学院1年セリナ編 第七十三章 セリナの今後⑤ プライドと誇り
少しの沈黙のあと、ルーメンは言葉を選ぶように口を開いた。
「……もう一つ、伝えておきたいことがあるんだ、セリナ姉」
セリナは、何も言わずに視線を向ける。
その目には、警戒よりも、聞く覚悟があった。
「セリナ姉も、カルディさんも……」
「二人とも、“プライドが許さなかった”って言ってた」
その言葉に、セリナの眉が、わずかに動いた。
「……うん」
否定はしなかった。
「剣術大会のときも、別れを撤回できなかったときも……」
ルーメンは、感情を挟まず、事実として続ける。
「どちらも、プライドが一線を引かせた」
セリナは、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうね」
自嘲気味に、笑う。
「強い人でいたかったのよ。弱音を吐かない人で、負けを認めない人で」
その“理想像”は、誰かに押し付けられたものじゃない。自分自身が、握りしめていたものだ。
「カルディも、たぶん同じだったんだと思う」
ルーメンは、静かに頷く。
「僕の経験上だけど……」
言葉を選びながら、続ける。
「魔力暴走状態って、完全に別の感情が生まれるわけじゃない」
「元々ある感情の方向が、極端に、歪んで、増幅されることが多い」
セリナは、黙って聞いていた。
「だから……」
ルーメンは、視線を落とす。
「二人とも、プライドが限界まで張りつめた状態だったら、引き金は、かなり軽かったと思う」
責める言い方ではなかった。
断定もしない。ただ、事実としての推測。
「もし、どこかで一度でも、『ごめん』とか、『本当は違う』って言えてたら……結果は、違ってたのかもしれない」
セリナは、しばらく考え込んだあと、静かに口を開いた。
「……耳が痛いわね」
でも、その声は穏やかだった。
「強くなるためには、プライドは必要だと思ってた」
剣を握る理由として。自分を保つ軸として。
「でも……」
視線を上げ、はっきりと言う。
「守るべきところと、折っていいところを、間違えてたのかもしれない」
それは、後悔ではなく、理解だった。
「プライドがなかったら、今の私はいないと思う」
「でも……」
言葉を切り、続ける。
「プライドに振り回されてたら、また、同じところに戻るわね」
ルーメンは、そこで初めて、少しだけ笑った。
「うん、だから、僕はこう思う」
言葉を、丁寧に置く。
「プライドは、ほどほどに。その代わり……誇りを持てばいい」
セリナは、きょとんとした表情をしたあと、ふっと息を漏らした。
「……なるほどね、誇り、か」
それは、他人に勝つためじゃない。
自分を大切にするための基準。
「いい言葉ね、それ」
セリナは、小さく頷いた。
「ありがとう、ルーメン。ちゃんと、響いたわ」
この会話で、二人はようやく、魔力暴走の核心に触れた。
原因を断罪するのではなく、“次に繰り返さないための理解”として。
それは、セリナにとっても、確かな前進だった。
セリナは、しばらく黙って考えていた。視線は床に落ち、指先が無意識に組まれている。
「……ねえ、ルーメン」
やがて、静かな声で呼ぶ。
「私、今までずっと勘違いしてたのかもしれない」
ルーメンは、遮らずに待った。
「強い人って、絶対に折れない人だと思ってた」
剣を握るときも。誰かと向き合うときも。
「負けを認めないことが、強さだって思い込んでた」
セリナは、ゆっくりと顔を上げる。
「でも……それって、自分を守ってるようで、実は一番、自分を追い詰めてたのね」
言葉にした瞬間、自分の中で何かが整理されていくのを感じていた。
「プライドって、折れないためのものだと思ってたけど……本当は、折れても立ち上がるためのものなのかもしれない」
その言葉に、ルーメンは静かに頷いた。
「うん、僕も、そう思う」
「誇りっていうのはね、自分を大きく見せるためのものじゃない」
ルーメンは、言葉を選びながら続ける。
「間違えたときに、『間違えた』って言えること」
「弱ったときに、助けを求められること」
「それを許せる自分でいることが、誇りなんだと思う」
セリナは、目を伏せたまま、ふっと笑った。
「……弟に教えられるなんてね」
その声には、悔しさはなかった。むしろ、安堵に近い。
「でも、素直に思うわ」
顔を上げ、まっすぐに言う。
「今回のことで、私、ちゃんと変われた気がする」
それは、剣の腕が上がるとか、誰かに勝つとか、そういう話じゃない。
「もう、『私より強い人じゃなきゃ』とか、そういう基準で人を見るのはやめる」
「人として、どう向き合えるかをちゃんと見る」
ルーメンは、その言葉を聞いて、心の底から安堵した。
「それなら、大丈夫だと思う」
セリナは、小さく頷く。
「プライドは、ほどほどに」
「その代わり……」
胸に手を当てる。
「自分を恥じない生き方をするわ」
それは、魔力暴走を引き起こさないための“答え”でもあった。
強さを外に求めない。価値を他人の評価に委ねない。
「誇り高くある、って……」
セリナは、ゆっくりと笑った。
「こういうことなのね」
この瞬間、セリナはようやく“前に進む準備”を終えた。
傷は残っている。過去も消えない。
それでも……同じ場所には、もう戻らない。
それが、セリナ自身が選んだ、新しい立ち位置だった。
セリナは、深く息を吐いた。長い時間、胸の奥に溜まっていたものを、一つひとつ言葉にして吐き出したあとだった。
「……ルーメン」
静かな声で名前を呼ぶ。
「今回は、本当に迷惑かけちゃったわね」
ルーメンは、首を振る。
「迷惑なんかじゃないよ」
「姉さんが無事だった。それだけで、全部報われてる」
セリナは、その言葉を聞いて、少し目を伏せる。
「……ありがとう」
それは、軽い礼ではなかった。
存在を取り戻させてくれたこと。
諦めずに探し続けてくれたこと。
そして……自分の弱さを、責めずに受け止めてくれたこと。
「助けてくれて、ありがとう」
「私の弟でいてくれて、ありがとう」
言葉は短いが、重みがあった。
ルーメンは、照れたように視線を逸らす。
「……姉さんなんだから、当たり前でしょ」
そのやり取りに、ようやく“普段の空気”が戻ってきた。
セリナは、立ち上がる。
「そろそろ、寮に戻らないとね」
外は、もう夕方の色に染まり始めていた。
「今日は……さすがに疲れたわ」
それは、身体の疲れというより、心の緊張が解けたあとの脱力だった。
ルーメンも立ち上がる。
「無理しないで。何かあったら、すぐ言って」
セリナは、少し困ったように笑った。
「心配性なんだから」
けれど、その声には拒絶はない。
「でも……ありがとう。そう言ってもらえるの、嬉しいわ」
扉の前で、一度立ち止まり、セリナは振り返った。
「明日からは、本当に普通に過ごすから」
「剣の訓練も、授業も、ちゃんと、自分の足で」
それは、宣言だった。
誰かに守られるためではなく、誰かを見下すためでもない。
自分として、生きていくための。
「……うん」
ルーメンは、静かに頷いた。
「それでいい」
セリナは、軽く手を振る。
「じゃあね、ルーメン」
「また明日」
その背中を見送りながら、ルーメンは、確かに感じていた。
セリナが研究室を出ていき、扉が静かに閉まった。
その音が消えたあとも、ルーメンはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
ようやく、本当に終わったのだと、身体が理解し始めたところだった。
……セリナは、戻った。
世界に。学院に。そして、日常に。
それは確かだ。
けれど同時に、ルーメンは分かっていた。
「何もなかったこと」には、ならない。
世界の記憶は、きれいに修復された。誰も、セリナが消えていた時間を知らない。
それでも……セリナ自身の中には、確実に“傷”が残っている。
誰にも見えず、誰にも触れられず、声も届かないまま、生き続けた時間。
あの孤独は、なかったことにはならない。
そしてもう一つ。
カルディの件もまた、単純な善悪では割り切れないものだった。
魔力暴走状態。本人の意志とは切り離された行為。
それでも、現実として、被害は生まれた。
プライド。恋愛。強さへの執着。
それらが絡み合い、二人を、同じ破綻へと導いた。
(……二度と、繰り返してほしくない)
ルーメンは、静かに目を閉じる。
セリナは強い。剣も、心も。
だが同時に、とても優しく、責任を自分一人で抱え込んでしまう人だ。
三度目の魔力暴走……それだけは、起きてほしくない。
強さを誇りに変え、他人を測るためではなく、自分を守るために使えるように。
その道を、歩いてほしい。
(……セリナ姉)
言葉には出さず、ただ、心の中で祈る。
どうか、これからは。誰かに認められるためではなく。誰かに勝つためでもなく。自分の人生を、生きていけますように。
ルーメンは、ゆっくりと目を開いた。
研究室の窓から差し込む夕陽は、静かで、穏やかだった。




