習の話。さっきの先生の癖のある言い回し。黒板の書き方が独特だったこと。
特別な話題なんて、何もない。それなのに、会話は途切れなかった。
同じクラスで、席も隣。それだけでも距離は近いが、決定的だったのは、やはり「同郷」だということだ。
この学院の1学年で、ルゼリアから来たのは、俺とエアリスだけ。育った街も、景色も、価値観も、共通している。
だからだろうか。話すことに、いちいち説明がいらない。
「それ、ルゼリアだとよくあったよね」
「うん、あの通りの感じ」
そんな一言で、通じてしまう。
周囲から見れば、仲のいい友達同士。
けれど俺にとっては、それ以上に……「一番落ち着く場所」だった。
エアリスの方も、同じらしい。
休み時間になると、必ずこちらに身体を向けてくる。
誰かに呼ばれても、少しだけ話して、すぐ戻ってくる。
「やっぱり、ルーメンと話してるのが一番楽」
そんなふうに、何気なく言われたこともあった。
俺は照れながらも、否定しなかった。実際、同じだったからだ。
友人が増えても。学院生活が広がっても。
休み時間の定位置は、変わらなかった。
俺の隣には、いつもエアリスがいる。
それが、この学院での「当たり前」になりつつあることに、俺はまだ、はっきりとした意味を見出していなかった。
休み時間や放課後、エアリスと話していると、ひとつだけ不思議なことがあった。
それは……帰ってからの話題だけは、ほとんど出ないということだ。
授業のこと。学院の先生のこと。クラスの出来事や、これからの課題。
そういった話はいくらでもするのに、「寮に帰ってからは何してるの?」とか、「最近、誰と一緒に過ごしてるの?」
そういう質問は、エアリスから一度もされなかった。
俺が自分から話そうとするときも、ある。
「そういえば、昨日はリリィ先生と……」
そこまで言った瞬間だった。
「ねえ、それよりさ」
エアリスは、被せるように話題を変える。
「次の魔術の授業、あの課題どうする?」
「この前の実習、ちょっと難しかったよね」
声は自然で、表情もいつも通り。不機嫌そうでも、怒っているわけでもない。
ただ……話を続けさせない。
最初は偶然だと思っていた。
でも、何度か同じことが続いて、気づく。
エアリスは、意図的に避けている。
リリィ先生の話題。帰宅後の時間。俺が学院の外で誰と過ごしているか。
それらには、必ず別の話を差し込んでくる。
内心で首をかしげながらも、俺は深く追及しなかった。
話題を変えられても、エアリスとの会話自体は楽しい。
無理に踏み込む理由も、当時の俺にはなかった。
エアリスもまた、何も言わない。
問い詰めることもなく、理由を説明することもなく。
ただ、俺の隣に座り、学院での「今」の話だけを共有する。
その距離感は、居心地がよかった。
だからこそ……その静かな選別が、牽制だということに、俺はまだ気づいていなかった。
エアリスは、笑顔のまま、線を引いている。
触れてほしくない話題と、触れていい世界を。
そしてその中心にいるのは、間違いなく……俺だった。




