学院1年セリナ編 第七十一章 セリナの捜索③ セリナの崩壊
歩く。呼ぶ。確かめる。
それを、何度も、何度も繰り返した。
学院の回廊は時間帯によって表情を変える。
授業の合間はざわめき、放課後は足音が散り、夕刻には静寂が支配する。
そのすべてを、ルーメンは歩いた。
「……セリナ姉」
声は抑えている。叫べば混乱を招くことは、もう分かっていた。
それでも、呼ばずにはいられない。
一方で……セリナは、確かにそこにいた。
廊下の角。階段の踊り場。食堂の入口。研究棟へ向かう渡り廊下。
ルーメンが立ち止まるたび、彼女はすぐそばまで近づいていた。
「ルーメン……」
声は、届かない。
「ここよ。私は、ここにいるのに……」
どれほど近づいても、どれほど呼びかけても、ルーメンの歩みは止まらない。
ルーメンは私を探している。それは分かる。
だからこそ、セリナは何度も腕を伸ばした。
抱きついた。胸に顔を埋めた。必死に、存在を伝えようとした。
「お願い……気づいて……」
だが、ルーメンの身体は、何の反応も示さない。
誰かに触れられた感覚も、声をかけられた気配も、そこに“誰かがいる”という実感も……一切、届いていなかった。
ルーメンは、ほんの一瞬だけ立ち止まる。
それは、何かを感じ取ったからではない。疲労による、ただの呼吸の間だった。
セリナは、その一瞬にすがる。
「ルーメン! お願い! 私……!」
だが、次の瞬間。
ルーメンは、まるで邪魔な空気を振り払うように、前へと踏み出した。
セリナの腕は、空を切る。
触れていたはずの身体が、すり抜けるように離れていく。
「……どうして……」
ルーメンは、歩き続ける。
同じ道を。同じ名前を胸に抱いたまま。
セリナは、その背中を見つめることしかできない。
認識している。理解している。感情も、記憶も、すべてある。
それでも……存在できない。
何度も、何度も、同じすれ違いが繰り返された。
時間だけが過ぎ、希望だけが削られていく。
ルーメンにとっては、「進展のない捜索」。
セリナにとっては、「救われない再会」。
双方にとって、これ以上ないほど残酷な構図が、静かに、確実に、積み重なっていった。
ルーメンの背中が、遠ざかっていく。
名前を呼びながら歩き続けるその姿を、セリナはただ見つめていた。
何度も、何度も、必死に近づいた。
何度も、腕を伸ばした。
何度も、抱きついた。
けれど……そのすべては、何一つ届かなかった。
「……ルーメン……」
声は、虚空に溶ける。触れたはずの体温も、確かに感じた鼓動も、すべてが“なかったこと”にされていく。
セリナの足から、力が抜けた。
その場で、膝から崩れ落ちる。
舗道に膝をつき、両手で地面を押さえたまま、立ち上がることができない。
……もう、分からなかった。
どうすればいいのか。
どうやって生きていけばいいのか。
誰にも見えない。
誰にも聞こえない。
助けを求める声すら、世界に拒まれている。
堪えていたものが、一気に溢れ出した。
「何でなの……!」
震える声が、裂ける。
「何で私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの……!」
涙が、止まらない。声も、呼吸も、すべてが乱れる。
「もう……どうしていいか分からない……!どうやって、生きていくの……!」
喉が痛むほど叫んでも、世界は、何も返さない。
セリナは、その場にうずくまり、顔を伏せた。
「お願いだから……助けて……!」
声が、嗚咽に変わる。
「見つけ出してよ……!ルーメン……!」
名前を呼んだ、その瞬間だけ、胸の奥が、かすかに温かくなった。
けれど……それも、すぐに消えた。
誰にも届かないまま、セリナはその場で、大声を上げて泣き続けた。
存在できない者の絶望が、静かに、そして確実に、底へと沈んでいく。
何日も、探し続けた。
学院の廊下を歩き、教室を覗き、食堂を通り、寮の周囲を回る。
声が枯れるまで呼び、足が重くなるまで歩いた。
それでも……何一つ、変わらなかった。
ルーメンは、足を止めた。
胸の奥に溜まっていたものが、静かに形を持つ。
(……手詰まり、か)
そう認めるのは、ひどく悔しかった。
だが、このまま同じことを繰り返しても、本当に何も変えられない気がした。
探すだけでは、届かない。
呼ぶだけでは、見つからない。
……別の方法が、必要だ。
その結論だけが、はっきりと残った。
これ以上、一人で抱え込んでも意味はない。
感情に任せて走り続けても、答えには辿り着けない。
ルーメンは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、心の中で線を引く。
ここから先は、違う段階だ。
探しても、探しても……見つからない。
最初から、見つかるようにできていない。
そう気づいた瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
(……このままじゃ、何もできない)
ただ、自分だけが空回りしている。ルーメンは、足を止めた。
そして、ほとんど反射的に思い浮かべた。
これまで何度も、一人で抱え込んで行き詰まったとき、必ず頼ってきた人の顔を。
(……リリィ先生)
感情ではなく、状況を見る人。
分からないことを、分からないままにしない人。
今の自分に必要なのは、走り続けることじゃない。
立ち止まって、状況を整理することだ。
ルーメンは、その足で研究室へ向かった。
扉をノックし、顔を出す。
「……リリィ先生」
声は、はっきりと疲れていた。
リリィは一目で異変に気づき、表情を曇らせる。
「座ってください。……ずいぶん消耗していますね」
ルーメンは、隠さなかった。今日までのことを、すべて話した。
学院中を歩き回っていること。叫び続けていること。それでも、何一つ見つからないこと。
そして……。
「……僕、分かってるんです」
拳を握りしめたまま、続ける。
「姉の存在は、確かに覚えている。でも……声も、姿も、存在も、何も感じられない」
「探しているのに、見つからないんです」
「最初から、世界にいないみたいで……」
言葉が、途中で詰まった。
悔しさと、焦りと、どうしようもなさが、一気に胸に押し寄せる。
「……どうしたら、いいんですか」
リリィは、すぐには答えなかった。
ルーメンの話を最後まで聞き、しばらく静かに考え込む。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほど」
その一言に、ルーメンは縋るように顔を上げた。




